国のトンネルじん肺防止政策を転換させる
― 全国トンネルじん肺根絶訴訟の勝利解決 ―

全国トンネルじん肺根絶訴訟幹事長
弁護士 山下登司夫

1、  2007年6月18日、全国トンネルじん肺根絶訴訟の原告団・弁護団は、国(厚労大臣、国交大臣等)との間で、「トンネルじん肺防止対策に関する合意書」を締結した。国は、この「合意書」において、
(1)  原告じん肺患者や遺族に心からの弔意とお見舞いを表明し、
(2)  トンネルじん肺防止対策を強化するための措置として、
(ア) 粉じん障害防止規則(粉じん則)を改正し、
  1.  掘さく作業等における換気等の措置、
  2.  粉じん発生源対策及び換気対策の効果を確認するための粉じん測定、
  3.  湿式さく岩機と防じんマスクの重畳的使用、
  4.  多量の粉じんが発生するコンクリート吹付け作業等について電動ファン付マスクの使用、
  5.  発破退避時間の確保、
を本年度中に事業者に義務付ける、
(イ) 切羽付近における粉じん濃度測定が的確・安全にできるように本年度中に調査、研究を開始し、その成果を粉じん則の改正に結びつける、
(ウ) エアラインマスクの実施に向けて本年度中に検討を開始する、
(エ) トンネル工事の長時間労働を改善するために、労働基準法32条を踏まえ、積算基準を本年度中に見直す、
(3)  トンネル工事における粉じん対策について原告から意見を聞く場を設ける、
ことを約束した。
 また、「合意書」の調印に先立って行なわれた官邸での会談で、安倍総理大臣は、原告らに対し、「じん肺防止対策を進め、じん肺の起こらない日本にしていきたいと決意している」とじん肺防止対策を講じることを約束した。
 この「合意書」の締結は、国がこれまでのトンネルじん肺防止政策の転換を決断したものであり、トンネルじん肺の根絶へ向けて大きく一歩を踏み出す道筋をつけるものとして、高く評価をすることができる。それとともに、規制官庁の厚労大臣が「合意書」への署名を行っただけでなく、トンネル工事の事業実施官庁である国交大臣等が署名を連ねたことの意義は大きい。つまり、トンネルじん肺の根絶は、規制法規だけでなく、その経済的裏付けとも云うべき「積算基準」の改定と相まって実現するものといえるからである。
 原告団・弁護団は、国が原告たちの要求を基本的に受け入れたことで、国に対する請求を放棄することを約束し、根絶訴訟(原告患者数は969名)を和解で解決することを決断した。そして、本年6月20日〜7月20日にかけて東京高裁等全国各地の裁判所で原告側勝利の和解が次々と成立し、国を被告とする根絶訴訟は全面解決した。
2、  根絶訴訟の原告たちの大半は、先行して闘われた、トンネル建設工事の元請企業を被告とする全国トンネルじん肺損害賠償訴訟(全国23地裁支部に係属)の元原告たちである。先行訴訟の原告たちは、「謝れ、償え、なくせじん肺」のスローガンの下に団結して闘い、元請企業との間で、元請企業が「法的責任」を認めて「謝罪」し、じん肺被害を一定償うに相応しい賠償金を支払う勝利和解を次々と成立させていった。また、先行訴訟の闘いの中で、厚労省は、トンネル工事の粉じん防止の「ガイドライン」(2000年12月26日通達)を出さざるを得なくなった。しかし、「ガイドライン」のじん肺防止対策は極めて不十分なものである。しかも、今日のトンネル建設工事は、NATM(ナトム)工法等の新しい工法で施工され、従来にも増して粉じん発生量が増大している状況にある。先行訴訟の原告たちは、後輩の労働者たちに自分たちと同じ苦しみを味合わせたくない、そのためにはトンネルじん肺防止のための法令を抜本的に改正させるほかないと決意し、自らが再び原告となって、国の規制権限の不行使等の責任を追及する根絶訴訟を2002年11月22日に東京地裁に提訴し、その後全国10地裁に提訴していった。同時に、原告たちは、「じん肺根絶を求める100万署名」(101万4195筆達成)、衆参国会議員の「トンネルじん肺根絶の賛同署名」(現職国会議員529名が署名)などの運動に取り組んでいった。
3、  このような運動と全国各地での裁判闘争が積極果敢に取り組まれるなかで、昨年7月7日東京地裁、7月13日熊本地裁、10月12日仙台地裁、本年3月28日徳島地裁、3月30日松山地裁において、トンネル工事のじん肺防止に関する国の規制権限不行使の責任を認める原告側勝訴の判決を勝ち取った。この5地裁の判決は、規制権限の不行使を違法とする時期や規制内容について異なる部分があるが、いずれの判決も、甚大なじん肺被害とトンネル建設工事が国策として強力に推進されてきたことを直視し、多数のトンネルじん肺患者を発生させてきたこれまでの国のトンネルじん肺防止政策の在り方を厳しく断罪したもので、その意義は極めて大きいものがある。
 原告団と弁護団は、判決が言い渡される度毎に、トンネル工事の発注者であり、じん肺防止の行政責任を負っている国(厚労省、国交省等)に対し、判決を真摯に受けとめ、原告・弁護団との協議の場を設け、従前のじん肺防止の政策を抜本的に見直し、粉じん則等の改正整備に着手するように要求してきた。しかし、国は、この要求を拒否し、いずれの判決に対しても控訴した。このような国の不当な対応に対し、原告たちの要求を「じん肺根絶は社会全体の共通課題」と受けとめた与党が、自民党内にじん肺対策議員連盟、公明党内にじん肺プロジェクトチームを立ち上げ、また、野党各党も、原告たちの要求を受けとめ支援をするという政治環境が作り上げられてきた。
 そして、行政の「裁量権」を楯にトンネルじん肺の防止政策の転換をかたくなに拒否してきた国が、国の規制権限の不行使の責任を断罪する五地裁の判決、トンネルじん肺根絶を求める大きな世論と政治の動きの中で追い詰められ、ついに、これまでの政策を抜本的に転換することを決定し、原告団・弁護団との間で「合意書」を締結した。この国の抜本的な政策転換を勝ち取れたのは、原告たちとその家族が団結し、不退転の決意で国のトンネルじん肺防止の政策の転換を求める運動に取り組み、大きな世論を構築するとともに、法廷内外の運動を結合させた闘いを展開していった成果によるものである。
 ところで、「合意書」の締結は、あくまでもトンネルじん肺根絶への出発点である。原告団・弁護団は、国に対し、国が「合意書」で実施を約束した事項の確実な履行を求めていく必要がある。また、調査・研究を開始することを約束した事項について、どのような調査・研究を行なうのかを監視していく必要がある。その意味で、国が「合意書」で設けることを約束した「原告から意見を聞く場」での意見交換は極めて重要である。
 ILOとWHOは、1995年4月に、「2015年までに、労働衛生問題としてのじん肺を根絶すること」を掲げ、その目標を実現するための「国の実行計画」の策定を求めており、じん肺の根絶は国際世論にもなっている。原告団・弁護団は、今後とも、公共工事であるトンネル建設工事で働く労働者がじん肺に罹患しないために、さらなる努力をする決意でいる。