公害弁連ニュース 139号




巻頭言
差止裁判での一連の前進を定着させよう!

代表委員 弁護士 吉野高幸

10月3日の「東京地裁が圏央道(首都圏中央連絡自動車道)裁判で、住民側が申し立てていた執行停止を認めた!」というニュースには、大変驚かされました。たまたま私は、その前日北欧の視察旅行(福岡県弁護士会の有志で行った司法制度・環境問題についての視察を兼ねた旅行)から帰ったばかりだったせいもあり、一瞬「日本の裁判所もかなり良くなったのかな?」等とも感じたものです。
 勿論事案の内容から言えば、住民の要求は極めて正当ですし、行政事件訴訟の執行停止の要件を立法趣旨どおりにキチンと運用すれば(本案判決がでる頃には代執行が進められ現実に道路ができあがったりしていたのでは裁判自体無意味になりかねないので)執行停止を認められるのが当然です。しかし、差止裁判、さらには行政訴訟にについてのこれまでの裁判所の動向を前提に考えると、今回の決定を聞いて「ビックリ」したのは、公害弁連の関係者のなかでも私一人ではないのではないでしょうか。
 しかし、このニュースの直後の10月5日開催されたプレシンポに参加して、この間の差止裁判についての一連の前進を改めて実感することができました。94年12月に開催された「差止裁判シンポ」と比較すると、この間の前進は目ざましいものがあります。各地の廃棄物処分場での差止判決や尼崎・名古屋南部の大気汚染判決、そして今年5月16日の川辺川利水訴訟の福岡高裁判決さらに圏央道執行停止決定など……。しかも、各地で公害調停などを活用した新しい取り組みも進んでいます。当日のシンポの中でも指摘されましたが、この間の成果とこれをもたらした取り組みの教訓をさらに深め、東京大気や有明海訴訟などに生かし、現在の前進を定着させるため公害弁連としての継続的な取り組みを強めようではありませんか。





