第三 公害裁判の前進と課題

一 大気汚染公害裁判の前進と課題


1 大気汚染公害裁判の闘いと到達点

(1) 1972年7月24日の四日市公害裁判津地裁四日市支部判決は、国や地方公共団体の公害防止行政のあり方に大きなインパクトを与え、公害健康被害補償法へと結実した(1973年制定74年施行)。
 しかし、1973年のオイルショックとそれに続く構造不況の中で、政府財界は巻き返しに転じ、遂に公害被害者の要求と国民世論を無視する形で、1987年9月健康被害補償法の改悪を断行し、1988年3月より全国41地域の大気汚染公害指定地域は解除されて新たな認定は打ち切られた。
 こうした政府財界の巻き返しに対して、千葉川鉄(1975年提訴以下同)、西淀川(1次78年、2次〜4次84年以後)・川崎(1次82年、2次〜4次83年以後)・倉敷(83年)・尼崎(88年)・名古屋(89年)の大気汚染公害裁判が次々に提訴された。
 これら一連の裁判の中心は、工場公害(SOx被害)にあったが、西淀川、川崎、名古屋では、これに加えて、国・公団を被告とし、道路公害(NO2、SPM被害)責任もあわせて追求した。
 そして、1988年11月の千葉川鉄判決以降、1991年3月の西淀川1次判決、1994年の川崎1次判決、倉敷判決と、工場企業に対する原告側勝訴の流れは定着し、1990年代前半以降の裁判の焦点は、専ら道路公団(国・公団の責任)へと移っていった。
 こうしたなかで、1995年7月5日、西淀川2次〜4次判決は、自動車排ガス(NO2、SPM)と気管支ぜん息などの健康被害との因果関係を初めて認め、道路管理者である国・公団の公害責任を認めた(国家賠償法2条1項)。以後、川崎、尼崎、名古屋、東京がこれに続き、国・公団等の道路管理者の公害責任は裁判上不動のものとなった。
 とりわけ、2000年1月31日の尼崎判決に続き、同年11月27日の名古屋判決が、浮遊粒子状物質(SPM)と気管支ぜん息との因果関係を認めて、自動車排ガスの差止めと損害賠償を命じる判決を下したことの意義は極めて大きく、自動車排ガス、道路公害根絶への展望は大きく開かれたかに見えた。
(2) 東京大気汚染公害裁判
 東京大気汚染公害裁判は、従来の大気汚染公害裁判の到達点に立ちつつ、今もなお現在進行形で汚染と被害が拡大している自動車排ガス公害の根絶と、1987年の公健法改悪によって新たな認定がうち切られたことから、その後救済の手が差し伸べられていない未救済患者に対する新たな被害者救済制度の確立を求めて、1996年5月31日に東京地方裁判所に提訴された。(1)原告総数593名のうち未救済患者が約4割(1次から5次を含む)に達していること、(2)自動車排ガス公害とその被害は、限られた巨大幹線道路沿いに限られず、本件地域全域にいわば面的に広がっていること、(3)初めて自動車メーカー7社(トヨタ、日産、三菱、日野、いすゞ、日産ディーゼル、マツダ)を被告としたことに特徴があり、政治的にも影響力が大きい首都東京において、新たな救済制度の確立の要求を旗印にして、認定患者と未認定患者が互いに団結して闘いを進めている点は、特筆すべきことである。
 しかし、2002年10月29日の東京大気1次判決は、国・東京都・首都高速道路公団の公害責任を認めたものの(認容された原告の中には未救済患者が含まれる)、救済の範囲では、面的汚染が認められず、昼間12時間交通量4万台以上の幹線道路沿道50メートル以内に限定され、そのため損害賠償請求が認容された原告は7名のみにとどまった。差止請求についても、閾値が立証されていない以上差止基準を定めることができないという理由で排斥され、注目された自動車メーカーの責任についても、法的責任を否定した。

