第三 公害裁判の前進と課題

五 薬害ヤコブ病のたたかいの前進と課題


1 はじめに

 「妻をかえせ!。子どもをかえせ!。愛する人をかえせ!」高橋昌平・薬害ヤコブ病東京支える会事務局長(当時)のシュプレヒコールは,2002年3月の確認書調印にいたるまで,霞ヶ関の厚生労働省前で何度も何度も響き渡った。このシュプレヒコールは,この事件を,短いことばでよく言い表していたと思う。被害者の家族たちは,国や加害企業に,そういう思いをぶつけてきた。家族の心からの叫び声が,多くのひとびとの心を揺さぶり,そして,ついには国や大企業の厚いカベをうち破った。約5年の薬害ヤコブ病訴訟を,ひとことで表わせば,そのようにいうことができると思う。

2 薬害ヤコブ病事件とは

(1) 病気や怪我の治療のために脳外科手術を受けたら,別の病気が頭に植え込まれた。
 病気は,クロイツフェルト・ヤコブ病。発病すれば短期間に痴呆が進行し,やがて遷延性植物状態に陥って,確実に死にいたる致死の病である。
 病気を持ち込んだ原因は,手術のときにつかわれたヒト死体乾燥硬膜ライオデュラであった。
 これが,薬害ヤコブ病である。この薬害の悲劇が,全国各地のさまざまな家庭に突然に襲いかかった。
(2) 薬害ヤコブ病訴訟は,大津地裁(滋賀県)と東京地裁(東京都)の2つの裁判所ですすめられてきた。
 大津訴訟(原告団長谷三一,弁護団長中島晃,同事務局長三重利典)の提訴は1996年11月であり,1年遅れて,東京訴訟(原告団長池藤勇,弁護団長畑山實,同事務局長阿部哲二)が1997年9月に始まった。
 それぞれ4年前後の審理をへて,2001年7月2日大津地裁が,7月16日東京地裁が,それぞれ結審にいたった。
 結審に際し,各裁判所は,「早期の多面的かつ抜本的,全面的な解決」(東京地裁和解勧告)をめざして和解を勧告した。そして,11月の各地裁の「和解所見」,翌2002年2月22日の両地裁連名の「和解案」を経て,3月25日の確認書調印にいたった。

3 この1年の動き

 確認書調印から2年が経過した。この2年は,確認書の内容を1つずつ着実に実現した過程であった。昨年総会以降の1年間の特徴的な動きは,つぎのとおりである。

(1) 個別の和解救済の進展
 1) 確認書調印後,個別被害者の救済のための和解協議を,大津と東京の各地裁で,すすめることになった。そこでの課題は,1つは提訴済み被害者の早期和解救済をはかることであり,もう1つは隠れた被害者を探し出して和解救済のレールにのせることであった。
 2) 1つ目の提訴済み被害者の早期救済については,昨年総会時までに比べれば,かなり進展しつつあるといってよい。総じていえば,各被害者の個別因果関係(各被害者がライオデュラ使用によりヤコブ病に罹患したこと)の確認について,被告企業側が,不必要に細かい議論に拘泥して頑強に抵抗している。そのため,2002年3月の確認書調印からの1年間は,とうてい順調に和解成立にいたっているとはいいがたい状況にあった。しかし,各弁護団の懸命な努力の結果,2003年にはいって,和解成立のペースが少しずつ上がっている。
 2003年12月末時点で,両地裁での提訴済み被害者数は合計85であり,そのうち和解成立にいたったケースは累計で49となった。提訴済み被害者の6割近くが和解にいたったことになる。
 とはいえ,まだ途半ばである。早期全面救済の実現のために,いっそうの努力が求められている。
 3) 2つ目の課題については,そもそも全国に散らばった被害者がどこのだれであるか,いっさい不明だという問題がある。厚生労働省が把握した100名余の被害者について,その家族さえも,知らされていないことが問題であった。
 確認書調印以降の原告団・弁護団のねばり強い働きかけにこたえて,厚生労働省側も,被害者の家族に対する情報提供に相当に力をいれて取り組んだ(諸般の状況からみて,そう考えてよい)。
 前述のとおり85名が提訴済みであるという状況は,そのことも,ひとつの要因であるといってよい。
 もちろん,提訴済み被害者がふえてきた要因はそれだけではない。被害者家族が弁護団(司法救済)にたどりつくには,さまざまなケースがある。とりわけ良心的な医師をはじめ,多くの方々の努力の成果であることを強調しておかねばならない。

(2) 琵琶湖畔に「薬害根絶の碑」を建立
 「こんな悲しい思いは,私たちだけでたくさんだ。2度と薬害の悲劇をくりかえしてはならない」それが,被害者家族たちに共通の痛切な願いであった。2年前の確認書で,被告企業らが支払いを約した金額のなかには被害賠償の和解金のほかに,「ヤコブ病被害者の慰霊,遺族・患者家族支援等」のためのお金がふくまれていた。
 このお金をつかって,薬害の再発防止・根絶の願いを形に現して広く国民にアピールしようと,「薬害根絶の碑」が建てられることになった。場所は,滋賀県の琵琶湖の畔,絶景の地であり,琵琶湖を訪れたおおくの人々の目にふれるところにある。
 「薬害根絶の碑」の題字は,坂口力厚生労働大臣の書による。2003年3月23日,その除幕式と「薬害ヤコブ病確認書調印1周年記念レセプション」がとりおこなわれた。
(3) ヤコブ病サポートネットワーク    ヤコブ病サポートネットワーク(略称ヤコブネット)は,わが国で初めて創設されたものである。ヤコブ病被害者をサポートする取り組み,すなわち被害者の家族からの連絡をうけて相談活動をおこない,専門家との連携をするネットワークである。
 ヤコブネットは,2002(平成14)年6月に設立されて活動を開始した。
 確認書では,「厚生労働大臣は,患者家族・遺族に対する精神的ケアを含む相談活動などの支援・援助事業を行うことを目的とする支援機構(サポート・ネットワーク)が設立された場合には,その活動に対する支援を検討する」と定められた。この確認書の具体化としての厚労省の支援を,確認書調印以降,求め続けてきた。
 2003(平成15)年4月からは厚生労働省の予算措置が講じられることになった。
(4) 国際CJDデー
 毎年11月の国際CJDデーにあわせて,2002年にひきつづき,2003年の終日行動を企画し,厚生労働省への申し入れ・交渉等をおこなった。
 交渉では,薬害教育に対する取り組みの強化などもとりあげられた。

4 今後の課題

 今後もひきつづき,未和解原告や未提訴被害者の早期救済等の課題にとりくむ。
 そして,薬害の再発防止・根絶のために,他のたたかいと共闘し連携しながら,ねばり強い取り組みをつづけていきたい。