〔4〕小松基地騒音差止訴訟報告
弁護士 川本藏石


1 始めに
 我が国初の軍事基地を相手方とする小松基地の騒音等をめぐる訴訟は昭和50年に第1訴訟が提起、その後提起された2次訴訟と併合された後、名古屋高等裁判所金沢支部の平成6年12月26日判決をもってひとつの区切りを付けた。同判決では損害賠償は認められたが差止めについては却下されたいわゆる一部勝訴であり、日々の騒音被害に苦しむ原告等周辺住民にとって問題の根本的解決を避けたものであった。

2 3、4次訴訟提起の経過及び訴訟方針
 そのため1、2次原告等に対し判決内容の説明会を行なう中で、原告等の間で自然発生的に今一度新たな闘いを構築すべきだとの声が出てきた。原告団、運動体等従前の闘いを支えてきた人たちの間で論議を重ねた結果、以下のような方針の下で新たな闘いを構築すべきとの意見が大勢を占めた。
  1. 小松基地の騒音をめぐる訴訟は騒音被害に苦しむ人々を救済すると同時に、騒音の源すなわち在日米軍及び自衛隊の存在意義を明確に問う闘いでもあり、その意味で平和を求める闘いである。
  2. 騒音被害に苦しむ人たちにとって、損害賠償を認めるだけでは問題の根本的な解決にならないことを明らかにする。
  3. 裁判闘争を続けるにあたって、少なくとも基地周辺住民等に対し以上の訴訟方針を明らかにした上で広く原告団を募ることとする。

3 一審での審理経過及び判断内容
 右に述べた方針の下、騒音被害に苦しむ地域の人たちを対象にして、原告団募集の説明会を行なった結果、平成7年12月25日原告数1,653名で第3次訴訟、同8年5月21日原告数149名で第4次訴訟が提起され、両訴訟は併合されて審理された。
 審理における国の主張を要約すると、類似のこれまでの判決を無視するかのように、原告等の個別被害の内容の主張・立証を求め、差止については民事不適法というものであった。一方、原告等は民事差止の適法性の結論についてはいまだ判例上定まっていないこと、原告等が主張する被害は一定のコンター内に居住するものに共通する最低限のものであること、又生活妨害のみならず身体被害が発生しており飛行差止が認められるべきことを主張・立証した。
 一審の金沢地方裁判所判決は平成14年3月6日に言渡された。その内容は自衛隊機の離着陸によって基地周辺の住民等に会話、電話による通話、テレビ・ラジオ等の視聴、読書等の知的営み、家庭学習、休息などの日常生活の様々な活動を妨害されることによる多大な精神的苦痛及び騒音による不快感・圧迫感・恐怖感・不安感などを覚え、イライラする、怒りっぽくなる等の精神的・情緒的被害を認め、人格権侵害を認めた。しかしながら、原告等が訴えていた騒音による身体被害についてはこれを否定した。
 他方、民事訴訟による差止の適法性についてはこれを是認した。大阪国際空港訴訟最高裁判決、厚木基地1次訴訟最高裁判決の、離着陸のための管理作用が公権力の行使と一体の特殊のものであるとする「不可分一体論」を排し、法律の明確な根拠なしに周辺住民に騒音受忍義務その他の義務を課し得るのは困難であるとして、周辺住民の受忍義務の存在を否定し、防衛庁長官の行為の公権力性を否定し民事差止の適法性を認めた。

4 控訴審における課題
 一審判決は民事差止の適法性及び損害賠償の請求を認めた点では評価しうるものであったが、原告等が強く求めた身体的被害を否定し差止を認めなかった点で不満の残るものであった。当然のことながら原・被告双方の控訴を受け、現在名古屋高等裁判所金沢支部で審理中で、争点整理等の手続きをほぼ終えて本年5月から証拠調べに入る予定である。
 以上述べたように、控訴審における主たる争点は民事差止の適法性、差止の要件ともなる騒音被害としての身体被害が認められるか否かである。民事差止の適法性が肯定されかつ身体的被害が認定されれば、論理的には差止が現実的な射程に入ってくる。かかる点から身体被害の有無については特に重点的に取り組むことになる。具体的には公害裁判において今や広く認められている疫学的因果関係についての裁判所の正しい認識を求めると同時に、引き続き身体被害の医学調査を継続している。この点に関しては沖縄県が平成7年から同10年にかけて実施した航空機騒音による健康影響の調査結果も活用しながら、身体的被害が発生していることを立証していく予定である。
 又、自衛隊・在日米軍の適法性も避けられない問題として残っている。冒頭でも述べたように、本件訴訟は基地騒音被害の救済を求める闘いであると同時に、「静かで平和な空」の回復を願った闘いでもあるからである。ただ、留意すべきは原告等は抽象的に自衛隊等の違憲性を問題としているのではなく、被害救済の方法として日々苦しまされている騒音の源である自衛隊・在日米軍の存在を問題としている点である。なぜなら、それらの存在が憲法秩序上許されない存在であるなら、それらのものが日々発生する騒音を基地周辺住民等が受忍せねばならないいわれは全くなく、差止が認められてしかるべきだからである。
 かかる点からいって、これまでの裁判所の自衛隊等の存在の憲法判断を回避してきた姿勢は「人権救済の最後の砦、司法の番人」として全く不当と言わざるを得ない。なぜなら、明確な法的判断を回避し事実の積み重ねによって事実上その存在を是認するような態度は法治国家における裁判所の取るべき態度とはいえないからである。実際にも、裁判所のそうした態度が自衛隊の実態・役割を飛躍的に拡大し、従来の政府解釈で合憲とされた憲法9条は自衛のための最小限の軍事力の保有を否定しないという立論とさえも相容れなくなっている。
 詳細は避けるが、冷戦終結を受けて世界平和構築への動きが期待されたにもかかわらず、現実には自衛隊はアメリカの世界軍事戦略に組み込まれ、従来の国内・極東有事対応型から、アジア・太平洋有事対応型、さらには世界のどの地域の有事にも対応するようなものへと変質してしまっている。テロ特措法やイラク特措法を足がかりにして、大がかりな海外派兵が行われ、実質的には政府解釈でさえ認めていなかった集団的自衛権の行使がなされようとしている事実がそれを端的に示しているのである。
 重いテーマを抱えた訴訟ではあるが、本件基地騒音訴訟が軍事基地を相手方とした最初の訴訟であることの意義もそこにあるのではないかと考えている。