公害弁連ニュース 141号




巻頭言   近事随感

  公害弁連顧問 弁護士 内田茂雄

 昨年7月に永眠された関西大学名誉教授澤井裕先生を偲ぶ会が、3月26日、大阪のホテルで催された。
 澤井先生は、著名な民法学者として多くの学問的業績を残されたが、研究室から積極的に外に出て、四日市・西淀川に代表される大気汚染、大阪空港・名古屋新幹線等の騒音問題、熊本水俣病・カネミ油症・スモン等食薬害、水質汚濁等々の各公害弁護団を強力に支援され、常に公害現場から被害者の目線に立ってその実態をとらえ、実践的な訴訟理論の構築に指導的な役割を荷なわれた。
 2月4日、大阪市立大学教授加藤邦興先生の訃報に接した。加藤先生は、科学史・技術論がご専門で、その立場から、熊本水俣病・カネミ油症、名古屋新幹線、西淀川・尼崎等々の公害裁判を巾広く支援された。戦術面までを含めての歯切れのよい先生の貴重なアドバイスがなつかしく想い起される。
 加藤先生を偲ぶ会は、5月22日、大阪市立大学学術情報センターに於て、追悼講演会と同時に開催される。
 澤井、加藤両先生のご冥福を心からお祈りすると共に、公害弁護団に寄せられたご支援に深く感謝の意を表したい。

   「薬害ヤコブ病の軌跡」という立派な本をいただいた。ヤコブ病の患者は、無言・無動の状態の中で、必ず死に至るという。その重篤な被害の中から、薬害根絶を願って立ちあがり、困難な裁判闘争を続けて勝利和解を勝ち取られた薬害ヤコブ病被害者とそのご家族、これを支えた弁護団全国連絡会議のご苦労に敬意とねぎらいの言葉を申し上げたい。
 戦後、サリドマイド、クロロキン、スモン、薬害エイズ等々、悲惨な薬害事件が多発している。何故、薬害の多発をおさえることができないのか。何故、薬害の教訓が生かされようとしなかったか。 柳田邦男氏は、その著「この国の失敗の本質」の中で、次のように指摘する。
  それは、問題点の洗い出し方の欠陥と先例の教訓が生かされない一件落着で個々の事件を終結させた欠陥にあるという。そして、問題点の洗い出し方の欠陥の第1は、事件の重大性の認識について危険性を示す情報や警告的論文をほとんど無視又は軽視し、虚心に事実を見る目が曇っている点にあるとし、事実を見る目を曇らせているのは、被害者の立場に立って「これは生命にかかわるから、放置できないぞ」と考える発想が欠落し、とかく組織内の空気に支配されると共に、新しい事件に対して権威者などはいない筈なのに、何故か学界のその筋の大家が出てきて、第一人者ぶった言葉をふりまき権威主義に陥る。第2は、意思決定の仕方に関して、あとになってみると、事態を放置したことが不思議なくらいなのに十分な対策をとらなかった。その意思決定を妨げたものは、担当者の保身、先輩・同僚をかばう、組織防衛、利害関係者の裏工作。にあるという。又、先例の教訓が生かされなかった欠陥は、調査が、その事件の固有な側面に力点を置かれるあまり、一般性・普遍性を持った教訓としての指摘が行われることなく、更には、組織や上層部の責任を回避するために、なぜ、誤った判断が行われたかの調査・分析や解明を行わず、記録も残らない。再発防止の有効なマニュアルも作られない。情報も公開されない。という点にあると告発している。
 私達、公害裁判を経験した弁護団は、こうした苦い思いを何度味わったことか。

 4月22日、あきる野市の住民原告らが圏央道(首都圏中央連絡自動車道)あきる野インターチェンジ建設のための土地強制収用裁決をめぐり、国交相の事業認定と東京都収用委員会の収用裁決を取り消すことを求めた事件で、東京地裁第3民事部は、あきる野市牛沼地域の圏央道建設に関する国土交通大臣の事業認定と東京都収用委員会の収用裁決を取消す画期的な判決を言い渡した。
 この判決は、道路公害を生じる瑕疵ある道路の事業認定は、裁量の余地なく違法であるとし、事業の必要性が低く、公共性の判断過程に過誤欠落があるため事業認定は違法であると明解に判断すると共に、事業認定の違法性は収用裁決に承継されるとして収用裁決を取り消した。 この判決は、道路公害と戦う人たちには勿論のこと、川辺川利水事業、諫早湾干拓事業などダム・埋立と戦う人々に大きな勇気を与えることになると思われる。
 しかし、あきる野市の住民原告は、現在も収用作業が続くなかで、これからも厳しい戦いがつづくかと予想される。公弁連の一層の応援が求められるのは必至である。

 4月27日、筑豊じん肺訴訟上告審で、最高裁判所第3小法廷は、国・企業側の上告を棄却し、国がじん肺の発症・拡大を防止するための権限を適切に行使しなかったことは著しく不合理に当るとして、国に賠償責任があることを認めた。快挙といわざるを得ない。
 18年前、筑豊じん肺訴訟弁護団の初代団長松本洋一弁護士と第1回口頭弁論にのぞんだことが、なつかしく想起される。
 自らも炭鉱マンとして働いた経験を持つ松本さんの、じん肺訴訟にかける情熱は、一方ならぬものであった。
 おしくも、裁判途中で亡くなった松本さんも泉下できっと喜んでいると思う。





