弁護士報酬敗訴者負担問題と公害弁連
弁護士 篠原義仁


1 この問題の一昨年末の状況は、突然浮上した「合意論」の名のもとにおける弁護士報酬敗訴者負担制度の導入を基軸として、「次期通常国会」に政府案が提出されるということで緊張関係が頂点に達しようとしていた。
 事実、法案は昨秋の通常国会に提出されたが、法務委員会の優先審議とならず、のちに述べる反対運動の高揚のなかで、審議入りすらできず、ついに2004年12月3日、廃案となった。国会解散なしに法案の廃案をかちとった事例は、識者によるとはるか昔の、1958年の警職法反対闘争以来のことで、国会解散に伴う、廃案よりも、はるかに大きな運動上の成果として評価してよいものといわれている。

 
2 この間の一連の取り組みの詳細な年表は、「風の会」小池信太郎氏が几帳面にまとめているが、節目の闘いについての要点的なまとめは自由法曹団の前担当次長の坂勇一郎氏が以下のとおり要領よくまとめているので、これを引用させてもらうこととする(自由法曹団通信1154号.2005年2月1日号参照)。

2002年 9月10日全国連絡会市民集会(約250名)。 
2002年11月22日日弁連集会(約800名の参加)。
2003年 1月29日全国連絡会デモ行進(約250名+30名)、国会内集会(約150名)。
2003年 3月 8日全国連絡会市民集会(約300名)。
2003年 5月30日日弁連1,000名パレード(弁護士・市民約1,300名)。
2003年 7月28日全国連絡会・司法総行動共催シンポジウム (各団体から約80名)。 
(司法制度改革推進本部パブリックコメント)
2003年10月23日日弁連シンポジウム(約100名)。 
2004年 2月24日全国連絡会主催、国会内集会(市民・国会議員約140名)。
2004年 5月20日日弁連市民集会(市民・弁護士・国会議員約300名)。 
2004年 7月21日全国連絡会・風の会・司法総行動共催、決起集会(約50団体が参加)。
(日弁連パブリックコメント)
2004年 9月28日日弁連市民集会(約700名)。
2004年10月12日全国連絡会国会内集会(約60団体)。

 これは坂氏が首都圏での主な活動としてまとめたものであるが、「風の会」も全てこれに関与しているといってよい。なお、「風の会」は、月1回の定例会を欠かさず開催し、また、パート1からパート9まで敗訴者負担を中心としつつ、様々な司法改革の課題につき、シンポジウムを開催した。

