公害弁連ニュース 138号




巻頭言
未認定被害者救済運動の拡大強化を!

代表委員 弁護士 馬奈木昭雄

水俣病のたたかいは、患者の一人の切捨ても許さない、被害者を最後の一人まで救済することを求めたたたかいでした。隠し込まれた患者を一人一人訪ねてほりおこす、検診活動を行いました。その結果多数の患者が見つかり認定申請を行うことになりました。しかし、国の大量患者切捨て政策の為に、本当は水俣病患者なのに、水俣病ではないとして認定されず、一切の救済を拒否される事例が大量に出ました。認定患者は申請者の一割にも満たないという状況にまでなりました。国によって認定を拒否された未認定患者達は、全国連に結集して救済を求めて国の患者切捨て政策の変更を迫るたたかいに総力をあげて取組みました。いわゆる司法救済システムの実現を目指したのです。全国民に訴え、国民の共感と支持を得る運動を展開し、26年間に及ぶたたかいによって、ついに国の政策変更を勝ち取りました。最終的には認定患者約2300名、新しく勝ち取った救済制度により補償を受けた患者約1万2000名という結果でした。
 水俣病ほど極端ではなくとも、一般に被害者の救済制度は、当然に、救済対象者を決定する必要上、一定の資格要件を定め、その要件該当者を認定した上で、その認定者に規定されている給付を行うことになります。いわゆる認定制度です。そこでその資格要件の設定しだいで、多数の被害者が不該当として不当に救済を拒否され、切捨てられることになりかねない、という問題が本質的に存しているのです。未認定患者の問題は認定制度には必然的に存しているということなのです。
 これまで、公害や職業病が発生した際に、行政や加害企業は、ともすれば発生した被害の全貌を、できる限り隠し込もうとしてきました。そこで被害者救済を本当に実行しようとすれば、何よりもまず隠し込まれ潜在している被害を、徹底して明らかにすることが必要な課題となります。
 水俣病のたたかいの教訓に学んで、私が参加した予防接種訴訟、じん肺訴訟においても、未認定患者の救済が取組まれました。九州及び大阪予防接種訴訟では認定を拒否された患者が原告となり、予防接種被害者であることを認める判決を勝ち取りました。また三池じん肺訴訟においては、開山時に多数の労働者の検診活動を行い、会社が隠し込んでいたじん肺患者を多数明らかにし、原告として勝訴しました。
 しかしこれらの取り組みは、個別の勝訴した原告の救済にとどまっており、認定基準を根本的に改めさせたり、新しい救済制度を確立したりするまでには至っていません。そこで、トンネルじん肺訴訟においては、全国的に国の責任を追及し、じん肺防止対策を含めた新しい制度確立を求めて、活動を強化しています。また原爆症認定訴訟も全国的に集団提訴が取組まれています。
 このような動きの中で、特に重視されるのは、東京大気裁判だと思います。未認定患者救済を重要課題として設定し、多数の未認定患者を原告として新しい救済制度確立を目指してたたかっています。私はこのたたかいの輪を、全国的に広げ、全国の総力を結集した取組みの体制をとることが必要だし、またその取組みは可能だと確信しています。
 東京大気訴訟で焦点とされている自動車排気ガスとのたたかいは、決して東京に限定されている被害ではなく、全国各地で発生している被害だと思えます。そうであれば、東京大気訴訟提訴審が開始され、新しいたたかいが始まった今こそ全国各地で苦しんでいる被害者が(当然未認定患者です)、一緒になってたたかうことが可能となる取組みを真剣に検討し、実行すべきだと考えるのです。
 このたたかいが全国的に取組まれるならば、その力が東京大気訴訟提訴審の全面勝利のために大きな力となり、新しい救済制度の確立と共に、自動車排気ガスによる被害を防止する対策を実行させる取組みの大きな前進となると思います。またそのことがまさに「差止め」の具体的実現なのだと思います。
 公害弁連でも取組みについて議論が行われています。この討議をさらに深めて、東京大気訴訟のたたかいを、さらに大きく全国の力を合わせた一致団結した全国のたたかいとして展開していく具体的方策を実行することが今切実な課題なのだと思えます。
 このたたかいが実行されるならば、他の公害・職業病の未認定患者救済運動の大きな前進の力となることもまた明らかだと思います。