2 自動車排ガス公害根絶と被害者救済に向けて−各地の闘いの現状と課題

(1) すでに、判決が確定した西淀川、川崎、倉敷、尼崎、名古屋では、公害根絶と地域再生、まちづくりの取り組みが進められている。
(2) また、西淀川、川崎、尼崎、名古屋では、和解条項に従い、国との連絡会が定期的に開催されているが、和解後相当期間が経過しても、国の有効な道路公害対策の実施は不十分であり、道路公害根絶に向けて各地の連絡会を如何に実効性のあるものとして機能させていくかが課題となっている。
 こうしたなかで、尼崎訴訟の原告団が、国・公団に対して、和解条項の誠実な履行を求める公調委へのあっせん申し立てを行い、2003年6月26日にあっせん合意が成立した。その後、尼崎訴訟の原告団と弁護団は、上記あっせん合意に基づいて、11回にも及ぶ公開での「連絡会」でねばり強く国・公団と話し合いを続け、2005年1月21日、原告団や弁護団の要求をほぼ取り入れた「大型車交通量低減のための総合調査」の実施が合意され、調査は3月上旬から実施されることになった。国道43号線の大型車削減に向けて重要な前進を勝ち取ったものである。そして、尼崎での調査の実施は、西淀川、川崎、名古屋の連絡会での大型車削減の検討にも大きな影響を与えるものである。
 西淀川判決にはじまり東京まで、国は5回に亘って敗訴しているにもかかわらず、依然として、道路管理者としての責任を果たそうとしていない。今回のあっせん合意とそれを受けた連絡会での協議の前進は、国・公団が行ってきた和解条項の履行が不十分であったことが確認されたものであり、国・公団には、再度和解の趣旨に立ち返って、和解条項の誠実な履行が求められている。
(3) 東京大気裁判は、現在、1次が東京高裁で2次から5次が東京地裁で闘われているが、メーカー責任と面的汚染を中心に原告側のさらなる立証活動が続けられている。こうしたなかで、2次から5次裁判は、今秋にも結審を勝ち取り、来年にも判決が予想されている。
 また、法廷外でも、2002年10月の1次判決以後も、国、東京都、自動車メーカーに対する要請行動が、原告団・弁護団・東京23区、多摩地区の地域連絡会等の加盟する勝利を目指す実行委員会主体で続けられている。
 とりわけ、今秋結審、来年判決という闘いの展開を踏まえて、昨年末から100万署名運動がスタートしている。100万署名を早期にやりきることは勝利判決を勝ち取る不可欠の課題であり、原告団、弁護団の奮闘はもとより全国的にも大きな支援が求められている。
 自動車メーカーに対する闘いは、NOx・PM法並びに各地の環境確保条例によるディーゼル規制の実施に伴い、公害規制責任を果たそうとしない自動車メーカーに対し、ダンプ・運輸労働者、中小零細業者らとの共闘(ディーゼル共闘)による運動が東京、千葉、埼玉、愛知、兵庫、大阪へと着実に広がりつつある。一方東京をはじめとした全国でのトヨタディラ−要請行動と、昨年に続くトヨタ総行動の取り組みを通じて、トヨタをはじめとする自動車メーカーの社会的責任を浮きぼりにするたたかいも前進している。
 このように、原告団を中心とする粘り強い運動が繰り広げられ、国会内を含めて、一定の世論形成には成功しているものの、判決勝利と新たな被害者救済制度創設のためには、今後、質量ともに運動の飛躍的強化拡大をはかり、国民世論の支持を広げることが不可欠の課題である。とりわけ、東京都民のみならず、広く国民的な理解と支持を広げることが鍵となる。来年にも予想される次の判決までに、運動の飛躍が求められている。

3 今後の課題−全国的展開と共闘の必要性

 一昨年7月、公害弁連第2回幹事会での「大気汚染をめぐる今後の闘い」についての集中討議を皮切りに、昨年から今年にかけて、二度にわたって幹事会での討議が重ねられた。
 自動車排ガスによる大気汚染とぜん息等の公害患者の拡大は、東京のみならず全国の都市部でも確実に進んでおり、一部条例による医療費の助成等を除けば、新たな被害者のほとんどは未救済患者であり、汚染者負担の原則に立った新たな救済制度の確立が急務となっている。
こうした中で水俣病の被害者掘りおこしと全国展開の経過などを生かし、全国から未救済被害者を掘りおこし、この間の川崎での前進を教訓として、自治体に対し救済を迫る運動を強化する一方、国・自動車メーカーにたいしても救済制度確立を求める運動を強めていく方向で具体的な取り組みを行なっていくことが求められている。