新嘉手納基地爆音訴訟の現在

弁護士 中原 修

1 新嘉手納基地爆音訴訟は、提訴から早4年が経過した。平成16年5月13日に結審前の最後の期日が開かれ、相手方にとって反論の必要な主張・証拠の提出は同日が期限であった。
 原告らとしては、曝露、原告らの提訴後の住所移転先のW値の争いある原告についての反論、防音工事の部屋数についての反論を主題とした準備書面及び書証を提出した。あわせて、前回の期日(平成16年2月19日)に予定されていた検証の国からの撤回についての理由の求釈明書も提出し、全ての主張・立証を終え、最後にこれまでの主張をまとめた最終準備書面を残すだけとなった。
 この点、前記求釈明書を提出した経過は以下のとおりである。国は検証直前の同年1月26日付で検証の申請を撤回してきたが、その理由は「検証が予定されている2月19日には、沖縄国際大学院の入試が予定されている。日米の協定からすれば、米軍機が飛ばないので、2月19日の検証を変更したい。変更希望日は3月18日であるが、結審が近いので、原告ら代理人の都合がつかなければ、撤回したいので了解してもらえないか」という旨であった。原告ら代理人はその理由を信じ、撤回に同意したのであるが、検証予定期日には、いつもと変わらず、入試を考慮しているという様子もなく飛行機は飛び放題であった。国の前記理由が事実に反することになった。仮に国が飛行機が飛ぶことを認識しながら前記理由を述べたのであれば、原告らだけでなく裁判所に対しても信義に反する背信行為であり、国は強く非難されるべきである。また、仮に国の前記認識が誤りでなく、米軍が約束に反して飛行機を飛ばしたのであれば、米軍の国に対する背信行為であり、国が米軍に対し強い抗議をすべきである。このようにいずれかを明らかにすべきであることから、原告らとしては、真実はいかなる理由で撤回したのかを求釈明した。
 これまでも国は、種々の不当な訴訟行為を行ってきた。それは、前回の高橋弁護士による報告にもあったように、当時、結審予定は平成16年3月末頃であったにもかかわらず、平成15年7月になって危険への接近の対象として総勢129名もの原告本人尋問を申請してきたこと、さらに、また、平成16年5月13日の期日においても、前記のとおり同日が相手方にとって反論の必要な主張・証拠の提出期限であるにもかかわらず、提訴後の移転先の住宅防音工事施工状況を主張し、その証拠を提出する予定である、また健康被害についての新たな学術論文などを提出する予定であると平然と述べてきたこともそうである。明らかに時期に遅れた攻撃防御方法の提出であって、国の代理人は裁判官出身者もいるのであって、いかなる認識で訴訟行為を行っているのか本当に頭の中を見てみたいものである。とにかくこのような国の態度に対し、原告ら代理人としては、怒りを覚えざるを得ず、猛然と抗議した。このような結審直前の国のばたばたした訴訟行為に裁判所も毅然とした態度を示すことなく、原告らもつきあわされることになったが、平成16年7月1日が結審であることは変わらなかった。

2 平成16年7月1日はいよいよ結審である。新嘉手納爆音基地訴訟は、損害賠償が認容されることは当然であり、一番の主要目的は原告らの悲願である、夜間・早朝の飛行差止めであった。そのためには健康被害、すなわち聴力損失を立証すべく、沖縄県健康影響調査を行った学者・医師を証人尋問し、それだけでなく聴力損失の原告の本人尋問も行った(詳細は、前回報告済み)。このように健康被害の個別立証まで踏み込んで行ったのであり、そもそも沖縄県健康影響調査は沖縄県が主体となって実施した調査であり、その結果を否定することは県の調査自体を否定することになることから、弁護団としてもこれでよもや健康被害を認定しないことはあるまいと考えている。
 嘉手納飛行場の騒音については、本件訴訟において国は減少していると主張してきたが、沖縄県が実施している騒音測定結果からは減少しているとの根拠は認められなかった(その旨は原告らは準備書面にて主張済み)のであり、近年においても騒音被害は何ら軽減されていない。このことは各地の基地訴訟でも同様の状況であり、各地の基地訴訟においては勝利を収め、損害賠償対象者の拡大、損害額の増大など確実に進歩してきた。この流れに乗り、新嘉手納基地爆音訴訟においても、健康被害だけでなく、飛行差止めが認められることを原告団・弁護団全員が願って止まない。そのためにも皆さんのさらなる支援・連帯を希望いたします。そうして今後とも公害が無くなるためにともに頑張りましょう。





