巻頭言 与党PTの新救済策と水俣病問題

代表委員 千場茂勝

1、 与党水俣病問題プロジェクトチーム(PT)による新たな水俣病患者救済策の策定の為として環境省と熊本・鹿児島・新潟三県が水俣病認定申請者ら約1万3千人を対象に実施した実態調査の中間報告が2007年6月20日に明らかになった。回答者は約9500人だが、アンケートの17項目の神経症状のうち要点にしぼると約94%が「しびれがある」と回答し、症状が出た時期は1995年以前からとする人が61%に昇っている。無作為抽出で医師が診察した291人では、「四肢末梢の感覚障害がある」とされたのは43%だった。
 2007年7月3日、与党PTはアンケートの結果を利用して水俣病新救済策の大枠を決めた。それによると、水俣病の代表的症状である四肢抹消優位の感覚障害がある人たちを「広く水俣病の被害者」と受け止めて救済対象とし、(1)1995年の政治決着時の救済対象に準じる人(2)それ以外の人、に区分けするというものであり、救済策の柱の一つとなる一時金の支給水準は95年の260万円を下回らざるを得ないというものである。
 ただし、「公健法に基づく国の認定基準(判断条件)は堅持する。」との前置きがついているし、(1)と推定されるには、保存されるのが珍しい過去の診断書と居住歴や家族の状況などが揃った場合に限る意向をにじませている。また、(1)の95年の政治決着以前から症状がある事が証明できる人と(2)のそうでない人とで一時金の金額に差をつけるとしている。
 熊本県には原則として評価している。各患者団体には反発が多いが、期待している団体もある。チッソは難色を示している。
2、 2004年10月に言い渡された水俣病関西訴訟最高裁判決は水俣病の発生拡大についての国及び熊本県に国家賠償責任を認めるとともに、国が、行政認定基準として固守してきた1977年の「判断条件」(以下「判断条件」という)が複数の症状の組合せを条件としてきたのに、判決は感覚障害の一症状でも水俣病と認められるとした。
 これにより、「判断条件」で棄却してきたこれまでの国の水俣病患者大量切りすて政策の矛盾が明らかとなり、最高裁判決後、熊本・鹿児島両県知事に対する行政認定申請者が一挙に著しく増加した。  実は、最高裁判決より19年前の1985年8月言い渡された水俣病第二次訴訟福岡高裁判決は、疫学条件が高度で四肢末梢優位の感覚障害があれば水俣病と認定できるとし、「判断条件」は補償受給者を「選別するための判断条件となっている」として、認定基準としては」「厳格に失する」と正面から批判した。チッソは上告せず、この判決は確定した。慌てた環境庁は、急遽認定審査会の委員らを集めた「水俣病に関する医学専門家会議」を開き、「水俣病認定基準は現行通り」との最終結論を出し、「判断条件」をあくまで守りぬいた。そして水俣病患者大量切り棄て政策を続けた。
 その後、全国的に国家賠償訴訟を起こして争ったが、水俣病像については最高裁判決によって司法判断が確定した。
3、 ところが環境省は「最高裁判決は行政認定基準を直接否定していない。」などと称してあくまで「判断条件」を改めようとはしない。そして判決の1年後に、はり、きゅう費用を支給する新保健手帳の交付という施策を実施した。しかし、認定申請の取下げと訴訟をしないことを要件としている。
 このような状態のもとで多くの被害者はもはや司法に救済を求めるしかないと考え、2005年10月水俣病不知火患者会の50人の被害者がチッソ、国及び熊本県を被告として熊本地裁に損害賠償を求める訴訟を起こし、その後提訴者が続き、2007年3月第8陣となり、原告数は1270名となっている。この訴訟は「ノーモア・ミナマタ国賠等訴訟」と呼ばれており、ノーモア・ミナマタ国賠等訴訟弁護団長は私と同じ熊本共同法律事務所の園田昭人弁護士であり、当事務所が弁護団事務局となっている。原告らは私たちがやった水俣病第一次、二次、三次訴訟の子供が多いという。弁護団も世代交代している。
 一方、2007年3月で行政認定申請者は約5200名で、新保健手帳交付申請者は約8000名である。2006年9月、ときの小池環境大臣の私的懇談会である「水俣病問題に係る懇談会」は提言を取りまとめたが、環境省は、認定基準を問題にしようとする懇談会に強い圧力をかけ、結局は、認定基準見直しは提言から削除された。
 しかし、「判断条件」の改定を求める声は強くなる一方である。
 与党 の園田博之座長は「救済策を出す最大の理由は認定審査会が動かなくなったから。行政責任が確立した最高裁判決を国は放置するのかという批判には耐えられない。」と自民党内のPTメンバーの反対を説き伏せたとのことである。
4、 「生きているうちに救済を!」と求める平均年齢70才を超えると言う約1400名の原告らの必死の叫びを受けて、我々水俣病全国連は和解を決断した。
 1989年のことだった。その後長期にわたって水俣病全国連の弁護士は、原告とともに、多くの支援者の協力のもとに国会めぐりと、環境庁、通産、大蔵、農林水産、総理府との各省交渉を実行し、それと原告患者らの首相官邸座り込みによって遂に政治決着に到達した。これはまさに苦闘の末にたたかい取ったものである。
5、 しかし、現時点では条件が全く異なる。1270名の原告をかかえている水俣病不知火患者会及び弁護団は与党PTの新救済に反対している。その理由は次のとおりである。
(1) 最高裁判決をふまえていない。
@ チッソ、国、県の責任に基づくものかどうかわからない。
A 司法判断を踏まえた広く救済できる基準ではない。
B 最高裁判決では一時金は450〜850万円である。しかし、新救済策では260万円より少ないという。
(2) 95年政治決着の前後で分けるのは水俣病の救済策としては根拠がなく不当である。
(3) 判断するのは誰か。環境省や県なら、それは水俣病発生拡大の責任ある当事者だから被害者の納得は得られない。裁判所の判断が適当である。
 私も、全く同じ意見である。これは広く救済する策ではなく、根拠がないとして多数が切りすてられる。また95年の前後で分断される。もともと、「判断条件」は水俣病患者大量切りすて政策の道具として1977年以降30年間も猛威をふるったものなのだから、判断条件を改正することしか真の救済策として水俣病問題を解決することにはならない。
 なお、水俣病被被害者互助会も、新救済策を受け入れず、国、熊本県、チッソを相手に提訴する方針を検討している。また、県に認定を求める認定義務づけ訴訟が熊本地裁と大阪地裁に計3件が提起されている。
 九州弁護士会連合会(九弁連)は、与党 の救済策について「国、県の責任を不問にした極めて不当な案」とする理事長声明を発表した
 いずれにせよ、与党PTの新救済策は、一部の被害者団体は受け入れても、広く強硬な反対は続き、国の認定基準「判断条件」を改めない限り、水俣病問題は混迷を深めるだけで解決にはほど遠いであろう。
6、 水俣病問題は終わりがないという人もいるが、水俣病発生当時の汚染地域の人口が47万人だというのに、国が一度も本格的な実態調査をせず、放置するどころか原因企業のチッソを擁護し尽くし、自らも加害者となったことがこの果てしない水俣病被害の原因であり、国自身が責任者として根本的解決を図らない限り、いつまでも水俣病問題は終わらないであろう。