薬害イレッサ訴訟
薬害イレッサ西日本弁護団事務局長 永井弘二


1 はじめに
 イレッサは、イギリスに本社を置く世界的な大企業アストラゼネカによって開発された肺ガン治療薬であるが、イレッサの投与を受けて、間質性肺炎などの副作用によって死亡した被害者は、2002年7月5日の輸入承認から2004年3月末までで444人に上っている。
 2004年7月15日、大阪地裁に薬害イレッサ西日本訴訟が提起され、同年11月25日には、東京地裁に薬害イレッサ東日本訴訟が提起された。この訴訟は、イレッサの輸入承認をした国(厚労省)と日本で輸入販売したアストラゼネカの日本法人を相手どった、被害の救済を求める損害賠償請求訴訟(国家賠償訴訟)である。

2 イレッサとは
 イレッサ(一般名ゲフィチニブ)は、アストラゼネカ社が開発した肺ガン治療薬で、それまでの殺細胞的な抗がん剤と異なり、ガン増殖に関わる特定の分子を標的とする分子標的薬として、承認前後から、入院の必要のない飲み薬という手軽さも手伝い、「副作用の少ない画期的な夢の新薬」として大々的に宣伝された。イレッサの標的は、細胞増殖に関わる上皮成長因子受容体(EGFR)とされている。

3 販売直後から副作用被害が多発
 しかし、販売開始直後から、宣伝とは異なり、急性の間質性肺炎(ステロイドパルス療法が効を奏さない場合には、治療法のない致死的な疾患)等の急性肺障害の副作用症例が多数報告され、2002年10月15日には、厚労省の指示に基づき、アストラゼネカが緊急安全情報を発出し、添付文書の警告表示を改訂してきた。その後も、2003年4月までの間、アストラゼネカは、合計4回にわたり添付文書の記載を改訂し、その都度、急性肺障害に対する警告を増やしていき、原則入院処方とし、さらに急性肺障害の危険因子を記載するなどしていったのである。2004年3月までの副作用死亡者は、厚労省の発表によれば実に444人にのぼっている。

4 急性肺障害の予見可能性
 イレッサにより急性肺障害が発症する可能性については、すでに臨床試験や承認前の個人輸入による臨床試験外使用により副作用症例が報告されており、予見可能性があったことは明らかである。しかし、アストラゼネカは、臨床試験により急性肺障害を発症したという副作用報告やイレッサ投与により肺障害が悪化したという動物実験の結果などを厚労省に正確に伝えていなかった。
 また、厚労省も、海外等の臨床試験症例で重篤な肺障害を発症した事例が報告されていたにもかかわらず、そうした症例について検討をほとんど行わないままイレッサの承認をした。
 そして、分子標的薬としてのイレッサは、「ガン細胞に特異的に作用し、正常細胞に対する侵害の少ない夢の新薬」として大々的に宣伝されてきたが、イレッサの標的分子であるEGFRは、ガン細胞だけでなく正常細胞にも広く発現するものであり、ガン細胞だけを特異的に攻撃するわけでないことは、医学的にも常識的な事柄であった。

5 イレッサの有用性の否定
 医薬品の有用性は、有効性と安全性の総合考慮により定まる。イレッサの場合、副作用被害による死亡者は極めて多数にのぼり、安全性の側面から見ただけでも有用性は否定されるべきであった。
 さらにイレッサについては、有効性自体がないことも確認されたのである。承認直後である2002年8月、アストラゼネカは、インタクトと呼ばれる大規模臨床試験結果を報告した。ここでは、従来の抗がん剤との併用によっても、イレッサには寿命延長効果がないことが確認されたのである。
 抗がん剤の有効性は、本来、治癒率にて決せられるべきであるが、現在のところ、特に固形ガンは、これを治癒させる薬が存在しない。そこで、次の有効性の指標は、「延命効果」になる。イレッサでは、インタクト試験の結果により、この延命効果が否定されたのである。
 それでもなお、アストラゼネカや厚労省は、インタクトは、他剤との併用による延命効果が否定されただけであり、イレッサ単剤での有用性が否定されたわけではないと、イレッサの販売継続を強行してきた。
 ところが、2004年12月、今度は、イレッサ単剤とプラセボ(偽薬)を比較した大規模臨床試験(ISELと呼ばれています。)の結果、イレッサには、単剤でも延命効果がないことが確認されたのである。この結果、イレッサには抗がん剤としての有効性もないことが、世界的にも確定されることとなった。英国アストラゼネカ本社は、2005年1月5日、EUへのイレッサ承認申請を自ら取り下げざるを得なくなった。
 このように、ISEL試験の結果は、イレッサの抗がん剤として生命線にとどめを刺したものと言える。こうした動きを受けて、厚労省も、2005年1月20日、急遽、ゲフィチニブ検討委員会を開催して、イレッサの処遇について議論することとした。この検討会の結論次第では、直ちにもイレッサの販売が停止されるなどの措置が取られる可能性がある。

6 本件訴訟の目指すもの
 本件訴訟の目的は、まず、何よりも被害者の損害の速やかな完全回復であることは言うまでもない。
 しかし、それに留まるものでもない。イレッサの問題は、現在の抗がん剤、否、全ての医薬品についての承認審査のあり方、医薬品の販売方法のあり方が問われている。イレッサは、延命効果という抗がん剤の有効性が確認されないまま販売されてきた。これは、奏効率(腫瘍が縮小する率:奏効率がある程度認められても延命効果があるとは限らない)を基準に仮免許としての承認がなされた結果です。抗がん剤では、この奏効率という仮免許により承認され、本免許である延命効果は、販売後の臨床試験によって確認すれば良いという制度となっているからである。しかし、これは、仮免許により一方で莫大な利益を挙げながら、他方で本免許取得のための臨床試験を行うことを許容しているに他ならない。そして、その過程でイレッサは444人以上もの人命が奪われたのである。現在、日本癌治療学会は、こうした抗がん剤の承認審査基準改め、延命効果を確認した上で承認するようガイドラインの改訂することとした。
 また、このように仮免許のままでありながら、イレッサは、副作用の少ない夢の新薬として大々的に宣伝され、まるで、ハンバーガーでも売るように爆発的な量が売られてきたのである。医薬品は、本来人体にとって異物であり毒物であることをその本質とするが、中でも抗がん剤は100%毒物である。それは、ガン細胞は正常細胞が変化したものに過ぎないため、ガン細胞だけを特異的に攻撃するということは極めて困難であるからである。こうした毒物である抗がん剤をハンバーガーのごとく売り、売らせることなどあってはならないことである。
 こうしたイレッサにおける承認審査や販売方法などの問題は、現在の医薬品一般が置かれている問題状況が集約的に現れたものと言える。本件訴訟では、こうした現在の医薬品の置かれている問題状況の解明も、必然的にその目的となる。  最後に、本件訴訟では、ガン患者の生命の尊厳が、改めて問い直されなければならないと考えている。イレッサの問題については、余命幾ばくもない肺ガン患者であるから、一方で抗がん剤により延命する人がいるのであれば、ある程度の副作用死が生ずることはやむを得ない、という議論がまかり通ってきた。
 しかし、本当にそうなのでしょうか?ガン患者は、「ある程度死んでもやむを得ない」のであろうか?一方に効く人がいるのであれば、他方で死ぬのはやむを得ないのであろうか?
 薬害イレッサ訴訟は、こうした人間の生命とは何かという、より根本的な問題の解明をも託された訴訟であると思う。
 皆様の多大なるご支援を切にお願い致したい。