日本環境会議滋賀大会(9/13〜15)の報告

弁護士 村松昭夫

1、去る9月13日〜15日、「環境再生と維持可能な社会―Sustainable Societyを目指して―」を統一テーマにして、第22回日本環境会議・滋賀大会が彦根市の滋賀県立大学と滋賀大学を会場に開催されました。大会は、13日に見学ツアー、14日に国際シンポ、レセプション、15日には4つの分科会が行われ、のべ700名を超える参加者がありました。特に、第3分科会「公害被害の実態と救済―日中韓における事例交流を中心に」は、環境再生の出発点でもある公害被害の救済問題に焦点を当て、中国、韓国からの学者、弁護士の参加も得て活発な討論が行われました。分科会には、学者、弁護士、公害患者、支援者、市民など合わせて70名を超える参加があり、私と中島晃弁護士が共同座長を務めさせていただきました。
2、日本、中国、韓国の学者、弁護士、公害被害者が一堂に会して、具体的な事例報告を中心に公害被害の救済に向けた討論が行われるのは、今回が初めての試みでした。従来、日本においては4大公害裁判から30年以上に亘って被害救済の運動、裁判などがねばり強く取り組まれ、個別事例での救済や救済制度の整備などが勝ち取られてきましたが、中国や韓国では、司法制度の整備や民主化の遅れ、さらには国家的規模での経済成長重視の政策が進められてきたことなどから、公害被害の救済に向けた取り組みは極めて不十分なものでした。ところが、近時、両国でも、先進的な環境NGOがこうした問題に積極的に取り組むようになり、裁判等の司法制度を利用した公害被害の救済の取り組みが急速に進展しています。こうしたことから、今回の分科会には、中国からは中国政法大学公害被害者法律援助センターを、また韓国からは韓国環境運動連合訴訟センターとグリーンコリア環境訴訟センターをそれぞれ招待し、公害環境問題をめぐる紛争処理の実態を明らかにし、問題解決を図るための手法や各関係者の役割、さらにそれぞれが抱えている課題などについても報告、議論を行いました。
3、分科会では、はじめに、日本から、昨年10月に1審判決が出され現在新たな救済制度の構築に向けて闘いを進めている東京大気汚染裁判と、昨年広範な世論のなかで全面解決を勝ち取った薬害ヤコブ病の闘いの2つの報告が行われました。
 続いて、中国の公害被害者法律救済センターの王燦発氏が、中国における最新の環境訴訟の発展の動向と問題点を報告しました。中国では、環境訴訟が毎年25%づつ増加し、権利救済の声が高まっており、裁判所が集団訴訟を受け付けるなど変化してきているとのことであり、最近では、北京市が許可した国の動物実験施設の建設問題について、環境影響評価が行われていないとして、裁判所がはじめて建設許可の取消しを認める住民勝利の判決を出したとのことでした。一方、開発が遅れている西部では、経済成長が優先され弁護士不足などもあり、公害被害救済の取り組みも遅れているという問題点も報告されました。  韓国からは、訴訟センターの朴泰弁護士がメヒャンリ(梅香里)の米軍射爆場の騒音被害をめぐる損害賠償訴訟について、また環境訴訟センターの朴五淳弁護士がソウルの大気汚染の状況と被害救済の裁判準備の現状等が報告されました。さらに、会場からの質問に答える形で、両弁護士が一緒に取り組んでいるセマングム干潟の大干拓事業の差し止め裁判において、7月にこれの執行停止という画期的な仮処分決定が出されたことも報告されました。これは、環境保護の観点から科学的データに基づいて国家的プロジェクトの中止を認めたものであり、その意味では日本にもかつてない画期的なものであります。
4、討論では、コメンテーターの吉村良一立命館大学教授と磯野弥生東京経済大学教授から、それぞれ日本の公害裁判が加害者を明確にするなかで権利救済の道を切り拓いてきたこと、しかし、公害裁判は時間がかかり、救済も事後救済でその範囲も狭いなどの問題点を抱えていること、その意味で裁判とそれ以外の救済の仕組みをどう作るかが今後の課題であるとの指摘や、中国などでは訴訟費用が払えないために泣き寝入りを強いられるなどの司法へのアクセス障害が存在しており、訴訟救助や弁護士費用の問題など克服すべき課題を抱えていることなどが指摘されました。  最後に、中島弁護士が、各国の事例報告の共通点として、公害・環境裁判が前進するための基本的条件が、・裁判を闘う被害者が存在すること・被害者と共に不屈に徹底的に闘う弁護士集団が存在すること・闘いに協力する専門家集団が存在すること・物心両面から被害者を支える支援集団が存在すること・被害救済を求めるマスコミと広範な世論が存在すること・被害者の声に真剣に耳を傾ける可能性を持った裁判所、裁判官が存在することの6点にあることを指摘し、このまとめを全体で確認して分科会は終了しました。
 分科会は、約3時間と極めて短時間でしたが、どの報告も刺激的であり、何よりも中国や韓国におけるめざましい公害・環境訴訟の前進には、本当に驚かされる思いでした。また、この間の様々な交流でいつも感じてきたことは、中国でも韓国でも、若手弁護士が運動や裁判の中心に座って頑張っていることであり、そのことが中国や韓国での環境運動や裁判の前進に限りない可能性を感じさせています。
 なお、大会終了後の午後2時〜4時には、番外編として、公害弁連主催による日本、中国、韓国の参加者による懇談会ももられました。これには、公害患者も参加して、分科会の報告に対する質問や公害・環境裁判を進める上で悩んでいることや日本への要望、今後の交流についてなど、フランクな交流が行われました。
 ちなみに、来年3月にも、熊本で3カ国によるワークショップが予定されており、引き続き親密な交流を行っていきたい。





