〔1〕最終局面を迎える川辺川問題
川辺川利水訴訟弁護団 事務局長 弁護士 森 徳和


1 転換点となった福岡高裁逆転判決
 03(平成15)年5月16日、福岡高裁(小林克已裁判長)は、国営川辺川土地改良事業変更計画に対する農家の異議申立てを棄却した農水大臣の決定を取り消す画期的な判決を下した。農水大臣が上告を断念したため、農家勝訴の判決が確定した。
 その結果、94(平成6)年に策定された変更計画は無効となり、既に着工していた工事契約は全て解除された。事業主体の九州農政局は、新たに国営の土地改良事業計画を練り直すことになった。

2 事前協議始まる
 03(平成15)年6月16日、熊本県は、川辺川利水訴訟原告団、川辺川利水訴訟弁護団、川辺川総合土地改良事業組合、川辺川地区開発青年同士会、農林水産省九州農政局、熊本県農政部(以下「関係団体」という)に呼びかけて、川辺川土地改良事業に伴う事前協議を開催した。関係団体は、新利水計画の策定にあたり次のような合意(以下「合意事項」という)を行った。
(1) 新利水計画策定に当たっては、国、県、市町村が一体となって取り組み、県が総合調整の役割を担う。
(2) 対象地域への水源については、ダムによる取水に限らず、他の水源可能性についても調査を行う。
(3) 計画の規模等については予断を持たずに臨む。
(4) 対象農家約4400戸、一戸一戸に対して丁寧かつ迅速に意向の把握、集約を図る。それに基づき水源及び水利権 の客観調査を行う。
(5) 対象農家に対して公平に説明し、情報の提供と共有を図りながら進める。
(6) 新利水計画策定については、今後1年間をメドとして進める。
 合意事項では、新利水計画について、ダムによる取水に限らず、他の水源可能性についても調査を行うこと、計画の規模等については予断を持たずに臨むことが確認され、「はじめにダムありき」を見直し、新しい計画を策定することが基本方針となった。

3 「農家が主人公」を広める闘い(第1回意見交換 会から第3回意見交換会まで)
 合意事項に基づいて、7月11日から8月6日まで対象地域内合計10ヶ所で第1回意見交換会が、9月22日から10月21日まで合計43ヶ所で第2回意見交換会が、11月24日から12月13日まで合計23ヶ所で第3回意見交換会がそれぞれ開催された。第1回意見交換会は、市町村ごとに大きな会場を用いて行われたが、第2回及び第3回意見交換会は、集落ごとに関係農家から直接新利水計画に関する意見を聞くことを目的として開かれた。
 原告団・弁護団は、意見交換会のなかで今後の新利水計画は、「農家が主人公」という農政の基本原則に則って行われるべきだと訴え続けた。これまで、国営土地改良事業に関して、事業主体となる九州農政局や熊本県農政部の幹部が、集落ごとに話を聞いて回ったことはなく、関係農家は、新利水事業の進め方から農家が主人公であることを肌で感じるようになった。
 第3回意見交換会の意見書(アンケート)の集計結果によれば、水田の水確保の要望は、「必要」と「あった方が良い」を加えた人数は28%に止まり、「無くても良い」と「必要ない」を併せた合計41%を大きく下回っている。畑作用水の確保については、「必要」と「あった方が良い」を加えた人数は17%に過ぎず、「無くても良い」と「必要ない」を併せた合計47%を大きく下回っている。
 また、水源をどこに求めるかという質問に対して、「川辺川ダム」と回答した関係農家は、全体の23%に過ぎなかった。  さらに、新利水計画確定後、どの程度の期間までに水が来ることが望ましいかという質問に対しては、「2年以内」(20%)、「4年以内」(12%)という回答内容となっており、未記入が56%もあることを考えると、回答者の大半が4年以内という短い期間を希望していることが判明した。
 このように、水確保に関する要望は、全体の2〜3割程度しかないうえ、回答者の大半が。4年以内に水が来ることが望ましいと考えていることから、水が来るまでに最低10年でも以上かかるダム利水計画は、関係農家の要望とは掛け離れていることが明らかになった。
 このように、関係農家の意向が具体的な数字となって現れたのは、「農家が主人公」であることを訴え続けて闘った大きな成果であった。