川辺川利水訴訟高裁判決について

弁護士  三角 恒

1、川辺川利水事業とは、当初の計画では約3590ヘクタールの農地について用排水事業・農地造成事業・区画整理事業を行うもので、1984年に当初計画が策定されたが、その後、減反政策、農業就労者の高齢化や後継者不足により、変更計画を余儀なくされることになった。変更計画は3010ヘクタールに縮小されたが、土地改良法は土地改良事業を実施するに当たって、受益農家の3分の2の同意を必要としている。約4000戸にも及ぶ対象農家のうち3分の2の同意を取得したとして、農水大臣が1994年11月4日に変更計画を決定・公告したことに対してなされた異議申立に対してなされた棄却決定の取消を求めて、1996年6月26日、原告866名、熊本地裁に提訴、その後補助参加を含めて約2100人が裁判に参加することになったものである。

2、裁判の争点は多岐に亘っているが、主には、(1)事業の必要性及び費用対効果、(2)同意取得手続における説明義務違反の有無等の手続違反の有無、(3)3条資格者の3分の2以上の同意取得の有無である。
 1審の熊本地裁は、提訴から4年後の2000年9月8日、原告の請求を全面的に退ける原告敗訴の判決を言い渡した。その骨子は、前記(1)、(2)については、農水大臣の広汎な裁量を認めて違法性を否定し、(3)については、2000名近くの受益農家の調査が未了であったにもかかわらず同意ありと認定するなど、裁判所の職責放棄とも言うべき驚くべき内容の判決であった。このような熊本地裁の不当判決に対して、原告の約88%にあたる760人が福岡高裁に控訴した。

3、 福岡高裁に提訴後、福岡高裁(井垣敏生裁判長)の下で審理が開始されることになった。福岡高裁の審理は、1審の熊本地裁の場合と対比していくつかの点で特徴的なことがあった。
 最も強調したいのは、この事件に取り組む福岡高裁の裁判官の姿勢に、並々ならぬ決意と気迫が感じられたということである。このことは、単に感覚的なことだけでなく、次の点に端的にあらわれている。それは第1に、第1回の口頭弁論では我国の裁判史上初めてのビデオ上映やパソコン作成画面を使って意見陳述がなされたという点である(21世紀ビジュアル弁論)。ありとあらゆる手段を使って本件の事件を立体的かつ可視的にとらえようとするものであり、このような弁論を行うことについて、裁判所自身極めて積極的であった。
 第2に、原告の方から証人申請した学者3名(熊本大学の中川義郎教授、熊本 県立大学の中島熙八郎教授、愛知大学の宮入興1教授)の証人を採用し、第2回口頭弁論から証人尋問を実施したということである。中川教授には主に手続の違法性について、中島教授には事業の必要性について、宮入教授には事業の費用対効果について、それぞれの専門的立場から証言してもらった。学者の証人尋問は 丸1年かけて実施された。1審では、学者の証人尋問は一切行われておらず、にもかかわらず、控訴審で3人の学者の証人尋問を行うというのも極めて異例であろう。
 第3に、アタック2001と銘打って、約2000名に及ぶ受益農家の同意書調査を半年間に亘って実施した。しかも、画期的なことは、福岡高裁が弁護士の監督を条件に、原告農家だけでなく支援や一般の人達の調査への参加を認めたということである。このことは、裁判の証拠の収集の過程に一般市民が参加することを認めたことを意味する。このような証拠の収集方法というのも、これまでの裁判所ではなかったものであり、裁判所の積極姿勢の現れでもある。そして、この調査の結果が今回の福岡高裁の判決における原告農家の逆転勝訴の重要な要因となったものである。
 第4に、福岡高裁は、原告を勝たせるか否かの最終的な心証は、当時同意書を取って回った担当者の尋問と、対象農家の尋問をぶつけてみて、その対比によって決めようとしたということである。そのため、現地人吉に3名の裁判官が出張のうえ、人吉支部において担当者3名、受益農家(原告に限らない)9名の証人尋問を尋問した。これらの尋問を通じて、担当者が勝手に署名を代行するなど、ずさんな同意取得の実態が明らかになった。そして、さらには担当者尋問を通じて、同意書原本の変造の事実まで明らかになり、高等裁判所において検証がなされ、変造の関係で担当者尋問まで行うことになった。