土地収用訴訟で取消判決公害を発生させる圏央道の建設は違法

圏央道あきる野土地収用事件弁護団 弁護士 吉田健一

1 道路建設の必要性を否定
 圏央道あきる野土地収用事件について、東京地方裁判所民事第3部(藤山雅行裁判長)は、去る4月22日、圏央道(首都圏中央連絡自動車道)建設に関する国土交通大臣の事業認定(2001年1月19日)、及び東京都収用委員会の収用裁決(2002年9月30日)をいずれも取り消す判決を言い渡した。藤山裁判長は、昨年10月3日、同収用裁決にもとづく代執行を停止する旨の決定を下し、住民無視の公共事業や行政のあり方に歯止めをかけたが、その本案にあたる事件の本判決では、さらに圏央道建設事業の必要性まで否定する判断を下した。

2 公害発生させる瑕疵ある道路建設は違法
 この判決は、まず、住民に受忍限度を超えるような道路公害が生ずる瑕疵ある道路設置の事業認定は、行政の裁量を議論する余地がなく違法であるとした。
 この点について、判決は、道路の供用開始前に的確な予測が困難であり事後に対策をとれば足りるとする立場を批判し、遮音装置や排ガス規制などの事後対策では道路公害に必ずしも実効性が認められないことを指摘した。あわせて、供用が開始されてしまえば周辺住民が甚大な被害を被っていても差し止めが認められなくなってしまうのみならず、瑕疵ある道路建設により生ずる賠償責任のため国家財政にも多額の損失を生ずるとしたのである。
 そして、判決は、圏央道の建設について、受忍限度を超える騒音被害が生ずる瑕疵ある道路を建設する事業と判断した。特に、環境アセスメントが、(1)環境基準の適用が緩和される「道路に面する地域」がせいぜい20メートル程度であるべきところ80メートルもの広範囲の地域に適用していること、(2)自動車の走行速度を制限速度の時速80キロメートルとしており実際に即していないこと、(3)高所において予測される多大な騒音について予測、調査がされていないこと、(4)他の道路から発生する騒音との合成騒音の程度が一部しか判明していないことなど、およそ合理性を欠く事情が多々存在したことを指摘した。そして、これらの疑念を払拭する追加調査もしないで事業認定したことを批判したのである。
 また、判決は、接地逆転層が発生する地域での重大な大気汚染被害の発生、環境基準を上回るSPMの発生により、相当重大な結果が生ずるおそれがあるにもかかわらず、事業認定した点も違法と断じた。

3 事業の公共性についても批判
 判決は、土地収用法(20条3号)上の要件である「適正かつ合理的な土地利用に寄与する」かどうかについても、念のためとして検討している。
 判決は、事業の必要性に関して、圏央道によって都心部の渋滞が緩和されるとの行政側の主張は具体的な根拠がないとし、他の環状道路(首都高速中央環状・東京外かく環状)が建設されるならば、圏央道までは必要がないとさえ認められると判断した。また、同じく行政側が主張した周辺道路(国道16号、411号)の混雑・渋滞の緩和という効用についても、それが期待できるかどうか明らかでないと判断した。他方で、建設される圏央道が有料道路として利用される可能性、環境への影響と対策費などを抜きにして、多大な便益が生じるものと判断することはおよそ不合理であるとし、高度の便益(費用を差し引いても4千数百億円)をあげられるとした行政側の主張を退けた。
 さらに、判決は、すでに開通済みの日の出インターチェンジから、わずか約2キロメートルしか離れていない場所に設置されるあきる野インターチェンジについて、高度の必要性があるとは言い難いと判断した。そして、本件においては、最低限あきる野インターチェンジを設置しないことを前提とした場合の代替案の検討は必要不可欠であるとしたのである。
 結局、判決は、このような代替案の検討も行なっておらず、具体的な根拠もなく公共の利益があると判断して事業認可したことについて、社会通念上看過することができない過誤欠落があったとし、違法なものと結論づけたのである。

4 裁決取消の判決と停止されない執行
 判決は、事業認定を違法として、その取消を命じたばかりか、その違法は、東京都収用委員会の行った収用裁決にも承継されるとし、同裁決の取消をも命じた。
 けれども、他方では、この収用裁決にもとづいて、代執行手続きが進められ、地権者・住民らは、家の取り壊しや退去を余儀なくされている。収用裁決に対する執行停止決定が高裁で覆され、最高裁も停止を認めなかったからである。
 このような歯がゆい思いを反映してか、判決は、事業計画段階からの司法の関与する必要性など制度的な提起も行っている。その意味でも、画期的な判決ではある。
 ところが、判決の時点で、立ち退きを迫られながらも、未だ残されている家屋が1軒存在したのである。本年1月に死亡した地権者の遺族も生活している屋敷である。この住民について、何とか歯止めがかからないかという思いで、私たちは、本案判決の言い渡しを受けた22日の午後一番で、再度の執行停止を申立てた。しかし、東京地裁民事3部(鶴岡稔彦裁判長、なお藤山裁判長は異動)は、26日午前10時、これを却下してしまった。執行停止は、すでに最高裁で決着済みというものであり、司法の限界を自ら示す決定であった。最後の1軒も取り壊しを余儀なくされたのである。