公害弁連「国際交流基金」へのカンパのお願い

代表幹事 近藤忠孝

 ご承知のように、近年、公害弁連では国際交流の取り組みを強めています。お隣の韓国との間では、1990年代後半から、公害弁連の弁護士による韓国の環境保護NGO訪問、韓国の弁護士の公害弁連総会への参加、韓国の司法修習生の日本での社会研修の受け入れ等がはじまりました。こうした積み重ねの上に、昨年8月には、公害弁連が主催団体のひとつとなり、ソウルで「日韓公害・環境訴訟シンポジウム」を開きました。シンポジウムには日本から30名が参加し、充実した討論を通し、相互の信頼を一層深めました。シンポジウムを契機に、その後韓国ではソウルで大気汚染訴訟を提起することが検討され、今年4月には、韓国から弁護士らが来日して東京大気汚染訴訟弁護団と実務的な情報交換を行う動きも生まれています。また、今年7月にも、韓国から7名の司法修習生が来日し、約2週間にわたり日本の公害訴訟についての研修を行いました。
 韓国以外では、昨年11月に中国で開かれた中華全国律師(弁護士)協会・国家法官(裁判官)学院・中国政法大学が共催する「環境法セミナー」に、公害弁連の弁護士が招待されました。セミナーでは特別講義「日本の公害裁判」が企画され、中国全土から集まった120名以上の裁判官と弁護士から、日本の公害被害救済の取り組みへの熱い関心が寄せられました。
 さらに、この9月に開かれた日本環境会議滋賀大会に日中韓の弁護士らが結集した機会を生かし、公害弁連が主催して「中韓日の公害被害者救済に関する懇談会」を開催し、国際連帯をさらに強めていく意志を確認しあいました。
 アジア・太平洋戦争とその後の経済進出を通し、日本は、アジア各国の政治、経済、社会の健全な発展を阻害し、環境破壊、公害被害の発生を助長してきました。公害弁連では、単なる地球村の一員としてのみならず、かかる歴史を踏まえた責任のありかたとして、今後とも、国際交流活動を拡げ、深めていきたいと思います。
 ところで国際交流活動には、渡航費、通訳・翻訳費等、国内活動とは異なる出費が伴います。これらの出費につき、これまでは、交流活動に携わる個人が基本的に出費してきました。これからも、渡航費、滞在費等については交流行事に参加する個人の自己負担を原則としつつ、例えば外国からの来訪者がある場合の通訳費、日常的な情報交換に伴う通訳、翻訳費等については、公害弁連としても適切な範囲で負担できる財政的基礎を整えたいと思います。このため、幹事会で討議の上、みなさまにカンパを募って公害弁連内に「国際交流基金」を発足させる運びとなりました。
 どうかこの趣旨をご理解いただき、ご協力下さるようお願い申し上げます。

国際交流基金の概要
基金の目的公害弁連が行う(または幹事会で支援を決定する)国際交流活動の活動資金の調達
基金目標額200万円
カンパ依頼額1口1万円。1口以上の任意の口数。
役 員理事長近藤忠孝
理 事内田茂雄/斎藤一好/千場茂勝/花田啓一/加藤満生/豊田 誠/榎本信行/中島 晃/馬奈木昭雄/吉野高幸
事務局長松浦信平
カンパのお振込先郵便局振替口座
口座番号 00150―5―721690
口座名称 松浦信平






日本での研修
―韓国司法修習生の日本滞在記・前編―

全 鐘元
>> (後編へ)

