弁護士 早川光俊

リオから10年―悪化する環境・開発問題

 1992年6月にリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議(地球サミット)」は、リオ宣言、森林原則声明、アジェンダ21を採択し、気候変動枠組条約と生物多様性保全条約の2つの条約を成立させた。
リオから10年。京都議定書、バイオセーフティ議定書など、環境問題めぐる国際交渉ではいくつかの重要な前進はあったものの、「アジェンダ21」はほとんど実行されず、ほとんどの分野で環境に関する状況は悪化した。大気中のCO2濃度は増加し、1990年代は1860年に計器による観測が始まって以来最も暑い10年だった。深刻なダメージを受けているサンゴ礁の割合は1990年の10%から2000年には 27%にまで増加し、世界の天然林は年間1420万haの割合で減少した。また、経済のグローバリゼーションが急速に進行し、最貧層20 %と最富裕層20%の所得格差は、1990年には1:60であったが2000 年には1:78にまで広がった。

ヨハネスブルグ・サミットの課題

 リオから10年目に開催される「持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)」の課題は、①「アジェンダ 21」が何故実施されなかったのかを検証し、②環境と貧困、多国籍企業の規制の問題やリオ以降に問題化した環境問題について議論し、今後10年の具体的な数値目標をもった行動計画を策定し、③京都議定書などの環境条約を一刻も早く確実に実施することを確認すること、④そしてなによりも世界貿易機関(WTO)などが進めているグローバリゼーションより環境問題の解決が優先することを確認すること、であった。

期待を裏切ったヨハネスブル・グサミット

 残念ながら、ヨハネスブルグ・サミットはこうした期待を大きく裏切る結果となってしまった。「アジェンダ21」の検証はまったくなされず、採択された「ヨハネスブルグ実施計画」は、深刻化している環境問題に対応するものにはなっていない。先進国は、グローバリゼーションの進展が貧困問題と環境問題の解決のために必要だと主張し、グローバリゼーションが貧困問題と環境問題の元凶であるとする世界の市民・NGOと対立した。WTOと多国間環境条約(MEA)との関係については、今後の大きな課題として残された。
 温暖化問題の解決のためにも、エネルギーへのアクセスが困難な20 億の人々の人間としての基本的なニーズを満たすためにも、切実に求められていた再生可能エネルギーの数値目標については、アメリカや日本が頑強に抵抗し、数値目標なしの合意になってしまった。しかし一方で、京都議定書の発効に弾みがついたこと、いくつかの分野で数値目標が設定されたこと、企業責任を強化するための新たな国際的枠組みを構築する可能性が残されたことなどの前進もあった。

日本のNGOの活動と日本政府の対応

 サミットに参加した日本の市民・環境NGOは、正確にはわかりませんが約70団体、350人から400人くらいだったと思う。世界のNGOが集うナズレックのグローバルピープルズフォーラムで展示をしたり、ワークショッやシンポジウムを開催したり、イベントを行ったり様々な活動や交流が行われた。
 また、政府間会議の行われていたサントンの国際会議場で多くの日本のNGOが政府間交渉を見守り、日本政府と毎日「ブリーフィング」を持ち、交渉状況の説明を受け、意見交換を行った。また、京都議定書問題や再生可能エネルギーの数値目標、ジェンダーの問題で共同声明を発表したり、大木環境大臣、川口外務大臣、小泉総理大臣への懇談を申入れたりした。申入れに応じて会ったのは大木環境大臣だけであったが、こうした日本のNGOの活動は政府交渉団の交渉姿勢に一定の影響を与えたと思われる。
 また特筆すべきは若者のグループの活躍で、約50人の日本の若者がそれぞれのテーマを決めて政府間交渉を監視し、日本政府とのブリーフィングでも積極的に質問や意見表明をしていた。リオのときの日本のNGOは、政府間交渉を監視し、日本政府にロビー活動を行うなどの発想はなく、日本政府のブリーフィングも1回しか行われなかった。リオに比べて、日本のNGOは明らかに進歩した。
 日本政府は、京都議定書問題ではファシリテーター(調整役)として積極的な役割を果たしたが、「共通だが差異ある責任」などのリオ原則についての交渉や、再生可能エネルギーの数値目標問題などではアメリカなどといっしょに後ろ向きの交渉姿勢をとり続け、日本に対する国際的な信頼を大きく損ねる結果となった。

政府代表団へのNGOの参加問題

 今回のサミットでは、環境、開発から各2名、ジェンダーから1名の 5名のNGO代表が日本政府代表団の顧問として参加した。代表団に5 名の顧問が入ったことは評価できるが、その選考過程の透明性や選考の公平性には大きな問題があった。また、選考時期が会議の直前で、市民・NGOの提言・提案を日本政府のサミットに向けた準備過程に反映させることができなかったこと、顧問の役割、守秘義務の範囲が明らかでなく、せっかくの顧問が期待された役割を果たせたとは言えない面があったこと、顧問を通じて広く各分野で活動する市民・NGOの意見を日本政府の方針や交渉に反映させるシステムがなかったこと、などは今後の問題として残された。

残された課題

 ヨハネスブルグ宣言や行動計画には、随所に「北」と「南」の政府の主張に妥協した記述が挿入され、WT0と環境条約の関係、貧困問題、途上国の債務問題や多国籍企業の規制など、先送りになった課題も多い。
 リオから10年の経験は、情報に精通し、活動的な市民のみがこうした状況を打開する力となりうることを示している。国益や利害にとらわれず、「地球市民」として考え、行動する市民・環境NGOの役割は大きい。世界の市民・NGOが、国際的な環境問題の意思決定に参加できる民主化な制度を構築する活動を連帯して進めることが求められている。