巻頭言
地球環境と洞爺湖サミット
代表委員 豊田 誠
7月の洞爺湖サミット(主要国首脳会議)が迫ってきた。京都議定書をめぐる各国の動きは、アメリカの理不尽な対応からEUの積極的な対応まで、バラバラだ。こうした中で、地球温暖化対策が焦点になることは当然であり、マスコミも様々な角度から地球環境の現状と迫りくる危機について報道するようになってきた。
◆災害の社会的な構造
ここへ来て、2つの巨大な災害が、アジアを襲った。
ミャンマー南部を直撃したサイクロン「ナルギス」と中国四川大地震である。日を追うごとに、死亡者数、負傷者数、行方不明者数が増え続けており、その実数の規模そのものすら掌握できない状況にある。行方不明者、生埋めとなった犠牲者など、想像を超える規模の人命が奪われる地獄絵となっている。
この惨状が、被害国の国の政治のあり様によって、被害が増幅させられていることに、憤りを覚えずにいられないのは、私ひとりだけではあるまい。ミャンマー軍事政権は、諸外国のNGOの入国援助の申出を拒みつづけ、サイクロンによる被害を何をさておいても救助するということではなかった。かえって、軍事政権を合法化する新憲法の国民投票を実施したことは、よく知られているところである。朝日新聞の山本大輔記者の報告によると、「被災者への救助物資は軍政が設けた避難所でしか配布しない」「新憲法への『反対狩り』も始ったという」(08.5.19朝日新聞記事)。
自然的災害であっても、これを取巻くその國の政治的、社会的要因などによって、人為的災害の性格をも色濃くするものだ。
地球環境の危機に置き換えてみると、IPCCの警告する、水面上昇などをはじめとする多様な環境破壊が、決して一様に現出してくるのではない。極端な例を言えば、気候変動により新出のウイルスが出現したとき、そのウイルスは特定の条件の特定の地域から人々を襲ってくるだろう。
清水誠教授は、公害地球懇にニュース(No.152 08.4号)のリレー発言のなかで「我が後に豪雨来たれ」というマルクスの言葉が、「今の環境問題にはぴたりですね」と引用されておられる。私は、その「豪雨」は、社会的矛盾の弱い環(人口過密、食糧難、貧困、政治的、社会的弱点の存在など)から真先に襲ってくることになるのだろうと考えており、今回のミャンマーのサイクロン、四川大地震はこのことを暗示しているように思えてならない。
◆福田内閣の姿勢を問う
洞爺湖サミットの議長国は、日本だ。福田首相が、この会議を主催し、主導することになるとして、マスコミの関心は、福田首相が、どんな環境戦略を打出すかに集ってきている。その一つが「セクター別アプローチ」だという。端的にいえば産業・分野別にCO2削減量を積みあげるというに過ぎないものである。総量を削減できないときにどうするかという根源的問題には何ら答えるものではない。
これまでに、「排出権取引」という手法が、あみだされた。それが、投機の対象となりつつあるのだから、資本主義制度のしたたかさには驚く。そして、セクター別アプローチと排出権取引とが結びついたとき、どんな事態となってしまうのだろうか、肌寒い思いがする。
もともと、福田内閣は、山積する国内の政治課題に何一つ国民の期待に応える解決ができていない。とりわけ、21世紀のうば捨山「後期高齢者医療制度」によって、人間の生命と尊厳をすら踏みにじろうとしているのだ。当然のことながら、その支持率は激減している。この内閣に、サミット議長国としての手腕を期待することができるのであろうか。
◆日本が世界に示すべき道
地球環境の危機の原因は、大枠では、明かになっているのであり、国別にも、事業別にも、その原因は解明されてきている。
確かに、世界規模での温暖化対策については、利害が激しく対立し、国際的合意がなければ、法的強制もできないなど、困難をきわめていることも事実だ。1972年の国連人権環境会議以来の縮図なのだ。
しかしながら、わが国は、世界でも類例をみない悲惨な公害体験をしてきた。そして、被害者、国民の声と、司法、立法により、これを克服しつつある歴史的経験も有している。わが公害弁連は、公害被害者の救済と公害根絶の上で、決定的に重要な歴史的役割を果してきたし、現在も果しつつある。地球環境の危機を克服するためには、この国家的教訓を世界の人々に発信し共有することが、現在の隘路を切り開くものになるだろう。
第一は、地球環境の危機について地球上の国際的世論を徹底して盛リあげていくことである。日本政府は、そのための資金を投入して、とことん国際的世論の喚起の手立てをしていかなければならない。公害弁連などが進めている「大口排出源に対する削減義務化署名」運動は、ささやかであるとはいえ、国内の取組みとして極めて先駆的な役割を担っている。
第二は、削減を義務化する法制度を創設することを、日本政府が内外に、大胆に宣言することである。もとより、業界からの激しい抵抗にあうだろう。日本だけがそんなことをしていたら、日本の経済は壊滅的な打撃を蒙るという、業界からの怒りの大爆発もあるだろう。しかし、日本の公害経験は、こうした産業界からの巻きかえし、反撃との闘いを通じて前進を勝ちとってきたものなのだ。いま重要なことは日本が削減の義務化の法制に向けて走り出すことであろう。義務化法制の施行には一定の国際的合意の成立を条件にすることで、予想される反論を抑えることができる。
92年ブラジルサミット時の規模を越えた、世界の公害、災害被害者、青少年世代、すべてのNGOなどによる共同の場、「かけがえのない地球をまもろう」という地球人としての共同の場をつくりあげていく努力が、我々自身にも求められているのだ。