第三 公害裁判の前進と課題

一 大気汚染公害裁判の前進と課題


1 前進を続ける大気裁判の闘い

(1) 大気汚染公害裁判の流れ一昨年(2001年)8月の名古屋における国、被告企業との勝利和解によって、固定発生源を相手とする大気汚染訴訟はすべて勝利的解決をすることができた。
   また、これまでの大気汚染訴訟において、1995年7月の西淀川(2次から4次)、1998年8月の川崎(2次から4次)、2000年1月の尼崎、2000年11月の名古屋と道路設置管理者である国等の公害責任を認める判決が次々と出され、道路からの自動車排ガスによる大気汚染が深刻であること、国等の道路設置管理者に、公害責任があることが司法の場で明らかにされてきた。

(2) 東京大気汚染公害裁判の判決 一昨年(2001年)12月結審した東京大気汚染公害裁判の1次訴訟の判決が、昨年(2002年)10月29日、東京地方裁判所で言い渡された。
   この判決は、先の5つの判決に続いて、5たび自動車排ガスと住民の健康被害の因果関係を認め、国・公団・東京都の道路管理者としての責任を認めた。また、未認定患者の損害賠償請求が認められた。このことは、公害被害者健康補償法の新規公害認定が打ち切られた現在も、新たな公害被害者が発生しており未認定の被害者を救済する制度が必要なことを明らかにした。
   ただ、自動車メーカーについては、自動車排ガスと健康被害の因果関係を認め、メーカーの社会的な責任は認めつつ、結果回避可能性がないとして、その法的責任は否定した。
   また、原告らが裁判で求めた面的汚染については、12時間交通量4万台以上の道路の沿道50メートルの範囲の損害賠償請求を認めるにとどまった。
   メーカー責任や、面的汚染を否定した点では不満が残ったが、マスコミは5連敗となる国・行政を批判し、未認定患者の救済を求める世論を後押しした。
   東京都の石原知事は判決直後の記者会見で、控訴断念を表明し、被害救済制度を作るべきだと発言した。
   判決後の各メーカーとの交渉では、ほぼ全てのメーカーから被害者救済制度の財源負担について「社会的要請もふまえて総合的に対応」「真摯に検討」することを約束させた。
   そして多くのメーカーは、この判決を大気汚染に対する自動車排ガスの寄与を認めたものとして「重く受け止める」などとした。 東京大気の判決、および判決を受けての行動は、これまでの道路公害裁判の判決内容を引き継ぎ国の道路行政を断罪し、抜本的な対策を迫るとともに、自動車メーカーの責任を前提にした新たな被害補償制度を作り出すための、足がかりとなったと言える。
   これに対し、5たび責任を断罪された道路設管理者である国交省、未認定患者の救済判決が出ても救済制度の創設に対し具体的な動きをみせない環境省は厳しく批判されなければならない。

(3) 各地の取り組みすでに勝利を勝ち取った西淀川、川崎、倉敷、尼崎では、公害根絶と地域再生。まちづくりの取り組みが引き続きすすめられている。名古屋でも、地域再生センターの設立の準備が進められている。
   道路に関連して和解した、西淀川、川崎、尼崎、名古屋では、和解条項に基づき、国との間の連絡会が定期的に開催されているが、道路公害対策について有効な公害対策が十分に行われていないのが現状である。
   特に尼崎においては、昨年(2002年)10月、和解条項を国が履行していないとして公害紛争処理法に基づき、総務省公害等調整委員会にあっせんを申し立てた。連絡会において、和解条項の大きな柱である大型車の通行規制について、国交省が兵庫県警にその検討を委ね、県警からの全面規制は不可能との回答をもって履行ずみとする不当な対応に終始していることによる。今後とも和解条項を遵守させ、道路公害をなくす運動に取り組む必要がある。

2 大気汚染公害の闘いは新たな段階へ

 大気汚染公害の闘いは、道路、自動車公害の闘いへと移行した。東京大気汚染公害の判決によって5たび、国を断罪したが、新たな被害者救済制度の確立、自動車総量の削減と幹線道路建設ストップなど、道路公害根絶への抜本的な解決のためには、いまだ、国とのせみぎ合いが続いている。 東京における訴訟、各地の連絡会において、大気汚染公害をなくす闘いをされに強めていかなければならない。