4 九州農政局の巻き返しとこれを跳ね返す闘い(利 水計画たたき台の提示から第4回意見交換会まで)
 総合調整役を務める熊本県は、04(平成16)年1月には事業費、事業期間及び関係農家の負担額などを明らかにした新利水計画「たたき台案」を示すと説明していた。
 ところが、前述のように、第3回意見交換会の意見書(アンケート)の結果では、水源を川辺川ダムに求めると回答した関係農家は全体の23%に過ぎず、事業への参加を希望する関係農家の農地面積も700ha程度に止まった。そのため、九州農政局は、新利水計画のたたき台が作成出来ない状況に直面した。
 このような状況のもとで、九州農政局は、04(平成16)年2月9日、ダム案優位のたたき台3案を記者会見で公表した。すなわち、たたき台3案のうち、ダム案が最も事業費が安く、最も工期が短いという内容を示し、関係農家をダム案に誘導するという強行突破戦略に出た。
 原告団・弁護団は、合意事項のうち「対象地域への水源については、ダムによる取水に限らず、他の水源可能性についても調査を行う」「計画規模については予断を持たずに臨む」を踏まえ、九州農政局が「はじめにダムありき」という立場を改め、関係農家の意向を踏まえた計画にしなければ、新利水計画策定の試みは失敗することを繰り返し主張して、九州農政局の強行突破を押し止める闘いを続けた。
 九州農政局は、4月5日、熊本県立大学の中島教授の提案した中小河川案を含めたたたき台5案を提示して、ダム案優位のまま関係農家の意見交換会に入ろうと試みたが、原告団、弁護団は、10数回にわたる事前協議を通じて、九州農政局の提示したたたき台5案が、第3回意見交換会の意見書(アンケート)の結果を全く踏まえていないことを指摘して、ダム案優位のたたたき台の問題点を指摘し続けた。
 原告団、弁護団と九州農政局の激しいやり取りを受けて、総合調整役の熊本県は、6月6日、たたき台5案を棚上げにし、第4回意見交換会では示さないことを決定した。約半年間に及ぶ九州農政局の強行突破路線との闘いは、「初めにダムありき」という姿勢を改めさせて決着した。
 7月3日から7月16日まで合計42ヶ所で第4回意見交換会が開催され、堰掛かりなどを考慮して地域割りされた各集落ごとに、新たな水需要の有無に関する議論が行われた。第4回意見交換会では、関係農家の意見を汲み上げるために、農家同士の意見交換会が初めて実施された。

5 収用委員会の新たな動きと国土交通省の抵抗(対 象地域の概定とダム案・非ダム案の作成)
 第4回集落座談会と農家同士の意見交換会を踏まえて、関係農家に対する意見書(アンケート)が実施され、集落ごとの水需要が明らかにされた。その結果、新たな水を求める関係農家の農地面積は約700haに止まった。しかし、事業主体の九州農政局と熊本県農政部は、関係市町村の要望を汲み取る形で、1378haの対象地域を提示した。原告団、弁護団は、第4回意見交換会の意見書(アンケート)の結果を踏まえた対象面積にすべきであると主張したが、最終的に総合調整役の熊本県が、1378haを対象地域と概定する裁定を下し、概定された対象地域をもとにして、ダムを水源とする案(ダム案)、ダムを水源としない案(非ダム案)の2案を作成することになった。
 9月28日、九州農政局は、ダム案・非ダム案を関係市町村に示した。それによると、ダム案は総事業費490億円、年間の維持管理費約900億円という内容であり、非ダム案は農業用水を貯水する調整池の容量により総事業費は350億円、420億円、580億円の3通りあり、年間の維持管理費は約1億3000万円という内容であった。非ダム案の調整池容量は、柳瀬地点(相良村)の正常流量(夏7t/秒、冬4t/秒)を考慮する場合は25万t、人吉地点の正常流量(夏22t/秒、冬18t/秒)を考慮する場合は70万t、人吉地点の貯留制限流量(30t/秒)を考慮する場合は170万tと増大し、それに伴い総事業費も増大する関係にあり、非ダム案の成否は「正常流量」問題が左右することが明白になった。  また、飛行場水路、柳瀬西溝などの既存水利権の取り扱いも問題となり、新利水計画における既存水利権の位置付けがもう1つの論点として加わった。
 こうしたなかで、熊本県収用委員会は、約1年間休止していた収用委員会の審理を再開することを決めた。12月25日、再開された委員会において、塚本侃会長は、新利水計画が05(平成17)年春までに示されなければ、漁業権の収用申請を却下することを示唆した。また、仮に、新利水計画がダムを水源としないことが確定した場合には、多目的ダム法の主要な柱(かんがい)が失われるため、事業計画の重要な変更に該るか否かについて判断することになる旨の認識を示した。その結果、国土交通省は、05(平成17)年春までに新利水計画がダム案にまとまらなければ、収用申請が却下されるという瀬戸際まで一気に追い込まれた。
 第4回意見交換会以降、国土交通省九州整備局も事前協議に参加していたが、河川管理者として「正常流量」問題を盾に、ダム案・非ダム案とも遜色のない案として関係農家に提示することを目標として新利水計画作成を進める熊本県農政部に立ちはだかろうとしている。

6 新利水計画は、「住民決定」の試金石
 福岡高裁判決後始まった新利水計画の策定作業は、関係農家を主人公として参加させる「住民参加」段階を経て、関係農家が自ら今後の土地改良事業のあり方を決定する「住民決定」段階に入ろうとしている。
 また、川辺川ダム問題全体を見渡しても、新利水計画に携わる関係農家のほか、水没予定地の五木村、過去に水害被害を受けた流域住民、環境保全を唱える市民を巻き込んで、「住民参加」の時代から「住民決定」の時代へ移ろうとしている。05(平成17)年は、まさに「住民決定」の成否が問われる年である。