〔1〕新横田基地騒音公害訴訟報告
新横田基地公害訴訟弁護団


1 新横田基地公害訴訟は,1996(平成8)年4月,横田基地を離発着する米軍機の騒音被害等に苦しむ基地周辺住民が,アメリカと国を被告とし,夜間早朝の飛行差し止め,過去及び将来の損害賠償の支払いを求める裁判である。名称に「新」と冠しているように横田基地公害の歴史は古く,最初の提訴は1976(昭和51)年4月の旧一次訴訟に遡る。旧訴訟は,1993(平成5)年2月の最高裁判決(旧一・二次訴訟),1994(平成6)年3月の東京高裁判決(旧三次訴訟)により収束した。旧訴訟では,米軍機の飛行状態は周辺住民に損害を与える違法な状態であることが認められ,過去の被害に対する損害賠償の支払が命じられたが,住民の悲願である夜間早朝の飛行差止は,「支配権の及ばない第三者(国)」に差止を求めるもので不適法とされ,将来の損害賠償請求も認められなかった。

2 旧訴訟の最高裁判決にもかかわらず,国はアメリカと協議し,根本的な解決策である音源対策を取らせたり基地機能の見直しさせるなどの対策を行なわなかった。そのため,旧訴訟の原告らを中心に新たな訴訟を提起し,騒音被害の根絶を求めた運動を展開することになった。そして,三次にわたって新訴訟を提起し,最終的には東京都昭島市,福生市,八王子市,日野市,羽村市,立川市,武蔵村山市,瑞穂町,埼玉県入間市及び飯能市の9市1町の被害地域住民約6,000人が原告に名を連ねた。国に対する差し止め請求が不適法とされたことから,新訴訟では,夜間早朝の飛行差し止めを実現させるため,アメリカも被告とした。提訴後,訴訟団と弁護団は二度にわたる訪米行動を行い,アメリカ政府や議会関係者へ騒音被害救済への協力要請を行うとともに,ニューヨークタイムズ紙へも意見広告を掲載した。また,同じ米軍機の騒音被害に苦しむ韓国の被害住民や弁護団との交流も,新たに開始した。

3 アメリカを被告とする裁判は,日本の裁判所が外国政府を被告とした裁判を行うことができるかという民事裁判権に関する重要な論点を含むものであった。弁護団では,札幌学院大学(現明治学院大学)の原強教授の鑑定意見書を提出するなどし,日本の裁判所でアメリカを被告とした裁判を開始するよう求めたが,2002(平成14)年4月,最高裁は,「米軍機の飛行はアメリカの主権行為であるから日本の裁判権は及ばない」として住民の主張を認めなかった。日本の司法は,米軍機の飛行は違法状態にあることを認めながら,国に対する差止請求は「支配権の及ばない第三者の行為」,アメリカに対する差止請求は「アメリカの主権行為」とし,被害住民の裁判を受ける権利を否定して根本的な被害救済の道を閉ざしてしまった。

4 国に対する訴訟については,2002(平成14)年5月,東京地裁八王子支部が,飛行差し止めと将来の損害賠償請求は認めなかったものの,過去の被害に対し総額約24億円の損害賠償の支払を命じた。しかし,一審判決は,損害賠償を認めながらも「危険への接近論」に基づき賠償額を減額したり,共通損害を前提にしながら陳述書未提出原告の損害賠償を否定するなど多くの問題点を有していた。控訴審では,・アメリカに対する訴訟を認めないなら国に対する飛行差し止めを否定した最高裁判決を変更すべきであること,・国は自ら違法な状態を作出・放置しているのであるから「危険への接近論」による賠償の減免は許されないこと,・最高裁判決後も米軍機による騒音被害は依然として継続しているのであるから,騒音被害がなくなるまでの損害賠償(将来請求)を認めるべきであることなどを中心的な争点に据えた。また,この裁判は,法の支配の原理のもとで,度重なる司法判断にもかかわらず行政が違法状態を意図的に放置する場合に司法は何をなすべきか,すなわち,司法の存在意義そのものを問う裁判であることも強調した。

5 控訴審では,国を交えて進行協議を重ね,審理対象を一審判決のうち双方が不満な点に絞ること,大模訴訟に伴う必要な事務手続は当事者双方が協力し対応することなどを確認し,早期結審,判決へ向けた体制作りを行った。その結果,控訴審の主な立証活動は,被害地域を撮影したビデオテープの検証,原告代表者2名の本人尋問,基地周辺の現場検証に絞り込み,2004(平成16)年12月8日には,控訴から2年半,第1回口頭弁論から1年余で結審をむかえることができた。この春にも,控訴審の判決が言い渡される予定である。
 横田基地では,米軍の再編問題とも関連し,民間空港との共用空港化,あるいは自衛隊との共用空港化の動きが強まっている。被害地域の住民にとって,これ以上騒音被害が拡大するような基地機能強化の動きはとうてい受け入れられるものではない。裁判の勝利とともに,静かな眠れる夜の実現に向けて,みなさまのさらなるご支援をお願いしたい。