(1) 2003年9月30日(第3回),同年12月18日(第4回)と2回の連絡会が行なわれ,それに先立ち準備会も行なわれました。
9月30日の連絡会に先立つ準備会では整備局(国)側は傍聴の規則を定めたい,あるいはTVは頭撮りだけにして欲しいなどと主張し,公開についてはかなり神経質になっているようでした。
結局,傍聴人は発言せず,静粛にするという程度の申し合わせにとどめ,TVカメラは開会中ずっと撮影していました。
我々は整備局長の出席を求め,少なくとも代理の者によるメッセージでもと要求しましたが,それは実現しませんでした。
連絡会の冒頭,座長の小宮山路政課長は
「新たな気持ちで精一杯取り組んでいきたい」
と挨拶しました。
連絡会の進め方については,当方は調査やロードプライシングなどについて事前に「十分な意見交換がなされたという両者の共通認識ができるまで意見交換がなされなけばならない」と主張しました。
これについては,整備局は「有効な意見交換なしに一方的に進める気はない」と回答しました。
交通量調査の目的についての議論では,私達は,大型車交通量削減の目標値,例えば1日1万台の削減などの目標値を持った調査とすべきことを要求しました。これについて,整備局側は「行政機関ですので,数字を公式にというのは非常にまずい」などと理由にならぬ拒否の答弁に終始しました。
私達は連絡会内部で,研究者,専門家をいれた専門家委員会を設置したほうが公平で能率的な意見交換(具体的には調査項目,アンケート内容の検討など)ができると主張しましたが,これについても整備局側は,原告側が専門家の助けを今までも借りているので,それで良いのではとして専門委員会設置には反対しました。
しかし,従来のように居丈高になったり,居直ったりする態度は見られず,あっせんの効果を感じました。
(2) 2003年12月18日(第4回)の連絡会では,前回,整備局側が拒否した大型車交通量削減の目標値設定と専門家の参加について議論がなされました。
削減目標値について,整備局側は「道路管理者が自ら設定することはできない」などとし,「目安」という意味であっても目標値を定めずに調査を行なうとして,頑なに拒否し続けました。
会議は紛糾し,膠着状態になり,一時休憩をもたねばならない事態となりました。この点は継続討議となりました。
専門家の参加については議論できませんでした。
取材したマスコミ陣の感想は,国の消極姿勢は変わらないなというものだったようです。
4 現在の到達点
(1) 公開は完全に行なわれており,多数の傍聴,マスコミ報道がなされています。従って,国,公団側は無責任な発言はできないこととなり,事実上議事録作成も可能となりました。
一方,私達の要求の正当性は広く市民に知られていくことになりました。
(2) 調査の手法等については少なくとも実施前にその内容を明らかにすることは約束されています。原告団の了解なしに進めても和解条項の履行とは認められないことは今回のあっせんにより,国,公団は思い知らされたでしょう。
(3) あっせん成立により,和解条項の履行はできる範囲でぼちぼちやっていけば良いというこれまでの国,公団の関係者の認識は一掃されました。彼等は彼等なりに和解条項の早期履行を考えざるを得ない状況になっています。
(4) ロードプライシングについては,兵庫県は現行の湾岸線西線の割引料200円を400円とする社会実験を本年(2004年)2月に実施することにしています。
従って,我々の主張していた大幅割引によるロードプライシングは実験ではあってもその一部が実現されることになり,既に社会的認知を得たと言えます。
5 残された課題
(1) 交通量削減の目標値設定について整備局があくまで拒否していることに見られるように,国,公団は和解条項やあっせん事項をできる限り狭く解釈するとともに,新たな約束により,自分達の責任を加重することを極度におそれています。役人特有の消極性を打破し,尼崎市地域の大気汚染状況のためにともに協力するという体制をどのようにすれば作れるのかなかなか困難な課題です。
当面は世論,マスコミの応援を得て広範な運動で押し込んでいくしかないでしょう。各整備局の一課長が座長になっている連絡会ではなかなか新しい政策を大胆に採り入れていくことは難しいので,本省交渉を全国患者会を中心に行なっていくことも必要でしょう。
(2) 今後予定される,道路利用者などに対して行なうアンケート調査,ロードプライシングの具体的な実施方法,各種の交通規制の方法についての都市工学的,法律的検討などについて,様々な研究者,専門家の助力,助言が必要となります。
どのようにして協力する専門家集団を効率的に組織し,どのようにして専門家の意見を施策のプログラムと実施に反映させるシステムを作りあげるかが重要になります。