大阪・泉南地域のアスベスト国賠訴訟 ― 提訴に向けて

弁護士 村松昭夫

1 大阪・泉南地域の石綿紡織業
 大阪・泉南地域は、大阪府の最南、和歌山県との境に位置し、古くから紡績業や織布業が盛んな土地であった。泉南地域の石綿紡織業は、こうした紡績業を基礎として、1907年から実に約100年間に亘って続けられてきた。戦前は、軍需産業として発展し、戦後も、石綿紡織品は、機械器具の耐熱、断熱、摩擦部品などとして広く用いられ、経済復興、経済成長になくてはならない製品として生産量を増加させていった。とりわけ、泉南地域では、1970代の最盛期には、石綿紡織の一貫工場が約70社、その下請け、家内工場などを入れると実に200社以上を数え、従業員数は2000人あまり、石綿紡織製品の生産額も全国シェアで60〜70%を占めるまでになり、泉南地域は、全国一の石綿工場の集積地となった。

2 大阪・泉南地域の長期、広範、深刻な石綿被害
 泉南地域の石綿被害は、すでに戦前から深刻に進行していた。泉南地域の石綿被害の疫学的・臨床的調査研究は、早くも、昭和12年(1937年)から同15年(1940年)にかけて、旧内務省保険院社会保険局の医師らによって行われている。石綿紡績所や石綿工場など19工場、1024人を対象として行われ、その規模や内容を見れば、当時の諸外国の石綿関連疾患の調査研究にもひけを取らない本格的なものであった。そもそもこうした本格的な調査研究が行われたということは、すでに泉南地域では石綿関連疾患が多発していたことを示している。調査結果も驚くべき内容で、昭和12年調査報告では、健康調査を実施した11工場403人の内じん肺罹患率は実に12・4%にも及んだとされている。昭和15年報告でも、対象工場を石綿紡績工場14工場、対象者を650人に限定してX線検査等を実施した結果として、石綿肺罹患率が12・3パーセントに上ったとされている。重要なのは、調査にあたった医師らが、石綿工場は作業の本質上粉じんが多量に発生し、衛生上有害工業に属するものであり、法規的取締りを要するなどと述べ、この時点ですでに国に対して法律による規制の必要性を訴えていたという事実である。これは今から実に70年前のことである。70年前から国の機関によって詳細な調査研究が行われ、規制法規の必要性を訴える調査報告書等が作成されていたという事実は、泉南地域はもとよりわが国の石綿被害に対する国の責任を究明する上で極めて重要な事実である。
 石綿被害の発生は戦後も続き、調査研究も引き続き行われている。たとえば、昭和29年(1954年)から同32年(1956年)にかけて、32工場、814名を対象にした検診結果では、石綿肺罹患率が10・8パーセントであったと報告されている。戦後も泉南地域の石綿被害は、改善されることなく進行していた。
 このような事実は、その作業環境が如何に劣悪であったか、石綿粉じんの飛散が如何にすさまじいものであったかを十分に推測させるものである。それは、工場周辺でも、工場内と同様にすさまじい石綿粉じんの飛散があっただろうことも推測させるものである。劣悪な労働環境はそのまま工場周辺に深刻な公害を発生させていたのである。

3 国賠提訴に向けて
 石綿被害の発生と拡大には、国による重大な加害責任が存在している。
 70年も前から、国自身によって、繰り返し石綿工場での被害発生の具体的な調査が行われ、その都度広範かつ深刻な被害発生の事実が報告され、調査にあたった医師らからは法的規制等の緊急性が強く訴えられていた。ところが、国は、石綿による健康被害に関する警告、石綿製品の危険性に関する表示、労働関連法規などを駆使した石綿の排出抑制や厳重な取り扱いなど、憲法上の要請も含めてあらゆる法規を利用して様々な施策の実施が強く求められていたにもかかわらず、何ら有効な対策も講じないまま、というよりも、大量の石綿飛散によって工場内外に甚大な被害が発生していることを十分に知りながら、石綿の経済的な効用を優先させて、石綿製品の保護育成を行い、あえて飛散防止の不十分な劣悪なままでの操業を黙認し、そのことが一層の被害拡大をもたらした。
 石綿被害でも、国はその法的責任を免れることはできないのである。
 大阪じん肺アスベスト弁護団は、国の責任の明確化と全面的な被害救済を求めて、5月末にも国家賠償請求訴訟を提起する準備を進めている。訴訟には、石綿工場での旧労働者、近隣住民、家族などが参加予定であり、なかには両親とこどもが共に石綿被害を被った家族もおり、泉南地域の地域被害を象徴する被害者が立ち上がっている。
 真に隙間のない全面的な被害救済を勝ち取るためにも、さらにはこれ以上の石綿被害の発生を防止するためにも、国の責任の明確化は不可欠であり、大阪・泉南地域の国家賠償訴訟はその先陣を切る訴訟として闘っていきたい。