4、 今回の福岡高裁判決は、原告の逆転勝訴となったが、その理由を3分の2以上の同意がなかったという1点にしぼっている。いわば、純粋に事実認定に関することに限定した。そして、事業の必要性や費用対効果、あるいは手続違反といった法的評価に関する争点については、簡単に1しゅうしてしまっている。そして、このように3分の2以上の同意という事実認定に関することで原告を勝たせたことで、被告農水大臣の方では上告理由が見い出すことが出来ず、高裁判決後3日目には上告期間を待つことなく最高裁への上告を早々と断念したものである。そして、このことが今回の事件の早期解決に資することになったのは紛れもない事実であり、この意義はどれだけ強調しても強調しすぎることはない。
 しかしながら、福岡高裁が単なる数合わせだけで高裁判決を組み立てて、原告逆転勝訴にしたとはとうてい思えない。訴訟活動に限定して考えただけでも、やはり原告を勝たせるべきか否かという最終的な判断をする過程において、前記のような学者証人の尋問や担当者尋問、受益農家のうち原告でない者の証人尋問、そして、新たな2000名に及ぶ受益農家の調査書の結果等、そしてまた、毎回の口頭弁論や訴訟進行打ち合わせにおける激しい攻防の中で、徐々に高等裁判所の裁判官の心証をゆさぶり、最終的には原告を勝たせることに確信を至らしめたと思われる。またそうでなければ、大型公共事業の是非を問うような今回のような大型の行政事件について、しかも1審で敗訴した事件を高等裁判所で覆すなどということはとうてい不可能であろう。
 その意味では、今回の川辺川利水訴訟高裁判決は、判決自体が及ぼす波及効果が甚だ大きいというだけでなく、大型行政訴訟に対する弁護士の姿勢あり方をも問うものであったと考えている。





高尾山天狗裁判現場検証が行われる

弁護士  関島保雄

1、高尾山天狗裁判は民事の差止訴訟と土地収用法の事業認定取消訴訟の2つを抱えています。この2つの裁判で裁判所の現場検証が行われましたので御報告いたします。

 
2、差止訴訟は2000年10月に提訴し、先に進行していました、この間裁判所には現場検証を早期に行うことを求めていましたが、裁判所は高尾山など自然環境と県央道の関係を現場で調査することに積極的な態度でした。一方事業認定取消訴訟は2002年7月に提訴し第1回口頭弁論が2002年12月でしたが、訴訟の進行は比較的早く、裁判所に現場検証を申請したところ、現場での進行協議ということで現地に行きましょうということになり、話がとんとん拍子に進み今年の5月6日に実施することになりました。
 このような行政訴訟の情報が差止訴訟の裁判所に伝わったのか、差止訴訟の裁判所も急遽現場検証を職権で実施するということになり、今年の5月19日に現場検証を実施しました。
 原告らは、裁判官が豊かな高尾山や八王子城跡の自然を直接体験すれば、自然保護を求める原告らの気持ちを理解して、差止裁判の進行についてもこれまでの冷たい態度を変えるのではないかという期待が高まりました。

3、行政訴訟の現場協議
 行政訴訟の裁判官は積極的に自然保護の争点箇所も見ようと、片道1時間かかる八王子城跡を登山するコースを採用し、国側も原告側も裁判官とともに登山かハイキングの服装でお弁当を持参しての現場検証となった。山上で小学校の遠足のように、むすびやら弁当を広げて約1時間昼食をとり八王子城跡や高尾山など東京都と山梨県、神奈川県境の山々の景色を堪能しながらの現場検証でした。
 高尾山はケーブルカーで登り、下りは歩いて自然の中を観察しながら下山して裏高尾の住民の居住地と県央道ジャンクション工事の状況を見ました。高尾山の展望台から裏高尾を見下ろすと、既に県央道ジャンクション工事が進んでおり、八王子城跡側のトンネルの入り口の工事周辺の緑の山が大きく削り取られてジャンクションの橋脚工事が行われている景色が見えます。
 裁判官に、都民がせっかく都心から自然を享受しようと高尾山に登ると山の北側には県央道ジャンクションが広がり興ざめになる様子を見てもらいました。
 裁判官も豊かな自然の宝庫である高尾山の自然の中を歩いて下山してくると裏高尾のジャンクション工事現場が目の前に広がるという状況の異様さを感じてくれたのではないでしょうか。山を削りとり巨大な橋脚を建設する様は自然破壊そのものでした。原告たちは景観の破壊を差止訴訟や行政訴訟の大きな柱にしていますが、それは裏高尾に行けばジャンクションが裏高尾の自然豊かな環境と不釣合いであることは、国立の大学通り景観訴訟と同様の問題点を指摘できます。

