東京大気汚染公害裁判弁護団

1 10.29判決

 2002年10月29日、東京大気裁判第1次訴訟判決が言い渡された。
 同判決は自動車排ガスと幹線道路沿道に居住する住民の健康被害の因果関係を認め、道路管理者として、国・公団・東京都に損害賠償を命じた。この点、自動車排ガスによる大気汚染防止対策と被害者救済対策を怠ってきた国らの責任を明確にしたものとして、政治的にはきわめて重要な意義を有するものとなった。
 他方、同判決は尼崎・名古屋判決と同様、千葉大調査を中心的な論拠として12時間交通量4万台以上という超巨大幹線道路の沿道50メートルの範囲に救済を限定したため、第1次原告99名中わずか7名の賠償請求しか認めなかった。また自動車メーカーの責任についても、その責任を否定した。
 差止請求についても「一定期間の暴露が気管支喘息の発症、増悪の原因となることが高度の蓋然性をもって予測しうる大気汚染物質の汚染濃度(閾値)を認めるに足りる証拠はない」として棄却した。判決は一方で今日でも加害行為が継続し被害が発生し続けていることを認めながら、「閾値」を立証しない限り差止は認めないという矛盾に満ちたものであり、「あまりにも後ろ向きすぎる」(日経社説)との批判を免れない。
 このようにこの判決はこれまでの大気裁判の到達点からみても、極めて不十分なものと言わざるを得ない。しかしこの判決が有する社会的な意義は予想を超えて大きなものであった。その点は後述することとして、まずは面的汚染、メーカー責任について判決の内容的な問題点を明らかにする。

2 面的汚染

 判決は、近時の疫学的知見によっても沿道以外の一般環境大気と発病、増悪の因果関係は明らかでないこと、沿道50mを超えて道路からの汚染物質が後背地に到達しているとは認められないことを根拠に、我々の主張する面的汚染を否定した。
(1) 一般環境大気との因果関係の問題については、尼崎、名古屋では提出されなかった様々な調査結果が提出され、いわば主戦場として論争が繰り広げられた。例えば、千葉大調査(これは沿道の調査として引用されるが、一般環境の調査も行われ、明確な知見が得られている)、欧米における数多くの調査などは、証人尋問においてもたびたび言及され、被告申請の学者証人からも高く評価される重要な知見も含まれていた。特に症状の増悪に関しては国内外の数多くの知見が一般環境大気との関連を明らかにしており、被告申請の証人さえもこれを認めるに至っている。
  ところが判決はこれらの積極的な知見については、一切言及せずに黙殺し、発症のみならず、増悪についても健康影響を否定したのである。
(2) 汚染物質の到達の問題については、一般環境大気に対する幹線道路からの汚染物質の寄与度が極めて高い(概ね5割前後)ことをたび重ねて明らかにした東京都の報告、環境総合研究所の青山貞一氏のシミュレーション結果などを提出し、本件地域がこれまで判決対象になってきた尼崎、名古屋などの地域と比べても非沿道地域のバックグラウンド濃度が極めて高いこと、その主たる原因は道路からの排ガスに由来するものであることを立証してきた。
  判決は青山解析については言及するものの、より基礎的な資料である東京都の報告は全く摘示もしないで無視するという恣意的な態度を取った。そして本件地域のバックグラウンド濃度が高いことも無視して、単純に距離減衰の知見から、50m以上は道路の直接的な影響は及ばないと判示したのである。
  特に本件地域の一般測定局の汚染濃度は千葉大調査が対象とした幹線道路沿道の汚染濃度とほぼ匹敵する水準にあり、SPMでは24~32%が、NO2では7割程度が一般局でありながら「千葉大調査沿道」を超過している実態にあり、この点からも判決の不当性は明白である。
(3) これまでの大気汚染裁判では固定発生源からの「面的汚染」(これを疑う者はいなかった)により、被害者の司法的救済がはかられてきた。これに対し東京の「面的汚染」の原因は自動車排ガス以外にはない。この新しい争点については尼崎、名古屋の審理の水準を大きく超えて、当事者双方が様々な証拠を提出し、「天王山」として訴訟活動が繰り広げられた。
  ところが裁判所はいわば「尼崎・名古屋水準」を超える証拠は全て黙殺し、積極的な証拠は理由中に摘示すらしないという驚くべき態度を取り、結果的に原告被害者が司法に託した最後の救済に背を向けた。これでは全く何のための裁判所であったのかと、憤りを超えて情けなさが先にたつ。

