水俣病訴訟弁護団

1 水俣の教訓を伝える闘い

 2001年12月に水俣病全国連は、「水俣病全史」全5巻を出版した。本書は、水俣病裁判を中心にした全面解決の歴史を資料および解説、年表で明らかにしたものである。
 また、水俣市の水俣病資料館では、水俣病患者が水俣病の語り部として水俣病を伝えてきた。水俣病被害者全国連幹事長橋口三郎さんもその一員として頑張っている。こうした中で、熊本県と熊本県教育委員会は、2002年度から県内の小学校五年生約2万人に水俣市を訪れてもらい、水俣病の悲惨な歴史と環境再生に立ち上がる地域の実情を学んでもらう方針を打ち出した。
 水俣病の語り部については、2002年11月12日、水俣市で新潟水俣病の語り部たちとの交流が行われた。水俣病患者の老齢化との関係で、この闘いをどう引き継いでいくかが今後の課題である。
 さらに、2002年の小学5年教科書では、例えば、1956年の公式発見から裁判闘争、95年の政府解決策にいたる事件史とともに、水俣市の環境再生の取り組みやもやい直しの動きも紹介しているもの等もある(日本文教出版)。これは、水俣病全国連の闘いが国民の中に浸透していることを裏付けている。
 こうした中で、昨年4月、「NPOみなまた」は鹿児島県出水市にグループホーム「三郎の家」を開設した。これは、水俣病被害者全国連幹事長の橋口三郎さんが自宅の一部を提供してできたものである。
 「NPOみなまた」は、水俣病の教訓を世界に広め水銀汚染を防ぐことなどを目的に設立されたもので、一昨年の水銀国際会議や、水俣病市民フォーラムのシンポジュームの成果(「水俣の真実を探求し伝え続けるために・第6回水銀国際会議研究発表演題報告集」「水俣病―21世紀への伝言」)を出版した。その上で、2002年9月1日に水俣でシンポジュームを開催した。また、今年は水俣病裁判の資料を歴史に残す作業に入る予定である。
 なお、この分野では昨年8月の日韓弁護士の公害環境問題の経験交流で水俣からも参加して報告できたことをつきえ加えたい。

2 水俣病患者をめぐる最近の闘い

 昨年10月の医療制度の改悪は水俣病総合対策医療事業にも及んでいる。これにより、「医療手帳」を持っている患者にも場合によっては窓口負担が発生することになった(手続き後2ヶ月で償還はされる)。これは、総合対策医療事業が現行医療制度と一体となっているために起こっている現象である。
 これに対し、水俣病被害者の会は、新規で年会費を支払うよう呼びかけて1000名を超える患者たちが再組織化に応じた。これは、従来の被害者の会の会員をも超えるもので新たな闘いが起こっていることを告げている。
 こうした中で、昨年よりとりわけ鹿児島県出水市で新たに認定申請をする動きがあり、患者救済の課題がまだまだ残っていることを明らかにした。

3 水俣病第2次訴訟原告をめぐる状況

 水俣病第2次訴訟原告たちの闘いは1985年8月29日のチッソの上告放棄により終わったと理解されている。しかしながら、それは、正確ではない。2次原告たちは判決一時金を受け取ったが、医療費や恒久対策を受給するにいたらず、それは第3次訴訟の課題となった。しかしながら、1995年の政府解決策の際、環境庁は2次原告については解決に含むことをあくまでも拒否してきた。そこで、2次原告たちは認定申請手続きを維持し、治療研究事業による医療費給付の対象となってきた。
 行政は、これまで2次原告たちを処分せずそのままにしてきたが、認定申請者が数十名単位となったので検診を実施し、処分をすることを選択した。現在、2次原告の3名は検診を終え、今年2月には処分が出される見通しである。
 水俣病患者に対しては、慰謝料だけの支払いでは不十分であり、医療費や継続的給付も必要にして不可欠である。2次原告は、これまでの経緯からして当然水俣病として認定されるべきであり、弁護団としては不当な処分を許さないという立場から熊本県との交渉を行っている。

4 ノーモアミナマタ環境賞

 昨年5月1日、第5回ノーモアミナマタ環境賞の授賞式が次の関係者に対し、行われた。

  麗水環境運動連合(韓国全罹南道麗水新基洞14 4)
  泗水中学校1年(平成13年度)
  武内忠男(熊本大学名誉教授・医学博士)

