普天間爆音訴訟一審判決によせて

弁護士 松崎暁史

1  2008年6月26日、那覇地方裁判所沖縄支部は普天間基地爆音訴訟について判決を下し、2002年の提訴以来、足かけ6年に及ぶ裁判闘争に一つの区切りがついた。
 判決の内容は要約すると、W値75以上の騒音を違法と認定し、当該コンター内に居住する396名の原告全員に対し、総額1億4672万円余の支払いを命ずる反面、原告らが切に願っていた飛行差し止めを棄却した。損害賠償については、W値75コンターの地域については1日100円、W値80コンターの地域については1日200円を容認。危険への接近の法理による免責、減額は全面的に排除したが、将来請求は請求適格を欠くとして却下した。防音工事については、1室目は10%、2室目以降5%ずつを減額した。  現在は、原被告双方が控訴し、舞台は福岡高等裁判所那覇支部に移っている。新嘉手納基地爆音訴訟が同裁判所で今秋結審し、来春には判決が予定されているので、控訴審が本格化するのは来年の予定である。

2  普天間基地(正式名称は普天間飛行場)は沖縄本島の中部に位置する基地で、宜野湾市の中心に市の約3分の1の面積を占有している。隣接する嘉手納基地が米空軍に使用されているのと異なり、普天間基地は米海兵隊第3海兵遠征軍第1海兵航空団が主に使用する基地である。第3海兵遠征軍は、第2次大戦中、サイパン、テニアン、硫黄島、沖縄での戦闘に参加した第3海兵水陸両用部隊を前身とし、現在3つある米海兵隊遠征軍のうち、唯一の常時前方展開遠征軍である。要するに、第2次大戦で沖縄戦を戦った米軍が、そのまま今度は海外に常駐する唯一の殴り込み部隊として居座り続けているのである。
 沖縄本島は、県都那覇市を中心とする南部、沖縄市や宜野湾市を中心とする中部、国頭郡と名護市からなる北部に分かれるが、ほとんどの米軍基地は中部北部に位置しており、人口の多い南部では普段から米軍の存在を意識することはさほど多くはない。しかし、沖縄本島を南北に貫く国道をひとたび北上すると、道路の両端にはフェンス越しに延々と続く米軍基地を目にすることができる。普天間基地は那覇から国道を北上すること20分ほどのところにある。沖縄本島は丁度中部の宜野湾市、北谷町、中城村でくびれており、この地域に位置し、平野部を大きく占有する普天間基地・嘉手納基地は、訪れる者に「基地の中の沖縄」を実感させてくれるのである。

3  1945年4月、沖縄本島に上陸した米軍は、住民を収容所に強制収容し、旧日本軍基地を占領したほか、占領した旧日本軍基地を中心に住民の生活基盤であった宅地、農地等の土地を次々と占領して、基地を建設、拡張していった。1952年にはサンフランシスコ講和条約の発効により、沖縄は米国の施政権下におかれ、米軍の占領状態が終了したが、米軍は、既接収地の使用権原と新規接収を根拠づける布令を次々と発布して、既接収地の継続使用と新たな土地接収を強行していった。武装兵の力で住民を暴力的に追い出して米軍基地を建設していったことから、その状況は「銃剣とブルドーザー」と形容されている。嘉手納基地が旧日本軍が建設した中飛行場を米軍が占領して整備拡張したのに対し、普天間基地の場合は、米軍が日本本土決戦に備えて、新たに土地を占領し建設したのが始まりであった。強制収容を解かれた住民達はかつての居住地であった普天間基地を取り囲むように集落を形成してゆき現在の宜野湾市を形作る。米軍基地は通常クリアゾーンと呼ばれる墜落事故等を想定した緩衝地帯を基地周辺に設けるのであるが、普天間基地にはこのクリアゾーンがなく基地と住宅地とがフェンス1枚を隔てて隣接する。2004年に海兵隊のヘリコプターが沖縄国際大学敷地内に墜落した際には、米軍がフェンスを乗り越えて、地元の警察や消防より早く現地に駆けつけたほどだ。このような普天間基地の状況を評して米国防長官ラムズフェルドは世界一危険な基地であると言った。

4  今回の判決は、このような普天間基地の歴史の中で初めてその航空機の撒き散らす騒音を違法と認定した。特に判決は、被害論において、騒音によるストレス反応として視床下部や自律神経系を介して消化器や循環器等身体の各器官に影響を及ぼしうることを前提に、「原告らには、本件航空機騒音が原因となり、又はその原因の一つとなって、高血圧や頭痛、肩こり等のストレスによる身体的被害が生ずる危険性が相当程度あるということができる。」と判示した。また前述した、沖縄国際大学構内へのヘリコプター墜落事故を指摘して、原告らが米軍機の墜落への不安感や恐怖感により航空機騒音による精神的苦痛を増大させられたと判示している。さらに、低周波についても、結論としては原告ら全員が最低限等しく低周波による精神的苦痛を受けているとは認められないとしたが、低周波による物理的影響によってイライラ感や不快感を受ける原告が相当多数いると推認できると指摘している。これらは被害論につき、一歩踏み込んでなされた判断であるといえるであろう。
 しかし、反面、差し止め請求につき、被告国は「米軍の普天間飛行場における活動を制限することが出来る立場にあるとはいえないので、原告ら主張の権利侵害状態を除去する義務を負うものともいえない」とし、いわゆる第三者行為論を用いて棄却しているなど、従来の判決の枠の範囲で紋切り型の判断をしている箇所も多く見受けられた。

5  判決言い渡し後、原告団と弁護団は記者会見を開いた。記者に控訴の予定を聞かれた原告団長は他の原告や弁護団と検討してから決めると答えたが、このときには控訴の方針は決まっていたはずだ。原告は静かな空を求めて本件訴訟を提起した。夜間の飛行差し止めというささやかな願いも棄却し、騒音を違法と認定しながらそれを受認し続けろと命ずるに等しいこの判決を、唯諾々と受け入れるわけにはいかないのだ。
 舞台は控訴審に移るが、一審判決に一つでも前進を積み上げ、基地の騒音と闘う全国の人々に報告できるようにしたいと思う。
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