 韓国の司法修習制度では2年目の7月に「専門機関研修」がある。環境法に関心を持つ修習生で構成する「環境法学会」の会員は、ヨーロッパと日本にわかれ、研修を行なうことになった。私は、韓国と文化的、社会的に密接な関連を持つ日本を選択した。良心的で優れた日本の弁護士たちに会うことを、大いに期待した。総勢7人が、日本での研修を選んだ。
● 7月2日(水曜日) 日本へ
 日本に着いた私たちは、東京での私たちの研修を担当して下さる松浦弁護士の出迎えをうけた。松浦弁護士は韓国留学の経験があり、韓国語で意思疎通できる。ことばの通じない東京に着いて不安だった私たちは、ようやく安堵した。その晩は松浦弁護士の案内で、渋谷にある飲食店で夕ごはんを食べたが、日本人が小食であることに驚いた。日本での滞在期間中、私は満腹になることはほとんどなかった。お酒も、私たちは倒れるまで飲むが、日本人は2杯程度が限度のようだ。ホテルに戻り、私たち一行は、狭い一室に7名が集まり、肩を寄せ合いながら、これからの日程などを話し合った。
● 7月3日(木曜日) 東京大気汚染 現場訪問
 この日は小海弁護士の案内で、東京大気汚染現場を回った。東京では、放射線道路、環状線道路などが複雑に交錯している。私たちが見学したところは、高架道路と高速道路が、3、4層に重なるところで、大気汚染はもちろん騒音も深刻な場所だ。修習生のひとりは、かつて日本に行った友人から、「日本では道路を上下に重ならせてとても上手に作っている」と聞いたそうだ。しかし、開発と環境は、常に緊張関係にある。開発の面だけ見て即断するのは危険なことだ。
 午後は、病院施設内に設置された原告団事務所を訪問した。初めに、喘息患者についてのビデオを観たが、その実態は、私たちの予想をはるかにこえる深刻なものだった。ソウルでも、大気汚染の程度がひどくなれば、日本のように大気汚染による喘息患者が大量に発生するかもしれない。決してひとごとではない。
 ビデオ鑑賞の後、西村隆雄弁護士が、四日市公害裁判をはじめとする日本の公害裁判の歴史や現状について説明をしてくれた。これらの裁判を通して一旦は勝ち取られた被害者救済制度が、次第に改悪されているという。日本の裁判所は私企業については強い姿勢を見せるが、行政に対しては弱い面があるともいう。これは韓国も同様である。私たちがどのような職域に進んでも、強者に屈せず、弱者に頭を下げることができる姿勢を堅持しなければ、と考えた。
 私たちも多くの質問をした。排ガスと喘息被害との因果関係、その立証方法、原告団や弁護団を組織する方法、活動資金の調達方法等、ききたいことは尽きなかった。
 その後、原告である患者の方々が、その想いを話してくれた。中でも、一人の子供の母親として率直な心情を吐露された方の話には、本当に胸がつまった。
 夜には、日本の青年法律家協会に所属する司法修習生との集まりがあった。予想外に10名もの日本の修習生が参加してくれた。通訳は1人だったが、お互いに漢字や英語を書いたりしながら意思疎通をした。日本の司法修習生の年齢は、平均25歳から27歳程度だという。兵役問題を勘案すれば、我々の平均より1〜2歳程度若いと言えるだろう。私が会った日本の修習生は大部分が弁護士志望とのことだが、これは韓国の傾向とは異なる。開業地や取り組みたい仕事に関する抱負も、彼らは実に多様だ。とても情熱的で開かれた心を持っている修習生たちとの時間は、大変楽しく意味深いものだった。
● 7月4日(金曜日) 横田空軍基地
 午前中、松浦弁護士の事務所を訪問し、その仕事のスタイルを興味深くみさせてもらい、昼食後、米軍横田基地に向かった。言うまでもなく、韓国でも基地被害は深刻だ。横田基地を展望し、いろいろな説明を受けながら、もし朝鮮半島で戦争が始まればこの米軍輸送機が朝鮮半島に出撃するのだろうとの思いがよぎり、私たちの分断状況が、生々しく感じられた。
 その後、今晩宿泊する八王子のホテルにモノレールで移動した。韓国にはない交通手段で、わざわざ遠回りして乗ってみたのだが、景色がよく、とても面白かった。ここで日本での移動について付け加えれば、日本人は本当に歩くのが早い。ソウルの人々も早く歩くが、その1、5倍から2倍程度の速度で動き、ついていくのが大変だ。
● 7月5日(土曜日) 高尾山訪問