4、差止訴訟の現場検証
 5月19日の現場検証当日はあいにくの雨で、八王子城跡や高尾山の景観全体は裁判官が見ることはできませんでした。
 差止裁判の裁判官は八王子城跡には関心を示さず、現場検証の対象からはずしてしまいましたが、八王子城跡トンネルの北坑付近とオオタカの営巣ならびに井戸涸住宅の被害状況は現場検証しました。
 裏高尾のジャンクション工事現場や原告の住宅地との位置関係から、県央道ジャンクションができた場合の自動車大気汚染や騒音被害の危険性の理解を深めることができたのではないかと思います。
 検証の最後は高尾山にケーブルカーで登りました。あいにく雨で霧が出て山上から裏高尾のジャンクション工事現場の様子は見えませんでした。帰りに歩いて琵琶滝コースを下山しましたが、これは検証終了後ということで検証の対象にしませんでしたが、雨の後の霧が漂う高尾山を裁判官、国側代理人、原告側が歩いて下山しましたので自然の豊かさ、すばらしさの一端を垣間見れたのではないかと思います。

5、現場検証では国及び道路公団側は豊かな自然に配慮しつつ工事を行っているので、環境破壊はないと強調しているが、強調すればするほど矛盾が出てきています。
 絶滅危惧種のオオタカに配慮してオオタカの飛翔姿を見れば工事を中断しているなどと主張しています。しかし工事そのものがオオタカの営巣に脅威であり、八王子城跡トンネル工事が始まってからオオタカの雛は減少し、昨年と今年はついにオオタカが営巣を放棄し、子供を育てなかった。この結果は県央道工事がオオタカの営巣を困難にし営巣放棄につながったもので自然破壊そのものであることを証明しています。
 現在八王子城跡トンネル(全長2400メートル)の半分ほど掘削していますが、地下水の異常な低下で地盤凝固剤注入を強いられ工事は1年で100メートルしか進まず遅れています。今後トンネル完成に10年以上かかることが予想されます。
 八王子城跡は国史跡で文化財保護法の保護の下、遺跡の井戸や滝を破壊できません。
 トンネル工事で地下水低下して山上の井戸が涸れたり、滝が涸れると文化財の破壊ということで工事はできなくなります。
 八王子城跡トンネル工事でつまずき、地下水問題を解決しない限り今後高尾山トンネルまで掘ることは著しく困難になっていることが明らかになりつつあります。
 国が自然環境や遺跡の保護を主張すればするほど自らの首を絞め、県央道工事そのものが困難になることが明白になってきました。





住民参加による現況調査と道路、歩道整備
―神戸・西須磨道路公害調停での先駆的な取り組み―

弁護士  村松昭夫

1、神戸市西須磨地域とは、どんなところか
 神戸市須磨区西須磨地域は、神戸市の西部に位置し、東西3キロ、南北1キロの地域であり、緑豊かな六甲山を背景にして南側は海と空が青く広がり、古くから自然に恵まれた景勝地として知られたところである。とりわけ、西須磨地域の北にある離宮公園から海を望む景観は、よく整備された洋風公園とこれに続く海の紺碧と空の青がコントラストをなす極めて調和のとれた景観である。また、離宮公園から須磨海岸に延びる離宮道も、両側に名物の松が植裁されており、独特の風情を醸し出している。地域内には、平家物語で有名な須磨寺などもあり、歴史文化的な遺産も数多く残っている。地域内の人口は約25000人、古くから市街地が形成されたこともあり、住民の居住期間も比較的長く、今なお人情味豊かな地域コミュニティーも残っているところである。
 その一方で、すでに、地域の東側には1日交通量が11万台を超える阪神高速道路が、南側には1日交通量が6万台を超える国道2号線が、さらに北側には須磨ニュータウンに出入りする交通を一手に引き受けている県道神戸明石線が通り、現状でも、幹線道路が地域周辺を取り囲み、1日交通量20万台を超える自動車交通によって深刻な大気汚染などの公害が進行している。