3 敗訴者負担問題について、日弁連推薦という形は取っていないものの、社会的には「日弁連」意見の代弁者と目されていた中坊公平氏が、当初、深い検討もなしに賛意を示したことから、外部からみると日弁連の当初の対応(日弁連対策本部事務局長斉藤義房氏12.11レジメでいう日弁連の主張「第一段階」)は、揺れのある対応に映り、全国連絡会、「風の会」からは、「わかりにくい日弁連の対応」として積極的評価の反面、消極的評価をもあわせうけていた。
 そして、その後の闘いの方向、スローガンも日弁連のそれと、全国連絡会、とりわけ「風の会」のそれとは重なりあう部分もありつつ、異なる部分もあって推移した。
 片面的敗訴者負担の日弁連主張と「風の会」の方針、合意による敗訴者負担制度に係る日弁連主張と「風の会」主張にそれが端的にあらわれているが、そのことは日弁連集会のタイトル「このままでは」反対というスローガンに対し、「風の会」が敗訴者負担制度の導入絶対反対という点にも示された。
 「合意論」の登場後(昨年報告以降)に関していうと、日弁連は「事前合意を無効とする修正」を求め、「風の会」などの市民団体は「法案の廃案」というストレートな要求を掲げて闘った。このことについては、「日弁連の方針は、その運動をさまざまな意見に配慮しつつ進める必要があり、また、法律専門家の立場から論戦を展開しなくてはならなかったということによるものであり、他方、市民団体の方針は運動を広げる観点から解りやすさ、広げやすさが求められたことによるものであったと思われる。」とも総括(坂団員総括)されているが、総括するのであれば、日弁連の検討会意見の歯切れの悪さ、片面的制度ならよしという、真正面から議論の対象に取りあげてもらえないような課題設定等々の一連の経緯を考えると、当初の中坊見解、日弁連の第一段階の対応のわかりにくさがもう一つの底流にあったのであり、そのこともまともに見つけ直し総括したいという、市民運動側の思いがあることも事実である。
 ともあれ、細かい法律的な展開に慣れていない市民運動側にとっては、闘いのスローガンは、たえずわかり易く、という基本認識があり、そのいみで市民運動側は、この制度の導入は絶対反対ということで要求をシンプルにまとめ取り組んだ。また、市民運動の眼からすると「シンプル・イズ・ベスト」で、そう要求を組み立てたことによって、訴えもしやすくなり運動の拡がりを保証するところとなった。日弁連的に片面的導入ならいいので導入しろとか、私的契約等に係る事前合意を無効にするなら導入してもよい(「このままでは」反対)とかというスローガンを立てたなら、市民運動側には大きな混乱が生じ、あのような取り組みは展開できなかったのではないかと総括されている。
 ちなみに、「合意論」浮上後に前記日弁連見解を支持する世論形成を行うことを1つの目論見として昨年夏に日弁連のパブリックコメントが募集され、1万2,000通を超える意見が集約された。
 そのパブリックコメントについても市民運動側は、わかりにくい日弁連資料を使わずにシンプル化した宣伝資料を独自に作り、但し、日弁連サポートの観点を貫きつつ、これに協力した。
 1万を超える意見集約は、国会要請行動と結合して世論に大きなインパクトを与えた。「風の会」は単純化した宣伝で意見集約に参加し、3,000を超えて4,000に迫る意見集約を行って、これに協力した(大気汚染公害裁判関係の集約数が最も多かった)。
 日弁連企画とは別に「風の会」としても独自の国会要請を行い、この制度の導入は絶対反対として訴えつづけた。

4 日弁連と「風の会」などの運動の進め方の異なる部分は前述のとおりあるが、それが総括の中心とはならない。総括の中心は、それぞれの立場の違い、運動の取り組みの相違をそれぞれが所与の前提として認めあい、その上で共同討議に基づいてある種の暗黙の任務分担のもとに共同の取り組みを進め、ついに廃案にもち込んだという積極面の評価に求め、そこに置くべきものと考える。
 その基礎になったのは、日弁連が市民運動に門戸を開放して2003年1月から32回にわたって「共同討議」の場としての各界懇談会を開催したことにあったといってよい。但し、この開放、開催が単純に実現したわけではなく、それは市民運動側の協力、すなわち日弁連集会への参加、1,300人デモの成功の寄与、司法改革推進本部のパブ・コメについての協力要請への対応等々に示された「協力」という、事実に基礎を置いて構築されたものといってよい。
 そして、それは闘いの最終盤で、日弁連が東弁の協力をえて東弁510号室を開放して市民運動側も出入り自由の活動の拠点を提供し、そこで共同の作戦会議ができるところまでに発展した。
 また、それぞれの組織の実情に対応しての相互補完的活動の実践が行われ、市民運動側としては、司法改革推進本部検討会の開催日における門前宣伝行動の継続的実践や検討会委員で強硬な導入意見をもっていた高橋座長(東大教授)、西川経団連選出委員(新日鉄出身)に的をしぼっての東大赤門前宣伝、新日鉄本社前宣伝に象徴される行動として展開された。すなわち、日弁連としてはオーソドックスに検討会での討議を行い、意見書を公表し、集会・シンポ等の企画を行い、他方、若干ゲリラ的になる前記行動は、市民運動側が補完的にこれを実践した。そして市民運動側の参加の中心は「風の会」が担い、そしてまた、その中核を東京大気原告団が担った。
 いずれにしても日弁連と市民運動の正しい共闘の実践は、ひとり敗訴者負担問題だけでなく、司法改革に係る他の分野の闘い、さらには、一般的な悪法反対闘争でも教訓的に総括され、生かされ追求される必要がある。