高尾山にて
 高尾山は韓国の北漢山と似ている。都心から近く、多くの人々の憩いの場でありながら、トンネル工事が行われようとしている。日本の方々も、北漢山貫通トンネル問題に大きな関心を寄せていた。高尾山に何の木が何本あるかもすべて知っていて高尾山の主と呼ぶべき吉山さんが、私たちを案内して下さった。吉山さんの説明はとても生き生きとしたもので、私たちは韓国のどんな山より日本の高尾山について深く理解した。高尾山では、南斜面に落葉樹が、北斜面に針葉樹が育っているという。リフトから見下ろすと、両側の対照がはっきりとわかった。高尾山でもっとも有名な木はブナだが、ブナ林は、他の動植物が生存できる環境を提供してくれるという。
 高尾山は美しい。山が生きている。たくさんの生命が生きている。生命だけが暮らしているのではない。高尾山の土や岩も山の一部として一緒に生きているのだ。しかし、高尾山から見下ろすと、高速道路をビュンビュンと走る車が見える。巨大な建設会社の利益のために高尾山を犠牲にしてはならない。
 山を下り、渓流のほとりの豆腐屋さんのお豆腐をご馳走になったが、すばらしい味だった。そこでお酒も飲みながら、同行してくれた活動家の橋本さんや関島弁護士と、活動家としての生き方について、私たちは語り合った。そして後ろ髪をひかれるような思いでお別れし、松浦弁護士の友達が開いている居酒屋に向かった。この間お世話になったので、我々が夕ごはんをご馳走する番だ。おいしいごはんを食べながら、楽しく語り合った。
● 7月6日(土曜日)〜7月7日(日曜日)
 日曜日は、私たちにとって初めての自由時間だった。私たち一行は、みんなで国立博物館を見学した後、三々五々分かれてあちこちを回ったが、皇居、東京タワー、原宿、新宿などを見ることになった。東京都庁のすさまじい規模に驚いた人もいた。夜には各自、自分の見たものが1番だと互いに自慢しながら眠りについた。そして月曜日、八王子の法律事務所と刑事法廷を軽く見学した後、東京でのたくさんの出会いを胸に、大阪に向かうことになった。 (つづく)





環境サマーセミナーに参加して

56期司法修習生 佐久間良直


 去る7月19日、20日に千葉県船橋市において、日本環境法律家連盟、全国公害弁護団連絡会議、たたかう市民とともにゴミ問題の解決をめざす弁護士連絡会の共催で環境サマーセミナーが開催されました。
 司法修習生25名が参加し、熱意あふれる講義に熱心に耳を傾けました。