5 公共事業と公害に対する司法の役割
 しかし、前述したように、判決の内容は、無駄な公共事業や道路公害の激化に対する国民の批判にこたえるものである。そこには、大気汚染や騒音公害などに対して、損害賠償のみならず差し止め判決まで勝ち取ってきた裁判闘争の成果が反映されている。莫大な税金を投入して建設した道路によって、公害による深刻な健康被害をもたらしてきた行政のあり方に、深刻な反省を求める司法判断といえる。
 それだけに、国土交通省をはじめ、行政からの激しい攻撃にさらされることにもなるであろう。行政側は、判決を不服として控訴している。
 この判決で示された行政の違法を最終的に明らかにし取消判決を確定させるためには、より大きなたたかいが必要となる。圏央道建設を争っている高尾天狗訴訟の取り組みはもとより、環境破壊や公害、無駄な公共事業に反対してたたかっている全国の皆さんとの連携がいっそう強く求められる。
 これまでのご支援に感謝するとともに、今後とも、いっそうのご支援をお願いする次第である。





第2回環境被害者救済日中ワークショップが開催される

弁護士 村松昭夫

1 去る3月20日、21日と熊本学園大学において、第2回環境被害者救済日中ワークショップが開催された。今回のワークショップは、2001年9月に北京で行われた第1回ワークショップを受けて開催されたものであり、公害弁連は、第1回ワークショップにも筆者と西村事務局長が参加して、日本の公害裁判の経験や疫学的因果関係の立証問題などを報告したが、今回は日本環境会議等とともに日本側の主催者団体の1つとなった。なお、中国側は、中国で公害被害者の救済問題に取り組んでいる中国政法大学公害被害者法律援助センター(CLAPV)が共催団体となっている。ワークショップには、中国側から学者、医師、弁護士、新聞記者など15名が参加し、韓国からもオブザーバーとして学者、弁護士5名が参加した。ワークショップに先立って18日、19日には水俣の現地見学と被害者らとの交流も行われた。

2 ワークショップでは、3つのセッションとパネルディスカッションが行われた。第1セッションでは、日本環境会議理事長の淡路立教大学教授と公害被害者援助センターの王教授から基調報告が行われ、淡路教授からは日本の公害被害者救済の歴史的な前進の経過が、王教授からは公害被害救済をめぐる現状と成功例、課題などが報告された。第2セッションでは、中国側から大規模開発が続けられている西部地域などでの実際の訴訟事例が報告され、日本側からは馬奈木弁護士が公害被害者が困難ななかで裁判に立ち上がり救済を勝ち取っていった水俣病の闘いの経験が報告された。第3セッションでは、紛争解決や被害者救済に関連する制度面での課題などがテーマとされ、中国側からは司法の役割強化の必要性が立法面の不備とともに報告され、日本側からは筆者が裁判所及び裁判官の独立性を確保することとそのために裁判官に正面から被害の現況を突きつけることの重要性を報告した。また、パネルディスカッションでは、中国側の弁護士からシックハウス事件や環境汚染による精神分裂病事件などの報告があり、日本側からは南教授から日本の公害等調整委員会の役割等が紹介され、鑑定問題など因果関係の立証問題などをテーマに活発な討論が行われた。

3 筆者は、2001年9月の第1回ワークショップに参加してから、02年、03年と、法律援助センターが毎年中国全土から弁護士、裁判官など100名余りを集めて開催する環境セミナーに講師として出席し、日本の公害裁判闘争の経験を紹介するとともに、法律援助センターのスタッフや弁護士らと交流を続けてきた。同時に、韓国の環境NGOや環境裁判に取り組む弁護士らとも頻繁に交流を続けてきたが、近時、中国、韓国とも公害環境裁判が急速に増大しており、今後は、単に各国との交流にとどまらず、具体的な事件や立証方法など、より実践的な交流が求められている。また、今後は、通訳の問題など困難も多いが、韓国も含めた日中韓の弁護士同士のワークショップを開催することも必要ではないかと痛感している。
 今回のワークショップも、こうした今後の取り組みの1つのきっかけとなっていくものである。





【若手弁護士奮戦記】
寝ても覚めても「有明」よみがえれ!

有明海訴訟弁護団  弁護士 後藤富和
第1 有明漬けの毎日
1 それはタイラギの誘惑
 一昨年、弁護士登録数日後、私は有明海沿岸柳川市の漁民宅にいた。
 弁護団と漁民らとの腹を割った話し合いの場で、テーブルの真ん中には見慣れぬ物体が山盛りに装われている。真剣な話し合いが続く中、私は、この物体が何なのか気になって仕方がない。
 話が終わり、漁民らが酒を出してきたころ、1人の漁民が口を開いた。「若い先生な、タイラギやら食べたこつもなかろう。」
 これがあのタイラギ(の貝柱)か。私たちはタイラギを頬張った。「美味い!」ホタテよりも小振りだがその分うまみが凝縮し、何よりもコリコリとした食感がたまらない。この瞬間、私たちは抜けようとも抜け出せない有明海の深いガタにいぼり込んでしまった。(注:「いぼる」とは博多弁で「ぬかるんだ地面にはまってしまう」の意)。
2 美味い海苔
 帰りに頂いたお土産の海苔を自宅に帰り軽く火で炙る。すると、部屋中に有明海の芳醇な香りが充満し、瞼の裏に先刻見た有明海に沈む黄金色の夕日が広がる。私は、一気に魂まで奪われてしまった。
3 ガタにいぼる
 それからは、準備書面の起案、集会の準備、支援の会の立ち上げ、被害調査、農水省交渉など、同期6名の弁護士はガタに足を取られながらも、走り回った。美味いタイラギや海苔を守るために、そして何より有明の幸を自慢げに振舞う漁民の誇りを守るために。