2、神戸市による建設強行と住民の怒り、公害調停の提訴
 神戸市は、30年以上前から、こうした西須磨地域のど真ん中に、須磨多聞線(高架道路)、中央幹線、千森線という3本の都市計画道路を計画していたが、地域住民の粘り強い反対運動によって、建設は遅々として進まない状況であった。
 そうした折りに地域を襲ったのが阪神大震災であった。平成7年1月17日未明の大震災は、西須磨地域にも壊滅的な被害を与え、家屋の全半壊率は実に60%にも上った。
そして、これを奇貨として道路建設を進めようとしたのが神戸市である。神戸市は、阪神大震災のわずか2ヶ月後、まだ住民が大震災に打ちのめされ、衣食住もままならない状態であった3月末、何と西須磨地域の3本の都市計画道路の事業認可を強行したのである。神戸市は、事業認可を強行することによって、買収対象地域の家屋の建て替えを制限し、被害住民を建設用地から追い出そうとしてきたわけである。
 しかしながら、こうした神戸市のやり方は当然のことに広範な地域住民の怒りを巻き起こすことになった。「住民意思を無視したこんな道路建設は許されない」「須磨多聞線は西須磨地域のど真ん中を貫通する高架道路であり、今でも天井川左岸線、国道2号線、阪神高速などによる大気汚染、騒音などの公害が深刻化しているのに、これ以上の公害道路の建設は反対だ」「こんな道路ができれば離宮道などの貴重な景観も台無しになる、地域分断にもつながる」。西須磨道路公害調停は、こんな行政に対する地域住民の怒りと切実な声を結集して、平成9年12月、当初から西須磨地域の1割、2500名を越える住民の参加によって、全国でも最大規模の道路公害調停事件としてスタートした。現在の申立人は、追加提訴も含めて4000人近くになっている。

3、公害調停での大きな成果 調停で求めている内容は、大気汚染などの現状調査とそれにもとづく公害対策の実施、道路建設に伴う環境アセスメントの実施、代替案の検討、調停期間中の工事の中止というものであり、公害調停は、提訴後すでに5年半が経過している。
 率直に言って、調停開始当初は、調停がどのように進むのか、そのなかで何が勝ち取れるのか、なかなか展望が見えないという状況であったが、一歩一歩確実に成果を積みかねてきている。
 当初は、道路建設の必要性と早期着工を主張する神戸市側と住民側との間で、毎回鋭いやり取りが行われ、審理は予断を許さない緊迫した雰囲気のなかで進められた。しかし、調停内外の住民側のねばり強い多彩な取り組みと調停委員会の適切な説得、さらに神戸市側の一定の対応の変化もあって、当面の工事着工を阻止し、そればかりか全国的に見ても貴重な成果を勝ち取ってきている。
 第1には、住民側と市側が協働して行った大気汚染の現況調査である。1年間、各季ごとに1週間、移動測定車2台によるNO2、SPMなどの測定を行い、同時に、各季ごとに1日、地域内をメッシュに切って約70カ所の地点でカプセルによる簡易測定を実施した。このカプセルによる測定は、地域の住民宅を拠点にして、住民と市職員が協働でカプセルの設置と回収を行うというものであり、おそらく全国でも初めての試みであると思われる。もちろん、現況調査の費用は市側が負担している。
 現況調査の結果は、西須磨地域は、NO2でもSPMでも環境基準を超える汚染が進行していることが明らかになり、住民側主張の正当性が証明され、新たな公害道路建設の問題性が一層浮き彫りになった。
 第2の成果は、調停と平行して進められていた地元自治会と市側との協議によって、中央幹線の車線が4車線から2車線に削減され、さらに、その結果両側それぞれ10数メートルにも広がった歩道の整備が、住民合意のなかで進められていることである。具体的には、神戸市は、歩道の整備にあたって、住民側が推薦するコンサルタント(西淀川の「あおぞら財団」が中心)に設計を依頼することを了承し、実際にも、住民とコンサルタントが数回にわたるワークショップ、アンケートなどを実施して整備案を作成し、これを神戸市が受け入れ、すでに1部で工事が進行中である。おそらく、こうした方式での歩道や道路の整備が行われるのも全国的に希なことではないだろうか。地域は地域住民の生活の場であり、そこには大事な文化的、歴史的な財産もある。従って、地域環境を保全しながら住民参加を徹底した街づくり、道づくりを行うことこそ、真の地域発展の方向である、こうした考え方は今や大きな流れとなってきているが、西須磨の試みは、その先駆的な取り組みに数えられるのではないだろうか。
 さらに、調停の進め方においても、第1回調停を現地の会場で行わせる、毎回の審理は、基本的には対審形式で行うなど、一定の前進的な方法も採用させている。