 19日は、堀良一弁護士による干潟の講義。野呂汎弁護士による四日市公害訴訟。廣田次男弁護士によるゴミ問題。その後、懇親会。
 20日は、籠橋隆明弁護士による環境的法律家と題する講義。そして三番瀬、谷津干潟の見学という充実した内容でした。
 最初は堀弁護士による、平成14年11月26日に提訴された有明訴訟に関する講演でした。第1回口頭弁論の時に実際に使用されたパワーポイントでわかりやすく説明していただき、干潟が生物の宝庫であり、漁業資源滋養の場であること、渡り鳥のルートになることなど、干潟の重要な役割を知ることができました。開発に託けてこのような重要な自然を台無しにすることの無意味さを共感することができました。
 次に、野呂弁護士による四日市公害訴訟の講義が行われました。
 私は、四日市には何度か行ったことがあり、三重県の中では比較的開けた街という印象をもっていました。しかし、過去に凄惨な公害事件が存在したことを感じさせることはありませんでした。また、四日市公害というのは、小学校の社会科の教科書でしか知識がありませんでした。近隣に住んでいながら、四日市公害訴訟に触れる機会がなかったのです。
 今回、実際に四日市公害訴訟で活躍された野呂弁護士の話を聴いて、公害事件の具体的な事実、内容を把握することができ、また原告であった野田之一さんの話を聴くに及んで、実際の当事者の言葉の重みを実感することができたと思います。
 四日市公害訴訟は、大気汚染訴訟の先鞭を付けたものであるとの解説のもと、訴訟提起まで2年に亘る準備期間を要し、多くの患者と接触して意思疎通を図り、実地調査を経て原告団の選定をしたという組織形成の苦労や社会の目を公害問題に向けさせる運動を起こしたことなどは、現在の公害や薬害訴訟のひな形であり、大変参考になったと思います。
 また、疫学的因果関係論や共同不法行為論といった法律論の構成という法律家の力量も問われるということを聴いて、まもなく法律家になるにあたって、法律知識の不断の研鑚の必要性を痛感しました。
 また、四日市訴訟判決後、公害健康被害補償法の成立されたことは、このような訴訟が社会を動かす非常に重要な意義を有していることを実感しました。
 次に、公害を記録する会の澤井余志郎さんの講演がありました。
 澤井さんは四日市訴訟の詳細な解説をしていただきさらなる理解を深めることができました。
 最後に、原告であった野田之一さんから、野呂弁護士との出会い、勝訴に至るまでの体験をお話ししていただきました。  その中で、野田さんが、自分は何も悪いことをしていないのに病気で苦しんでいる。野呂先生に「法律に問うてみたらどうか」といわれ、原告となることを決意したこと、訴訟進行中は懸命になって勝訴を勝ち取ろう、正義を実現しようとする弁護士の姿を見て、勇気をもらったと言うことを聴いて、非常に感動しました。弁護士が自分の行動に自信を持っていれば、依頼者の心を動かすものなのだ、自分もこのような弁護士になりたいと決意を新たにしました。

 19日最後は、廣田弁護士からエレガントに産業廃棄物問題について講義をしていただきました。
 翌20日は、籠橋弁護士から、環境問題を取り組む意義について、情熱的に語っていただきました。
 そして、三番瀬埋め立て問題に関する講演をして頂いた後、実際にバスで三番瀬に移動し、解説を加えていただきながら干潟を自分の目で、手で、足で体感しました。
 2日に亘る講義、及び干潟の見学でしたが、非常に有意義なものでした。司法研修所における二回試験に向けての勉強とは全く異なるもので、現場を見ながら、環境問題を考える良い機会を与えていただいたと思います。