第2 東京行動(マイルは貯まるが)
1 ウィークリーマンション
 今年に入ると、佐賀地方裁判所での戦いに加えて、首都東京での戦いが本格化した。東京の市民に有明海の問題を知ってもらい、日本中の世論を喚起し、農水省を追い込むために。そのためには地元九州の弁護団が上京し支援を訴える必要がある。私の事務所は弁護士11名の共同事務所である。1人抜けても何とかなるだろうということで私が常駐することになった。ちなみに私は新婚で、子どもは生後4ヶ月であった。
 私は早速新宿御苑にウィークリーマンションを借り、東京支援の方と一緒に、毎日東京都内を歩き回った。それにしても遠く離れた九州の問題に対してここまで献身的に取り組んでくれる東京支援の方には驚かされる。自分が逆の立場だったら、ここまでできるか?本当に支援の皆様には頭が下がる思いである。
2 3ヶ月で9回上京
 いくら2年目の弁護士だからといっても、福岡にも自分の仕事がある以上、東京と福岡を往復する日々が始まった。おかげでマイルは貯まるが、事務所の事務員は「弁護士は今日も出張で不在です」と依頼者に頭を下げ通しである。元法律事務所の事務員であった妻が「うちは母子家庭だから」と私の仕事に理解を示してくれた(?)のが幸いである。

第3 今後の展望
1 許せない農水大臣、農水省
 3月末、700人の漁民と市民で農水省を取り囲み、漁民が直接農水大臣と懇談し被害を訴えた。にもかかわらず、5月11日、農水大臣は有明海を閉め切る潮受堤防を開門しての調査をしないと発表した。また、現在、昨年に引き続き有明海の海面に粘着性の物体「謎の浮遊物」が出現し、漁業者を苦しめている。農水省は、昨年、浮遊物の原因をゴカイの卵であると弁明したが、浮遊物の中から石灰が検出されている以上、その原因が干拓工事で使用されている土壌改良剤にあることは明白である(「ゴカイの誤解だ!」とゴカイの専門家は真剣に怒っていた)。
2 有明の再生を目指して
 現在、有明海沿岸では、希望を失った漁民の自殺が相次いでおり、事態は一刻の猶予も許さないところまで来ている。無駄で有害な公共事業を差止め、私たちの子や孫の世代に貴重な自然環境を残していくために今が頑張りどころである。





日本での研修
―韓国司法修習生の日本滞在記・後編―

金 哲才
>> (前編へ)

 専門機関研修中、韓国の修習生たちは、ヨーロッパをはじめさまざまな国に出かけた。国内の専門機関でも、多様な研修が行われた。しかし、公害弁連のお世話で日本で研修した私たちほど、忙しく飛び回り、多くを学び感じた修習生たちはいなかったと自負している。東京での日程を終えて向かった大阪での8日間の研修の感想を述べたい。
 
● 7月7日
 夕刻に到着した新大阪駅には、大阪で私たちをお世話して下さる村松昭夫弁護士、あおぞら財団の達脇明子さん、通訳のお二人が、迎えに来て下さっていた。夕食をとりながら自己紹介をし、これからの日程の説明を受けたが、東京の研修よりさらに激しく移動しながら連日びっしりの予定が記されている日程表に、私たちは内心おののいた。日本の公害訴訟で大きな役割を担う村松弁護士は、韓国のグリーンコリアとも交流が深く、数年前から行われている韓国司法修習生の日本での研修に献身的な助力をして下さる方だ。あおぞら財団は西淀川公害訴訟で勝利した原告団が賠償金の一部を拠出して環境汚染防止のために設立した財団で、私たちの大阪研修を人的、物的に支援してくれる。財団による韓国修習生支援は、私たちが初めてだという。本当に有り難いことだ。
 
● 7月8日
 村松弁護士の事務所で午前と午後にわけ、2本の講義を受けた。
 午前中は村松弁護士が「公害裁判と弁護士の役割(西淀川公害裁判を中心に)」という主題で講演して下さった。西淀川公害訴訟の経過についての詳しい説明に続き、村松弁護士は次の点を強調された。すなわち、訴訟は紛争解決の重要な場面のひとつであるが、すべてではない。被告との持続的な交渉をあわせて行わねばならず、関係する分野の専門家たちとも協力しなければならない。弁護士自身も、関連分野の素養を深めなければならない。また、法廷外での署名運動等を通して世論を形成することが勝利するための重要な要因である。
 午後には、池田直樹弁護士から「廃棄物問題を取り巻く法的紛争」という主題で講義を受けた。ダイオキシンに関する日本の代表的事例、最近の紛争の動向、紛争解決にあたって弁護士が努力すべき点などを、池田弁護士は力強く語った。特に、「環境弁護士は地方自治団体の条例がよく整備されるように働きかけなければならない」との指摘が、強く印象に残っている。
 講義を聴いて、私たちは、「紛争解決にもっとも重要なものは、加害者、被害者、裁判所その他関係者が、環境汚染被害を正確に認識し共感する姿勢ではなかろうか」などと意見を述べ合った。
 