4、今後の課題
 以上のように、西須磨道路公害調停は、確実に一歩一歩成果を積み重ねてきているが、健康影響の元凶とされているPM2、5の測定問題や、須磨多聞線を最終的にどうするのか、場合によっては、その建設予定地を地域でどのように活用していくのか(公園や散歩道として整備など)など、残された課題も数多くある。しかしながら、大きな成果を積み重ねてきた住民たちは、今、夢とロマンをもって地域のことを熱く語り合っている。知恵と力を出し合えば、こうした課題の解決の方向もきっと見つけだせると確信している。
 西須磨道路公害調停は、今後も最終解決には紆余曲折が予想されるが、公害調停といえども、住民の取り組み如何によっては大いに活用できることを示しているケースである。
 弁護団も、最終解決まで、住民と熱い議論を交わし、共に知恵と力を出し合っていきたい。





公調委あっせん成立(尼崎道路公害)

弁護士  西田雅年

1、あっせん申立の経緯
 (1) 2002年10月15日、尼崎道路公害訴訟の元原告団(大阪高裁の和解当事者)のうち21名は、公害紛争処理法第26条第1項に基づき、国土交通省を相手に、あっせん申請をした。大阪高裁での和解条項により実施した道路交通量調査に基づき、尼崎南部地裁に於ける大型車の交通量低減のため大型車の具体的削減(低減)目標を設定し、それに沿う大型車規制施策を個別具体的に検討する等、和解条項を誠実に履行せよ、との内容のあっせんを求めた。
 (2) 差止判決後、原告・患者は損害賠償金及び差止請求を放棄するのと引き替えに、(1)大気汚染レベルが1審判決の差止基準より厳しい国の環境基準値を達成するまで自動車排ガス対策を1層強力に推進すること、(2)本件地域に於ける大型車の交通量低減の必要性を理解し、大型車の交通規制の可否を検討すること、(3)そのために必要な交通量の調査を平成13年度までに着手すること、(4)大型車規制の可否の検討については早期に検討結果が出るよう警察庁に要請すること等を国(国土交通省)に約束させた。
 (3) しかし、国(国交省)は、「連絡会」における交渉の中で、大型車規制のための「交通量調査」は実施したものの、大型車規制は「道路交通法上の規制」を意味するもので国交省の所管事項ではないこと、兵庫県警が規制は困難との結論を出したのだから和解条項は履行済みとの不誠実な対応に終止し、原告・患者にとって悲願であった大型車規制対策を履行しようとしない。
 そこで、大気の全国弁護団とも協議のうえ、和解による「大型車規制」(削減)条項を履行させるために「あっせん申請」を行った。

2、公調委でのあっせん手続き
(1) 2002年11月23日の第1回を皮切りに、同年12月8日の現地調査を経て、あっせん成立までに正式な期日は8回開催された。
 公調委の担当委員は、加藤和夫公調委委員長(元札幌高裁長官)、堺宣道委員(医学者)、平野治生委員(行政官)の3名でいずれも常勤委員である。
(2) あっせん手続きの詳しい内容は割愛するが、基本的には次のような経過であった。
 申請人(元原告)側は、当初は、和解に至る経緯、和解条項の意味や解釈、和解後の国(国交省)側の和解条項の履行に関する、不誠実極まる態度等の説明を行った。その後は、本件地域において大型車の通行規制をするに当って、通行規制の目的、規制目標、手段等を具体的に提案した。また、和解条項履行のための問題点及びその改善策の提案を行った。
 これに対して、国側は和解条項の形式的かつ皮相な解釈の説明をして自己弁護に終始した。また申請人側の通行規制の方法等に対しては、規制できないという結論のみで、まともに検討したとは思われない態度に終止した。さらに、国道43号線周辺地域の様々な関係者を集めた「周辺地域委員会」(仮称)なるものを立ち上げて、今回の事態の収拾を図ろうとした。
 従って、当初の国の姿勢からすると、今回の合意成立は極めて困難であろうと予想された。
(3) しかし、各期日を重ねるにつれ、公調委の各委員の、並々ならぬ決意で、まさに精力的なあっせんが行われ、漸く今回の合意に漕ぎ着けた。
 その結果、本年6月26日、第8回のあっせん手続きの期日に、公調委が示したあっせん案に双方が合意して成立した。

