【新嘉手納基地爆音訴訟関係】

声     明

 本日、那覇地方裁判所沖縄支部は、新嘉手納基地爆音差止訴訟の判決を言い渡したが、その内容は、原告団の悲願であった騒音の差止を認めなかったばかりか、損害賠償についてもW値85以上の地域しか認めず、1998年に福岡高裁那覇支部が下した、いわゆる旧訴訟判決からも後退しているうえ、全国の各基地訴訟判決で認められてきた、W値75以上の騒音は受忍限度を超えるとする裁判所の判断の主流にも反し、市民感覚のまったく欠如した、きわめて不当なものとなった。
 また、米国を被告とする訴訟の判決もあわせて言い渡されたが、これも、横田基地訴訟最高裁判決を無批判に踏襲し、被告への送達すら行わないままに訴えを却下するというものであった。
 1972年5月、沖縄は本土に復帰したが、「基地の中に沖縄がある」という状況は、復帰後も何ら変わることはなかった。嘉手納基地の激しい爆音も一向に減ることはなく、周辺住民は日夜爆音被害に苦しめられ、健康を害する者も現れた。
 このような「基地沖縄」の現状に対して、沖縄の本土復帰から10年後の1982年、嘉手納基地の周辺住民は、爆音差止訴訟、いわゆる旧訴訟を那覇地方裁判所沖縄支部に提起し、原告数は最終的に907名に達した。
 この旧訴訟では、1998年に福岡高裁那覇支部で控訴審判決が出されて確定した。その内容は、爆音の差止は認めないが、爆音被害の違法性を認め、国に対して過去の損害賠償を命じるというものであった。また、国が主張していた、いわゆる危険への接近論について、全国各地の基地騒音訴訟では初めて裁判所がその適用を明確に排斥した点で、一定の成果もあった。
 そして、2000年3月、嘉手納基地周辺住民は、今度は原告数5500名を越える規模で新・嘉手納基地爆音差止訴訟を再び那覇地裁沖縄支部に提起した。
 これだけの数の原告が、時間的にも経済的にも、そして精神的にも相当な負担を強いられるであろう裁判に再び立ち上がったのは、いうまでもなく、静かな夜を帰してほしいという基地周辺住民の切実な願いが今もなお一向に実現されていないからである。
 旧訴訟の1審判決後、沖縄でも遅ればせながら、日米合同委員会において騒音防止協定が締結された。しかし、現在もなお、その内容は全くといってよいほど守られていない。特に、2001年9月11日の米国同時テロ事件以降、嘉手納基地の爆音はますます増悪する様相を見せている。このような現状について、毎年6月の全国公害被害者総行動デーには、本訴訟原告団も代表を東京へ派遣し、防衛施設庁及び外務省に対し、爆音被害が軽減するどころか増悪しており、騒音防止協定は全く守られていないことを必死に訴え続けているが、国は「問題があるとは認識していない」などという答弁を繰り返している。
 今回、「静かな夜を返せ」という原告の切実な願い、すなわち国及び米国政府に対する差止請求をいずれも排斥した裁判所に対しては、このような嘉手納基地の現状と住民の苦しみに目をそむけ、国民の権利救済をその本来的職責とする裁判所が、自らの任務を放棄したものとの厳しい批判を向けざるを得ない。
 加えて裁判所は、爆音被害の違法性を旧訴訟以来3たび認めながら、被害救済の範囲を旧訴訟よりも後退させるという誤りを犯した。先般言い渡しのあった沖縄靖国訴訟の判決もそうであったが、裁判所はもはや、訴訟当事者である原告と正面から向き合うことすら放棄しているのではないか、との深い憂慮を抱かざるを得ない。
 国は、爆音被害の違法性をきちんと認め、騒音防止協定が守られていない現実をきちんと認識し、防音工事のような小手先の対応ではなく、今度こそ抜本的な騒音対策を講じるべきである。嘉手納基地が誕生して既に60年、沖縄の本土復帰から数えても33年が経過している。このまま激甚な騒音被害を放置することは人道的にももはや許されない。国は直ちに、夜間・早朝の飛行を停止させ、昼間の騒音も軽減させ、これ以上の被害の拡大を食い止めるよう全力を尽くすべきである。  世界的規模での米軍基地の再編が日米間の外交課題となる中で、われわれは、嘉手納基地への更なる軍事機能の強化集中を断固拒否すると共に、爆音被害からの真の救済を求めて、控訴審を含め、さらに闘いを続けていく所存である。

2005年2月17日
嘉手納基地爆音訴訟原告団
団長  仲村 清勇
嘉手納基地爆音訴訟弁護団
団長  池宮城紀夫