● 7月9日
 環境保全活動を展開する有馬さんの案内で、私たち一行は淀川現場踏査にでかけた。淀川は日本の一級河川のひとつで、京都と大阪を貫いて流れているが、流域開発による荒廃も生じている。昔の姿への復元をすすめている地域と、まだ開発されておらず自然のままに残っている地域を私たちは巡った。有馬さんは、本来の川の姿を復活させた葦の生い茂る場所で、「このために35年闘った」と笑いながら話された。自然は、人間の手が触れられないから自然らしい。一方、人間が自然に手を加えることも避け得ない面がある。開発と保存はどちらも極大的であってはならない。その均衡点をいかに形成するかが悩ましく、私たちはこのような根本問題をもう1度考え直さなければならない。
 午後4時からは、藤原猛爾弁護士から、「日本における自然保護訴訟」という主題で講義を受けた。連日の強行軍で、私は超人的な精神力で眠気とたたかいながら講義をきいた。お恥ずかしいことに、我々の中の一部の者の目は閉じてしまっていた。藤原弁護士が温厚な方だったので、私たちの失礼をお許しくださるよう期待するほかない。講義では、日本で提起された訴訟事例を豊富に紹介していただいた。その中で、奄美大島の自然の権利訴訟は、島で計画されたゴルフ場建設を、自然環境破壊を理由に阻止しようとした事案だ。自然人、団体のほかに、島で生息する希少種のウサギ、鳥等を原告に含めたという点で画期的だ。しかし、裁判所はこれらの原告適格を否定する判断をした。ゴルフ場建設は、不況により実現しなかったという。講義の中でよく理解できない部分があると、私たちはその場で質問した。2003年6月に判決が出た沖縄のヤンバル林道事件は、わが国では見られない形式と内容の訴訟であり、私たち一行は初め理解できずにお互いてんやわんや推測をしゃべり合い、その光景に藤原弁護士が困惑された様子だった。通訳の方も専門的な法律知識はなく、その状況に加勢してしまった。後に理解できたが、地方自治体の長の違法な目的による予算執行について自治体の代わりに住民が損害賠償を請求した事件であり、形式的には行政訴訟であるが内容は民事訴訟であり、原告が勝訴し、個人である現知事に3億4千万円を自治団体に返還せよと命ずる判決が出たという。とても新鮮な制度だと感じる。わが国でも検討してみる余地があるだろう。
 夕食時間には、日本で影響力のある公害訴訟弁護士たちとの懇談会があった。有名な水俣病事件を担当した長老弁護士から比較的若い弁護士まで参加して下さり、これ以上ない素晴らしい時間だった。どなたかが私に、日本の4大公害訴訟が何か当ててごらん、と言ったが、お酒にかなり酔っていた関係で、水俣病、イタイイタイ病しか分からないと答えた記憶がある。後で通訳から、新潟水俣病と四日市大気汚染訴訟を教えてもらった。
● 7月10日
 新幹線に乗り、岡山に移動。石田弁護士を紹介されまた移動し、お昼頃国立ハンセン病療養所についた。そこで、51年前に発病し隔離収容された後、今までそこに住んでいる在日同胞キム・テグさんのお宅を訪問し、いろいろとお話しをうかがった。日本は、1906年に立法化されたライ予防法により、ハンセン病患者を絶対隔離方式で収容したという。1度収容されると完治しても関係なく一生涯隔離する方法で、世界的にも珍しい深刻な人権侵害だ。ようやく1996年にこの法律が廃止されたが、キム・テグさんら被害者たちは、その間の人権侵害について責任を取るよう、国を相手とした損害賠償訴訟を提起し、原告たちが勝訴し賠償を受けるようになった。私たち環境法学会のテーマからややはずれるかもしれないが、公害とは別の公益訴訟に接する貴重な機会となった。わが国のソロク島もやはり同じ形態で運営されているものと聞き、帰り道で私たちは口々に感想や意見を述べ合った。
 