3、あっせん成立の内容とその意義
(1) 今回成立したあっせん事項は、次の5点である。
 すなわち、(1)大型車の交通量削減のための施策を総合的かつ効果的に進める観点から、大型車の運行経路、運行実態(頻度、時間帯等)、車両の年式、交通規制が実施された場合の運行経路選択に係る意向調査も含めた総合的な調査を実施すること。なお、当該事項については別紙が添付され、詳細な調査目的、内容、項目が記載されている。(2)環境ロードプライシングの試行内容の一層の充実を図ること。(3)大型車の交通規制の可否の検討について警察庁に対して追加的検討を要請すること。(4)国交省・公団と元原告らとの「連絡会」の運営を公開にする等の円滑化を図ること。(5)大型車の交通量低減に向けて、関係行政機関、道路利用者等の関係者との連携した取り組みを推進すること。
(2) 今回の公調委におけるあっせん成立の意義としては、次のとおりである。
 まず、訴訟上の和解がなされた後における事案という初めてのケースであったが、公調委の機能が十分に生かされ成立したという点で、尼崎だけではなく、同種事案についてもあっせん制度が活用できる途を開いた。
 本件の和解後、国・公団が行ってきた和解条項の履行行為が実質的に不十分なものであると明らかにされたこと、しかも国・公団も再度和解の趣旨に立ち返ることになり、大型車の交通量削減を改めて確認した上で、今後の各施策を行うことになった。
 大型車の交通量削減策についても、一般的・抽象的な施策ではなく、具体的な施策を例示したことと、大型車の交通量削減につき国・公団に対して実質的に義務づけたこと。特に、車線制限による方法やナンバープレートによる一定割合の大型車の時間帯規制などの方法が例示されていることが注目される。
 従前形骸化していた「連絡会」を実質的な意見交換の場にするため、公開され、世論の監視に置いた。さらに、「連絡会」において、国の行政機関や地方公共団体等の関係機関が口頭又は文書による説明を行えることになったため、より1層充実した意見交換ができるようになった。このようなことから、今後「連絡会」は和解条項実現のための話し合いの場として位置づけられた。

4、今後の課題
 以上のようにあっせんが漸く成立したが、尼崎南部地域における、大型車の交通量の削減、すなわち道路沿道環境の改善が進むかどうかは、今後の「連絡会」における、国・公団の誠実な対応にかかっている。そのため、元原告らとしても積極的な提案を行う予定である。
 現在、9月下旬に予定されている「連絡会」開催に向けて、準備が進んでいる。今後は画期的な大型車規制の条例案を検討している兵庫県や、地元の自治体である尼崎市の「連絡会」参加を求め、大型車交通量削減のための総合的な施策の検討を行っていくことになる。





公害弁連プレシンポにご参加を

事務局長 西村隆雄

 公害弁連では,1994年12月に「差止裁判シンポジウム」を開催し,当時空港・道路をめぐって連戦連敗であった差止裁判での勝利の展望を切り開くための戦略を討議しました。
 その後,この間,尼崎・名古屋南部の大気裁判で画期的な差止判決をかちとる一方,廃棄物処理場でも安定型の業者相手の裁判で差止判決が相ついでいます。
 一方,ダム・埋立て・幹線道路などの差止め裁判・調停が相ついで提起されており,これまでの到達点にのっとって,さらに差止のたたかいを前進させることが当面の大きな課題となっています。
 そこで次回幹事会とあわせて,下記のとおりプレシンポを開催すべく計画しました。ぜひご参加のほどをお願いします。

  と き 2003年10月5日  午後1時〜5時
  ところ 文京区民センター 2B会議室
  電話 03-3814-6731
  〔地下鉄〕 丸の内線 後楽園駅下車 徒歩5分 都営三田線 春日駅下車   0分
  内 容
    報告 大気汚染 尼崎・東京 廃棄物 九州研究会 公共事業 川辺川,有明,徳山 道路 高尾,西須磨,名古屋,広島
    討議 助言者  富井利安 広島大学総合科学部教授