あっせん合意成立後の第3回尼崎連絡会報告

弁護団弁護士 小沢秀造

1 あっせん合意の成立
 公害等調整委員会のあっせん手続による合意が成立したのが、平成15年6月26日である。大気汚染裁判の解決方式として連絡会を設置するという方式が他のところでも取られているが、国公団などの不誠実な対応で実のあるものになっていない現実がある。
2 準備会の開催
 合意成立後原告団が設立した「センターあかとんぼ」で全体的にはなごやかな雰囲気で打合せをしてきた。国(国交省)は合意を忠実に読むという態度であり、交通量調査を事前に原告団などに相談しなかったことが問題であったことは自覚していた。(あっせん)合意した公開の中身について協議があった。国公団は、マスコミのカメラは頭取りにし、意見交換に入ってからはしないと提案があった。原告側は意見交換中撮影されていても差し支えないのではないか、少なくとも原告側が意見交換中にカメラをまわさないということについて合意はできないとした。ただし、国交省の方でマスコミと対応することには異議はない旨を回答した。
3 目標
 環境基準を上回る汚染実態をふまえ、交通負荷を低減し、大気汚染の軽減を図るというのが裁判所での和解で合意された目的である。
 ただし、公調委でも原告側が強調したことであるが、性急に結果が出ることを国などに要求することは現実的でない、お互い誠意をもって試行錯誤しながら解決していく問題であると考えている。原告団も目標に向かい協力していくという考えである。
 当面の目的は次のようなことである。
 国が原告団に何の打合せもなく行ってきた交通量調査についての合意をふまえた調査の実施について、妥当なものにさせること
 環境ロードプライシングの充実 つまり国道43号線、阪神高速3号神戸線の大型車の通行を阪神高速湾岸線に誘導するに足りるロードプライシングを実現させること
 さらに交通量調査を踏まえた警察庁への要請方法については書面で行うことを確認させ、回答も書面でもらうこと
 これはあっせん申請の前の警察への要請が秘密裡にかつ口頭で行われたことしかも警察庁ではなく兵庫県警に行われたことを踏まえてのものである。
 なお双方準備会の打合せの上、事前にお互いの考え方を書面にて交換し、当日に臨んだ。
4 当日
 時間は、午後1時から4時過ぎまで行われ当方から、当事者の席に原告団、弁護団、学者で10人余り、国公団も同数程度参加した。公開で行われるということで、傍聴者が100人程度マスコミ各社の取材もあった。
 準備会での合意により国交省が議事録をとり、原告団に交付することになっている。原告団も逐字的にやり取りを再現し、国公省に交付すると通告ずみである(議事録交換の合意はできず、こちらの作成したものを相手に送るということ。テレビカメラは常時後ろで整然と写されていた。)
 交通量調査、ロードプライシングについての説明があった。但し、国からは抽象的な説明があったのみで、具体的な提案はなかった。当方は交通量調査はどのような目的でなされるかということを踏まえ専門的な知識もいると考え、委員会をつくることを提案したが、相手方は難色を示した。ただし準備会などの打合せで専門家に意見を述べてもらうのは結構ですという考え方が示された。
 国交省の担当者は(新聞報道)具体的にやることが決まっており、やりやすかったとコメントした。
 原告団弁護団としては専門家の協力を充実させ、具体案を求めていく必要があると考える。国から警察庁への依頼は文書でする、相手があることであるが原告団などから警察庁へ書面による回答を要請されることは差し支えないとの回答を得た。次回は12月12日でありそれまでも準備会を何回か開く予定である。連絡会の成果が期待されるが、中尾弁護団長の連絡会の冒頭あいさつでコメントされたように「双方真摯な態度で臨むことを期待する。円滑な進行は国にかかっている。」ということである。