3 自動車メーカーの責任

 メーカー責任に関し、判決はメーカーの予見可能性を明確に認定しておきながら(1973年ころには東京都内で自動車排ガスによる深刻な被害の発生を予見していたとした)、被害防止のため排出ガス中の有害物質を低減すべき義務を単なる「社会的責務」とし、過失責任発生のためにはさらに具体的な結果回避義務の主張立証を原告に要求し、その立証がないとしてメーカーを免責した。これはまさしく原告に不可能を強いるものであり、被害が予見可能である以上は、その防止のために万全を尽くすべき義務を課してきたこれまでの公害裁判の「常識」にも反するものである。
 また判決は、結果回避義務違反の有無について、①メーカー、社会の被る不利益の程度や②メーカーが排ガス規制を遵守してきたこと、③メーカーはユーザーの走行を管理し得ず、また自動車の集中、集積の対策、道路対策は行政の権限であり、メーカーは適切な回避措置をとることができないことなどを考慮すべきとした。生命身体が脅かされているときに、メーカーや社会の不利益(公益性)を考量することが許されないこと、行政規制の遵守は義務を尽くしたと評価され得ないことなどもこれまでの判例では「常識」であり、本判決はこの点でも常識はずれのものである。
 さらに判決は「結果回避措置の予見可能性」(いかなる結果回避措置をとれば回避可能かの予見可能性)なる新奇な概念を持ちだして、メーカーの結果回避可能性を否定した。どのような措置をとればどの程度被害が防止しうるかを厳密に予測することが困難であることは分かり切ったことであり、その立証を原告に求めることもまた不可能を強いることに他ならない。
 全体を通じて「生命身体という重大な法益侵害」である事実の軽視、「製造販売行為の社会的有用性」の強調というトーンが一貫しており、被害の公平な分担による救済という不法行為法の根本理念を忘れた判決ということができる。
 このように判決がメーカーの過失責任を否定したにもかかわらず、後述するように東京都をはじめ多くの自治体からは、自動車メーカーが新たな公害被害者救済制度の財源を負担すべきとの意見が上がり、マスコミも「メーカーは社会的責任を自覚し、被害者救済のために一役買ってほしい」(朝日)、「国やメーカは判決を重く受け止め、東京など大都市の大気汚染の改善と被害者救済に積極的に取り組む一歩にすべきである」(毎日)など、軒並みメーカー責任を指摘する論調で共通している。
 このように世論の前進させていく運動と、周到な法廷対策を両輪として取り組んでいく中で、このような時代遅れの判決は必ず覆していけるものと確信している。

4 怒濤の判決日行動

 判決日には、朝の裁判所前集会に1500名、昼休みの都庁集会に1700名、そして深夜に及んだ被告交渉に1300名と、1日行動をやり抜き、運動上は大きな成果を上げることができた。
 各メーカーともに当初は10名以上の交渉団は受け入れないとしたが、2時間から4時間にわたる門前の交渉で、各所50名規模の交渉団を受け入れさせたこと、そして早いところでも10時15分(トヨタ)、最後は深夜0時30分(日産ディーゼル)に及ぶねばり強い交渉により、全ての被告メーカーから確認書をとったことなど、原告団・支援者ともに大きな確信をつかむことができた。
 確認書では、ほぼ全てのメーカーに被害者救済制度の財源負担について「社会的要請もふまえて総合的に対応」「真摯に検討(協議)する」と約束させた。多くのメーカーは大気汚染に対する自動車排ガスの寄与を認めたものとして判決を「重く受け止める」とし、また日産は「判決を厳粛に受け止める」とした。またトヨタ、日産、日野などでは早期全面解決が望ましい旨を表明させた。また初めて首都高速公団からも確認書を取り、「被害救済制度の可能性について真摯に協議する」ことを約束させた。
 交渉は終始原告側の主導で行われ、原告の迫力に満ち、かつ切々とした訴えが全体を圧倒した。メーカー側から「我々は勝訴したのだから」などという発言がされると一斉に反発を浴び、どちらが勝ったのか分からないような状況となった。
 負けてどうして確認書が取れるのか。それは我々の運動が被害の現実から出発した、社会的道義あるたたかいとなっていること、そして会場内外にあふれた支援者の姿に象徴されるように、大きな運動と支援の広がりを作り出してきたことによる。「負けた気がしない」というのが原告団、弁護団そして参加した支援者全てにとって掛け値なしの実感であり、大きな確信をつかむことができた判決行動であった。
 また全国から公害弁連の皆さんが多数支援に駆けつけて頂き、被告交渉の前面にたってリードして頂いた。その力がなくしてはこのような成功はあり得なかった。この場を借りて改めてお礼申し上げたい。

5 新たな公害被害者救済制度の創設に向けて

 我々の全面解決の中心的な柱は、新たな公害被害者救済制度の確立である(原告団では全ての未認定患者が救済されるまでこのたたかいは終わらないことを確認している)。この判決を機に新たな救済制度創設を求める動きが大きく高まっている。
 自動車メーカーは勝訴したにもかかわらず、確認書にあるとおり救済制度の財源負担について検討せざるを得ない状況が生まれている。5連敗の国も救済問題を真剣に考えなくてはならないところへ追い込まれている。
 また石原都知事は判決当日に、控訴断念とともに、国に対して被害者救済制度の創設を強く要求していくことを表明、昨年12月には都議会としても国に被害者救済制度の創設を求める意見書を全会一致で提出している。また本年1月までで都内9区4市で同様の意見書が国に提出されている。
 さらに昨年12月には7都県市(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市)首脳会議で国に被害者救済制度の検討を要請しており、動きは首都圏にまで広がりつつある。
 こうした有利な状況をを最大限活用し、現在原告団、裁判勝利実行委員会では被害者救済制度の創設を目指した大運動に取り組んでいる。制度の実現に向けた大きな流れを作り出していきたい。
 裁判自体は数年の内にもう一つ全面勝利の判決を取ることを目標にして、進んでいくことになるが、裁判と救済制度創設の運動を有機的に組み合わせてたたかっていくことで、早期に全面解決を目指したい。