● 7月11日
 JRで移動して奈良に到着し、木原勝彬さんを紹介された。木原さんはNPO法人の代表者として奈良のまちづくり活動に取り組んでいる方だ。由緒が深い遺跡を擁する奈良のまちなみ(わが国の慶州と似ている。実際慶州と姉妹都市関係を結んでいる)の保存と復興のために努力している。奈良市の伝統家屋保存地域と景観条例による改善地域を順番に見た後、午後には地域自治運動を主題に懇談会を持った。日本ではNPO法が制定されており、これにより設立された非営利活動法人が政府と協調して政策を助言し、シンクタンクの役割を担っているという。その活動の本質はあくまでも住民自治であり、政府は後ろから運動に対する補助金支給等で支援するという。我々より住民自治の制度が整備されていると感じた。
 公式日程を終え、東大寺という有名な木造建物のお寺を見るために、私たち一行は走るように移動した。大変な日程を終え週末の自由時間がようやく始まるという感じで、名所をリラックスして見られるとの期待感で私たちの表情はゆるんでいた。
● 7月14日
 午前中、まずあおぞら財団を訪問し、西淀川公害訴訟の被害地と被害者宅訪問についての説明を簡単に聞き、本格的な日程に入った。
 産業の急速な発展と高度成長をとげた60〜70年代、西淀川周囲に密集した工業団地や発電所による大気汚染が極めて深刻化した。84歳の元原告のお宅を私たちは訪問した。当時は夏に窓を開けて寝ると、こどもの顔に粉塵が黒く降り積もるほど大気汚染がひどかったという。お別れのあいさつをして外に出た私は、今でははきれいに感じられる外気を吸いながら、「そのときの汚染企業は今はどこでどのように操業しているのだろう」、と考えざるを得なかった。
 午後は、同様の公害訴訟の現場である尼崎市の公害訴訟原告団を訪ねた。西淀川訴訟も尼崎訴訟も、長いものは20年、短いものでも12〜13年もの長い時間をかけて、勝利が勝ち取られた。
 夜には労働問題に関心を持ち関連訴訟を担当する民主法律家協会と交流し、会員の弁護士らから日本で進行中のいくつかの事例を説明してもらった。研修所の労働法学会がこの場に代わりにいたら、豊かな討論の時間となっただろう。ただ、私たち一行の質問と答えもさして遜色がなかったことを、後に労働法学会の友人らとの話で確認できた。
 その後、参加者たちは一緒に食事をし、語り合った。村松先生を囲み、日本での研修についての感想を私たちが述べる時間ももった。疲労とビールの心地よい酔いに身を任せながら、私たちの2週間にわたる日本での研修もとうとう終わるのだ、と感慨を覚えた。

   すべての研修が終わるとき、私は次のような予感を持つようになった。私たちは今度の日本研修での経験を、あたかも軍隊を除隊した人がそうであるように、機会があるごとに口々に語り合うだろう。充実した日程の中で、ときには休息がほしいと感じたこともあったが、「歩いてみただけ学ぶ」という言葉はやはり間違いではない。自由時間にも私たちの遺跡地研修(?)は続いていた(大阪城、金閣寺、清水寺、神戸港、姫路城、有馬温泉等々)。
 少数精鋭で動いた環境法学会の結束は、より強くなった。
 最後に、公害弁連のみなさん、あおぞら財団のみなさん、その他、私たちを受け入れ多くを教えてくださった日本のみなさんに、心からの感謝を申し上げたい。





公害弁連「国際交流基金」カンパのご報告とお礼

国際交流基金
事務局長 弁護士 松浦信平

 昨年11月発行の「公害弁連ニュース」(第139号)でお願いを申し上げた「公害弁連国際交流基金」には、短い期間にもかかわらず、8団体、39名の方々から、総額123万(5月10日現在)もの貴重なカンパが寄せられました。本当にありがとうございました。
 昨年度の公害弁連の国際交流活動を振り返りますと、2003年4月に、ソウルで大気汚染訴訟を計画する韓国の弁護士らが、東京大気汚染訴訟弁護団からの情報収集を目的に来日しました。日韓の交流は、相互理解を超え、実務交流へと深化しています。2003年9月に開かれた日本環境会議滋賀大会の際に持たれた「日中韓の公害被害者救済に関する懇談会」、2004年3月に熊本で開かれた「第2回環境紛争処理国際ワークショップ」等の機会にも、中国、韓国から公害、環境問題に取り組む多くの法律家が来日し、国際交流はますます深まりと広がりを見せています。毎年夏に「日本の公害、環境訴訟」をテーマに実施される韓国司法修習生の日本での研修も、公害弁連のみなさまのご協力により、たいへん充実したものとなっています。
 みなさまからのカンパでつくられた「国際交流基金」については、幹事会での討論と承認を経つつ、これからますます活発化する国際交流活動に使わせていただきます。
 なお、基金についてはリスクを伴う運用は予定しておりません。大切に使わせていただくのはもちろんですが、活発な国際交流活動を展開すればするほど、基金は目減りする関係にあります。将来的には再度のご協力のお願いを差し上げることもあろうかと思います。
 また、基金へのカンパは今後も随時受け付けておりますので、「うっかり忘れていた」という方がいらっしゃいましたら、ぜひともご協力をお願い申し上げます。





新規加入 出し平ダム被害訴訟弁護団

弁護団事務局長 弁護士 青島明生
1 新規加入しました
 3月21日熊本で開催されました総会で新規加入の申し込みをしました出し平ダム被害訴訟弁護団です。私自身は登録以来イタイイタイ病弁護団に加わり、公弁連とは馴染みがありますが、出し平ダム被害訴訟事件はもちろん、「出し平ダム」自身もご存じない方が多いと思います、比較的新しい事件です。

