〔1〕 新横田基地騒音公害訴訟
新横田基地公害訴訟弁護団


1 新訴訟の提起

 米軍横田基地の騒音被害の救済を求める裁判は、1993年2月 の旧一・二次訴訟に対する最高裁判決で米軍の飛行は違法であるこ とが認められ、過去の被害に対する損害賠償金の支払いが命じられ た。94年3月には、旧三次訴訟の東京高裁判決も、最高裁と同様 の判断を下した。しかし、国は、旧訴訟の中で騒音被害があると訴 えているのは一部の人にすぎないなどと発言し、抜本的な音源対策 を行おうとせず、その後も米軍機の飛行による騒音被害は一向に改 善されなかった
 こうした事態に対し、騒音被害地域に住む多数の住民が被害の実 態を明らかにし、「静かな眠れる夜を返せ」を合い言葉に再び提起 したのが新横田基地訴訟である。新訴訟は、米軍の騒音被害に苦し んでいる多数の住民が原告となって、被害の救済を求めることにし た。併せて、旧訴訟最高裁判決は、国に対する飛行差し止め請求 は、支配権の及ばない第三者に対する請求で不適法として退けたた め、新訴訟は騒音被害をまき散らしているアメリカ合衆国も被告と し、過去・将来の損害賠償の支払と夜間早朝の飛行差し止めを求め ることにした。新訴訟は、96年4月の第一次提訴を皮切りに、三 次にわたって提訴を行い、騒音公害訴訟では過去最高の約6000 人という原告を要することになった。

2 対米訴訟について

 アメリカ合衆国に対する裁判は、日本の裁判所にアメリカ合衆国 を被告とする裁判権が認められるかが大きな争点となった。第一次 新訴訟に対し、東京地方裁判所八王子支部は、70年以上も前の大 審院時代の絶対的主権免除主義の考えをそのまま踏襲し、97年3 月、原告らの訴えを却下した。東京高等裁判所は、原告らの主張す る相対的主権免除主義の主張は傾聴に値するとしたが、98年12 月、日米地位協定の解釈論からアメリカ合衆国に対する訴えは認め られないとした。
 これに対し、住民側は上告等の申し立てを行い最高裁の判断が注 目されていたが、02年4月、最高裁は、アメリカの主権行為であ る米軍機の飛行には日本の裁判権は及ばないとして住民の主張を認 めなかった。第二次・三次新訴訟についても、東京地方裁判所八王 子支部は、国に対する判決と同じ日に、最高裁の論理をそのまま踏 襲して訴えを退けた。
 裁判所は、米軍機の飛行は違法であることを認めながら、国に対 する差し止めは支配権の及ばない第三者の行為であるとして退け、 アメリカ合衆国を被告とすれば主権行為であるとして裁判そのもの を認めないとし、根本的な被害救済の道を閉ざしてしまった。裁判 所のこうした姿勢は、司法の役割を放棄するものである。

3 対国訴訟について

 国に対する裁判は、旧訴訟の成果を活用し、早期の被害救済を目 指して精力的に取り組んできた。原告となった住民の被害地域が広 範なため、基地の南北3カ所で現場検証を行ったが、証人は騒音の 専門家一人に絞り、原告の8割の陳述書を提出し、国を圧倒する訴 訟活動を行った。
 訴訟進行協議の中で、当初国は、原告住民の被害地域の居住状況 については協力すると表明していたが、新横田基地訴訟の提訴後、 厚木や嘉手納で多数の住民が原告となった新たな訴訟が提訴された ため、国はこうした大型訴訟を何とかくい止めようとして、進行協 議の約束を反故にするなど不誠実な対応に終始した。
 また、何とか損害賠償額を減額させようと、新たな騒音被害地域 を区分けした平成10年コンターを提出してきた。これに対して は、コンター作成の元となった測定方法や測定データーが不十分で あることを指摘し、国の主張を跳ね返した。
 さらに、国は、住民は騒音被害があることを知って居住を開始し たとして、危険への接近法理により賠償金を減免を求めてきた。こ れに対し、原告は、国は最高裁判決後も被害を放置していること、 被害地域であることを住民に周知していないこと、公団による被害 地域内の大規模住宅開発など、むしろ国が被害地域へ住民を誘引し た事実などを明らかにし反撃した。こうした中で、01年7月に結 審をむかえた。
 02年5月30日、東京地裁八王子支部は、国に対し、過去の被 害に対する損害賠償として総額23億円余りの支払いを命じたが、 夜間早朝の飛行差し止めや将来の損害に対する賠償金の支払いは認 めなかった。一審の判決は、多数原告の訴訟であることに目を奪わ れ、原告を最高裁の判断枠組みに誤りなくあてはめたることに終始 し、暖かみの感じられない判決内容にとどまった。そればかりでは なく、同判決は、共通被害の見解に立ちながらも陳述書を提出しな かった原告には過去の損害賠償請求を認めないなど、従来の飛行騒 音訴訟で勝ち取った成果を一部後退させる内容を含んでいた。危険 への接近についても、旧訴訟の最高裁判決の基準をそのまま持ち込 み、ベトナム戦争による騒音被害が報道されていた時期を基準に、 それ以降被害地域に居住した住民に損害賠償金を減額するなど、非 現実的な判断内容にとどまった。
 東京地裁八王子支部の判決に対しては、住民側と国の双方が控訴 し、舞台は東京高等裁判所へ移ることになった。この間、住民側は 詳細な控訴理由書を提出し、6000名に及ぶ被害住民の委任状の 集約活動に務めてきた。本年1月14日には、第一回進行協議期日 が開かれ、2月の第二回進行協議期日において、控訴審のスケ ジュールを確定する予定である。

4 今後の展望と運動について

 訴訟団と弁護団は、提訴直後のニューヨークタイムズ紙へ意見広 告を掲載したり、三次にわたる訪米活動や、勝利判決へ向けた「秋 のつどい」の開催など、さまざまな取り組みを行ってきた。01年 3月、八王子市内で開催された公害弁連の総会を契機に、韓国で米 軍基地騒音被害訴訟に取り組む環境団体や弁護団との継続的な交流 もはじまった。
 去る1月25日には、同じく基地騒音訴訟を提起している小松、 厚木、新嘉手納及び普天間の弁護団・訴訟団を招いて、八王子市内 で高裁勝利に向けた総決起集会も開催した。各訴訟団・弁護団とも 連携しながら、今後も高裁勝利へ向けた新たな取り組みを行ってい く予定である。引き続き、みなさんのご支援をお願いしたい。