ディーゼル車排ガス規制を円滑に推進させる広範な共同

全日本建設交運一般労働組合(建交労)
書記次長 赤羽数幸

1、ディーゼル車排ガス規制による新たな被害者
 大気汚染被害者の早期救済とディーゼル車の排ガス規制は待ったなしの課題です。一方、ディーゼル排ガス規制による新たな被害者の発生もくい止めなければなりません。
 10月1日から実施された NOx・PM法と4都県の環境条例によるディーゼル車排ガス規制の実態は、法や条例の実効性がさほど期待できないだけでなく、このままでは法や条例が倒産・廃業・失業という新たな被害者を大量につくり出すことになり兼ねません。
 建交労には、この新たな被害者にさせられようとしている組合員が多数います。建交労には、建設関連労働者から鉄道マン、学童保育指導員、競走競技場ではたらく労働者、高齢者・失業者など多種多様な労働者が結集していますが、そのなかに、トラック運送会社ではたらく労働者と1台持ちダンプ労働者が約3万人います。このなかまが、ディーゼル排ガス規制で廃業・失業か、賃金・労働条件引下げの危機に立たされています。
 現に、関東圏の1台持ちダンプ組合員のなかで、300人近くが廃業に追い込まれる状況になっていますし、トラック運送会社では、昨年10月に三菱総研が「2003年10月以降、3950社のトラック企業が環境規制に対応できず、廃業・倒産に追い込まれる」と指摘したことが現実的なものになりつつあります。
2、国とメーカーの責任を求めて結したディーゼル車対策共闘会議
2002年10月18日に、東京大気裁判原告団・弁護団、全商連、東京・埼玉・千葉・神奈川の土建・建設組合と建交労で「ディーゼル車対策共闘会議」を結成しました。大気汚染の被害者と大気汚染の「発生者」という対立する両者で共闘会議を結成できたのは、「ディーゼル排ガス規制は、政府と自動車メーカーの責任で実効あるものにしろ」という一致点を見出したことによるものです。実際に、国や都県による排ガス対策の実効性は、極めて乏しいといわざるを得ません。まず、 NOx・PM法の車種規制では、規制対象地域が限定されているため、車庫とばしで規制を逃れる業者がでています。4都県条例も 後付装置の生産・装着、規制適合車の納品が間に合わず、罰則適用を延期せざるを得ない状況になりました。10月1日の規制実施日に石原東京都知事は、「規制が周知され、不正車両はきわめて少ない」と自画自賛していますが、対策が進んでいるといわれる東京都でさえ、20万2千台の対象車両の内、4割近くが未対策のままです。
3、規制の実効性を弱めている根本原因は大企業の利益を最優先する自民党政策
 こうした事態を発生させた根本原因は、現に走行している使用過程車への対策をなおざりにし、自動車メーカーがよろこぶ規制適合車への代替を基本にしているからです。環境省自身がそのことを明確にしています。320万台にもおよぶ NOx・PM法の規制対象車両の対策を放置して強制代替をすすめる国の姿勢は、自動車メーカー・大企業の利益を最優先し、負担に耐えられない中小企業や1台持ちダンプ労働者などを切り捨てる小泉政権・自民党政治の流れを象徴しています。事実トラックメーカーは増産につぐ増産で規制特需を謳歌しています。
4、ディーゼル共闘の役割と成果、今後のたたかい
 ディーゼル共闘の結成から1年が経過しました。この間のたたかいを振り返ると共闘会議がはたした役割は少なくないものがあります。第1に、使用過程車に対応するNOx・PM 低減装置の開発・実用化の重要性をアピールしたことです。関係省庁や国会議員、都知事・県知事などへの要請や申入れを通じて使用過程車対策の重要性を大臣答弁として引き出し、今年9月8日の国土交通省による NOx・PM低減装置第1号認定につながると同時に、中小企業による認定装置の開発は、自動車メーカーと国の怠慢を露呈するものとなりました。また、低減装置の装着に対する国土交通省の補助金突然打ち切り(6月11日)に、共闘会議として即日対応し、一定の改善を勝ちとっています。
 第2に、大気汚染被害者の救済と併せてディーゼル車排ガス規制に対する自動車メーカーの責任・負担を世論化する土台をつくりあげてきたことです。7月30日のディーゼル車総行動での東京トヨタ包囲行動が、10月1日の建交労によるダンプデモや10月10日の全商連による東京トヨタ1000人包囲行動につながり、年内には愛知のトヨタ本社包囲行動も具体化します。
 第3は、ディーゼル共闘の地方共闘が大きく広がってきたことです。現在、地方共闘会議は、埼玉、神奈川、愛知、兵庫の各県で結成され、栃木や茨城、大阪でも共同のとりくみが進んでいます。
 最後に、ディーゼル共闘の今後ですが、 NOx・PM法による使用過程320万台の規制対象車両の内、具体的対策が求められる車両はこれから急増します。ディーゼル共闘は当初1年間の限定共闘ということになっていましたが、とてもそういう状況にはありません。
 規制による新たな被害者を出させない、国とメーカーによるディーゼル排ガス規制の円滑な実施と大気汚染被害者の救済をもとめるたたかいを結合し、要求実現まで奮闘することが共闘会議の社会的役割となってきました。