〔1〕薬害ヤコブ病(東京)この1年
薬害ヤコブ病東京弁護団


1 薬害ヤコブ病東京訴訟
(1) 脳外科手術でつかわれた医療製品によって,多数の人々が,クロイツフェルト・ヤコブ病の感染被害をうけた。ヤコブ病は死の病である。いったん発症すれば,短期間のうちに痴呆が進行して遷延性植物状態となり,死にいたる。
 問題の医療製品は,ドイツ・ビーブラウン社が,死体の硬膜から精製し,厚生省が1973年に医療用具として輸入承認したヒト死体硬膜ライオデュラであった。
(2) 東京訴訟,1997年9月,池藤勇さんの提訴ではじまった。大津訴訟の谷三一さんにつづき,全国2番目の提訴であった。
 2001年7月16日,東京地裁は,同月2日の大津地裁に引き続き,「早期の全面的,多面的,抜本的な解決」をめざして和解勧告をおこなった。
 そして,同年11月14日,大津・東京両地裁は,国と企業の責任を断罪する和解所見を提示し,国も和解協議に応じた。翌2002年2月22日,両地裁が合同で具体的な金額をもりこんだ和解案を提示した。
 同年3月25日確認書調印にいたるとともに,東京地裁でも結審ずみの9被害者につき和解が成立した。

2 東京訴訟の昨年1年間の経過と今後の課題
(1) 昨年総会の議案書に,それまでの和解の経過をつぎのとおりに報告した。
 「2002年3月25日の確認書調印は,薬害ヤコブ病被害者の早期全面救済に途を開くものであった。
 しかし,東京地裁においては,主として加害企業の頑強な抵抗のために,和解救済は遅々としてすすまなかった。確認書調印以降,2002年末までに和解が成立した被害者は,わずかに2名にすぎなかった。30名以上の被害者が未和解のまま残された。
 2003年にはいってから,ややペースがあがり,3月までに4名の和解が成立し,この1年間の和解成立は6名となった。それでもまだまだ,早期全面解決の実現には,ほど遠い状況がつづいている。
弁護団は,早期全面解決を文字どおり実現するために,いっそうの奮闘をする決意である。」
(2) しかし,その後,弁護団の奮闘の結果,和解成立のペースはやや上昇傾向をみせている。
 確認書調印時からの和解成立の経過は,つぎのとおりである。

2002年 3月25日被害者9名について和解成立
同年  10月15日被害者1名について和解成立
同年  12月16日被害者1名について和解成立
2003年 1月24日被害者1名について和解成立
同年   2月21日被害者1名について和解成立
同年   3月 4日被害者2名について和解成立
同年   3月28日被害者1名について和解成立
同年   6月27日被害者1名について和解成立
同年   7月14日被害者1名について和解成立
同年   7月24日被害者1名について和解成立
同年   9月12日被害者2名について和解成立
同年  10月31日被害者3名について和解成立
同年  12月12日被害者2名について和解成立
2004年 2月16日被害者1名について和解成立

 東京地裁に提訴済みの被害者の数は52名である。ようやく提訴済み被害者の過半にまで,和解が達したことになる。
 また,未提訴被害者の発掘についても,確認書調印後,とりわけ良心的な医師の協力をえて,かなりの数の被害者の発掘ができたと考えられる(もちろん完全ではないし,今後の発症も否定できない)。
 ひきつづき,未和解の被害者の和解救済,未提訴被害者の発掘に努力し,早期全面解決の実現に全力を尽くす所存である。