2 出し平ダムと排砂
 出し平ダムは、関西電力が黒部川の河口から約26キロ上流に設置した、ダム寿命延長策として下部に排砂ゲートを持つのが特色の発電用ダムです。排砂で土砂を海に供給でき環境にも優しい、というのが売り物でした。しかし、1985年湛水開始6年後の1991年に初めて行われた「排砂」で流出したのは「砂」ではなくドブ臭鼻をつく「ヘドロ」でした。ダム底に貯まった枯葉等が貧酸素化で変質したのです。ヘドロは雪で真っ白の河床に墨汁を流したように流れ下り、数キロメートルにわたる変色域を作って富山湾に流入しました。そのひどさに関電も予定量の半分46万立米を「排砂」した時点で中止しました。
 その後富山県は関電、周辺自治体長、学者、漁業関係者などの委員で構成する「黒部川出し平ダム排砂影響検討委員会」を1992年9月に設置しましたが、あくまで排砂継続を前提とした検討に終始し、海底や生物、漁獲量の調査などほとんど行わないで関電の排砂にお墨付きを与えました。そして、2回目1994年2月8万立米、1995年7月1・6万立米、1995年10月175万立米、1996年6月80万立米、1997年7月46万立米を「排砂」しました。

3 排砂による被害発生
 まず、排砂によりごく一部待避していたものを除き川魚のほとんどが死滅しました。これに対しては関電は内水面漁協に補償を行いました。海でも被害が発生しました。砂質で県内有数のヒラメ好漁場であった黒部川以東の海底にかたく締まった真っ黒のヘドロが堆積し、刺し網の漁獲が数年で数分の一に激減しました。養殖ワカメの芽にヘドロが付着してワカメが死滅しワカメ組合は栽培を中止しました。この変化は排砂が継続的に行われるようになって河口付近から東側へ数年をかけて広がっていきました。現在では船を出すほど燃料代などが嵩み赤字操業となり操業を中止する人も出てきました。

4 県漁連の被害補償交渉
 県漁連は地元河口以東8漁協の委任を受け関電と補償交渉を行いましたが、交渉の経緯や補償内容について十分な説明をすることなく、年間水揚げの数割にしか過ぎない補償を漁業者に配布して、今後行う通常排砂については一切異議を言わない旨の領収書を徴求して交渉を終えました。ところが県漁連自身が漁業者に報告しないで、富山湾全体についても漁場価値の低下が生じたとして、配分した補償額の数倍、数十億円の「漁業振興対策費」を取得し、自ら基金とし、周辺自治体に数億円単位で寄付をする、という異常なことが行われました。

5 漁業者の対応
 深刻な漁業被害はその合意後の1997年以降顕在化してきました。一番の被害を受けたのは30名弱の入善朝日刺し網部会の部会員とワカメ栽培組合でした。しかし、地元漁協では遠洋漁業や定置網など排砂の影響を受けない漁業者が多数を占め、彼らは少数に過ぎませんでした。しかし、被害は深刻になったため、刺し網業者は立ち上がりました。
 2001年6月11日富山県公害審査会に関電を相手に公害調停を申し立てました。しかし関電は頑なな態度を取り、調停委員長が提案した生物影響調査の実施を内容とする控えめの私案も拒絶したため、調停は2002年11月6日に打ち切られました。やむを得ず漁業者らは2002年12月4日富山地裁に、漁業行使権海域へのヘドロの流入差止、除去、漁業被害の補償を求めて富山地裁に提訴しました。しかし、海底で起こっていることを立証することは困難を極めています。県や国などは調査してくれません。そこで原告らは裁判所に、公調委に対して原因裁定嘱託するように申立ています。裁判所は被害発生が証明されれば、とし次回6月30日の第8回弁論で結論を出そうとしています。

6 支援ネットワークの結成
 現在近藤光玉団長を先頭に、富山県弁護士会所属の東博幸、橋爪健一郎、菊賢一、足立政孝、坂本義夫、武島直子、私の8人の弁護士で訴訟を行っています。昨年の5月31日には、環境保護グループの黒部川ウォッチングをはじめ広範な富山県民でこの訴訟を支援するネットワークが立ち上がりました。
 漁業者の人たちも「キトキト」(新鮮の意味)の魚が捕れる富山湾と漁業を子孫に残すことを目標としてアースデーに参加したり、国会要請を行ったり、と狎れない運動に取り組んでいます。ぜひ今後のご支援をお願い致します。





公害弁連沖縄幹事会にご参加を

事務局長 西村隆雄
 公害弁連幹事会は、毎年1回をめどに地方開催にしてきましたが、本年は、いよいよ結審を迎える新嘉手納基地爆音訴訟の現地沖縄市において次のとおり開催することとなりました。ぜひ多数ご参加下さいますようお願いします。
6月30日(水)午後2時〜5時
  公害弁連幹事会
  •   平和問題と沖縄の基地(小講演)
  •   新嘉手納基地訴訟の法廷対策と今後の運動
  •   普天間基地訴訟のたたかい
    場 所:京都観光ホテル2階会議室
         沖縄市胡屋2−1−51
         TEL.098−933−1125
午後6時〜
  新嘉手納基地訴訟結審前夜集会
    場 所:沖縄市「あしびなー」
7月1日(木)午前10時〜12時
  新嘉手納基地訴訟結審弁論(那覇地裁沖縄支部)