 麗水環境運動連合は、麗水にあるコンビナートによる公害問題などを通じ水俣病被害者の会と交流をしてきた団体である。海外からの初めての受賞であり、水俣病問題の教訓を世界に向けて広げていく上で貴重な事例となるであろう。

5 今後の課題

(1) 認定基準問題
 2002年7月12日、国の臨時水俣病認定審査会は認定業務を終了した。国の審査会は、水俣病患者大量切捨て政策の一環として設置されたものであり、その歴史的責任はいずれ明確にされなければならない。
 ところで、2001年4月27日水俣病関西訴訟控訴審判決後、水俣病の認定基準について、特に感覚障害について2点識別方式による診断方法などが問題となっている。
 しかし、2002年11月8日衆院環境委員会で、鈴木俊一環境省大臣は「判断条件は医学的見地に基づいている」と述べて、その見直しを否定している。しかしながら、環境庁の事務方は「判断条件は行政上の通知で百%医学的な通知ではない」と発言しており、この発言は根拠がないものである(91年中央公害対策委員会・水俣病問題専門委議事録・2002年11月27日熊日)。
 わが国においては、行政の水俣病幕引き攻撃により水俣病の実態について十分に調査されたとは言えず、今後とも調査研究がなされることが重要である。
 しかしながら、行政が新しい知見や成果を口実に水俣病患者を切り捨てる道具に使うことは厳に戒めなければならない。
(2) チッソ県債の現状
 2000年2月、政府は次のとおりチッソ支援措置を閣議了解した。
 その内容は、①チッソは経常利益から患者補償金を負担する。② チッソの公的債務(01年度末総額約1600億円)の内自力返済不能な分は国の補助金と県発行の特別な県債で毎年肩代わりする。 ③チッソが毎年の経常利益から患者補償金を支払った残りの半分を内部留保できる特例措置を2002年度まで行う、となっている。
 その後2002年5月31日、「チッソに対する支援措置に関する連絡会議」はチッソ支援策に基づき、同年度の県債予定額93億6900万円のうち91億1500万円の支払いを猶予した(国が8割を一般会計から支出)。これは、チッソが、2002年3月期決算で経常利益46億1600万円を上げたが、金融支援策の前提である53億円を下回るものであったことによる。
 こうした経緯から、政府は、2002年11月12日、右の③特例措置を3年間延長する、患者数減少などによる補償金の減少分は全額を公的債務返済に充てるなどの方針を明らかにした。
(3) 水俣病の研究
 環境省は、2002年8月20日、微量のメチル水銀が胎児に与える影響に関し、昨年10月から11年かけて宮城県内の病院で調査することを決めた。その理由として、①日本では成人の安全の目安が5ppm以下と見られているが、胎児の目安はない、②米環境保護局は、胎児を含めて人体に全く影響ない毛髪水銀値を1ppm以下と厳しくしている、③日本では魚介類を多食するため微量水銀の摂取量が多い、ことを上げている。
 調査対象は、2004年度末までの2年半の間、ひとつの病院で出産した母子450組で、同意を得て母親の食生活や毛髪、母乳、血液、へその緒の水銀値と、出生児の知能、言語、運動能力などを8年間追跡調査し、メチル水銀濃度との関連を調査する。しかしながら、調査地域については非公表とされており、データーの信用性を確保するためにも公開すべきである。
 国はこれまで、水俣病の研究を患者切捨ての道具として使ってきており、今回の調査がそのようなものにならないように厳しくチェックする患者・市民運動が必要である。また、同時にこうした課題に民間で研究するうねりを作り出してしていくことも重要な課題である。
(4) 町興し
 水俣市では、最近観光入り込み数約15万人も減少したが、市立水俣病資料館と市環境クリーンセンターに足を運んだ人は逆にこの5年で3万人台から5万人台に増えている。これは、水俣市が環境再生都市として町興しの方向を選択したことが正しかったことを明らかにしている。
 水俣病の語り部の活動もこうした流れを推し進めるものであり、こうした観点での町興しをさらに進めていく必要がある。
(5) まとめ
 水俣湾のヘドロ埋立地はまさに産業廃棄物捨て場であるが、その周りを鋼鉄製の矢板セルで囲んでいるだけである。時間が経てば崩壊する危険があり、内部に封じ込められているメチル水銀については今後も継続的に調査し、無毒化の研究も含めその安全性を確保していくことが求められている。
 先にも述べたが、まだすべての水俣病患者が救済されたのではなく、最後の一人の水俣病患者をきっちり救済するまで闘いは続くことを記して報告としたい。