「明日への環境賞」受賞

財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団)
研究員 小平智子

公害闘争40年、財団発足10年

 西淀川で公害闘争がはじまって40年、財団法人公害地域再生センター(通称、あおぞら財団)が設立されて10年、この度、朝日新聞社の「第8回 明日への環境賞」を受賞しました。「明日への環境賞」 は、地域のごみ問題から自然や動植物の保護まで、幅広いさまざまな分野の実績活動を対象とし、「先見性」「モデル性」「継続性」の観点から表彰されます。今回、全国から集まった推薦・応募は215件。その中から1個人3団体が選ばれました。西淀川公害の裁判中及び、財団設立後も活動を応援してくださった、全国の弁護士並びに関係者の皆様方のご援助があってこその受賞です。まずは御礼申し上げます。
 西淀川公害裁判は、西淀川工場のばい煙と車の排気ガスによる複合大気汚染の責任を追求した訴訟です。大阪市西淀川区の公害患者ら企業と道路管理者の国などを相手取って78年に訴訟しました。一次訴訟で企業に賠償を命じる判決が出た後、被告企業が39億9千万円を支払って和解。その中から15億円を基本財産として、患者の生活環境の改善や、疲弊した公害地域の環境再生に向けた調査研究と実践活動を目的に、あおぞら財団が設立されました。
 裁判で闘ってきた人々の地域再生への思いと、財団設立の経緯を、受賞式での森脇理事長のスピーチから紹介します。
 「7歳の子供の家に行ったときに、畳が黒や赤の線で引かれている。おばさんにこれはどうしたのかと聞くと、その子が喘息の発作中にもがき苦しみ、爪でかきむしってひかれた血の跡だと、黒の血はだいぶ前の血で赤の血は最近の血だと答えました。その当時、西淀川は3m先が煙で見えず、子供たちが絵を描くと灰色の空を描きます。あおぞらを知らなかった。何とかしなければと思い、裁判を起こしました。21年かかりました。長い裁判の中で、やっと最後に勝ち得たものは何かというと、『手渡したいのは青い空』という言葉。孫や子供のためにどうしてもきれいな西淀川を残していきたい、裁判での患者の願いでした。だから私たちは損害賠償金の中から財団法人をつくり、今の公害地域再生センターをつくったわけです。」

 写真:「明日への環境賞」授賞式(2007.4.24 提供:朝日新聞社)


あおぞら財団の活動

 あおぞら財団は現在、次の5つのテーマを柱に活動しています。(1)エコドライブ普及事業をはじめとした人と環境にやさしい交通まちづくり、(2)西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)を拠点に、公害経験を伝えていく活動、(3)公害患者の健康や生きがいづくりをめざした活動、(4)身近な自然や環境について学ぶ活動、(5)アジアを中心に公害経験を伝え、環境NGOと交流する活動。
 和解金を使って地域の環境再生に取り組む活動は、全国で初めての試み。どのように取り組んでいけばよいのか・・・議論しながら手探りですすむ中で、現在のように5つの分野に整理されたのも、10年のひとつの成果でしょうか。
 近年の活動をいくつか紹介します。
 大学、行政、トラック事業所、企業などと協力し、トラックの排ガスを減らすエコドライブの普及事業にとりくみました。その研究成果や推進のための課題を知らせるシンポジウムをひらきました。「被害を受けた団体の人たちが、加害者でもあるトラック事業所に歩み寄ってくれたことが、とてもうれしく、意義があることだと思いました。」これは、そのシンポジウムに参加したトラック事業所の方の言葉です。地域の環境再生や持続可能なまちづくりのためにさまざまな主体と協力しています。
 昨年3月、財団が入るビルの一室に、「西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)」が、開設されました。公害訴訟の全記録を収蔵し、公害のひどかった70年代に公害をテーマに小学生が書いた作文や当時患者が使っていた吸入器、解説パネル等が展示されています。中学生の社会科見学や企業の新人研修、現、西淀川と同様の公害被害をうけている韓国やタイなどアジアの国々の環境NGO等からの視察受け入れと交流等、患者たちの経験や裁判の成果を伝える場となっています。また、公害の経験とそこから学ぶことを、次の世代にわかりやすく伝えていくため資料を用いて環境学習の教材なども作成しています。
 また、環境省から委託を受け、高齢化した公害患者のリハビリテーションプログラムの開発などにも取り組んでいます。

「地域再生」した未来にむかって

 西淀川の空は今、昔のように灰色ではなく、青い空は取り戻されたかに見えます。けれども汚染の現況は工場の煙からディーゼル車に移り、国道が2本、高速道路が2本貫く西淀川区は、いまだに大気汚染公害が解決されたとはいい難いのが現状です。あおぞら財団で実施した大気中の二酸化窒素の濃度を測定する子供向けの学習会に参加した親からも、子供が喘息もちであり、西淀川の空気の状態が心配なので参加したという声を聞きます。  地域づくりや環境再生のためのキーワードは「住民と行政との協働」「市民参加」と言いますが、実際には困難も多く四苦八苦しています。今春、財団設立10周年企画として「参加」について考えるシンポジウムを開く等、地域再生の方法や何をもって再生とするのかを、探る日々が続いています。
 今、各地でさけばれる「地域再生」。この「再生」という言葉ですが、1993年に環境基本法を制定したときも「再生」という言葉は入っていません。当時まだなじまなかった「再生」という言葉を名前に掲げた「公害地域再生センター」。そのことを誇りに思うとともに、「手渡したいのは青い空」を合言葉にがんばってきた人々の願いの強さに責任を感じながら、その思いを未来へつなげる活動ができるようがんばっていきたいと思います。公害に苦しんだ西淀川の人々が、知恵と勇気と努力によって被害を克服したことに誇りが持てる地域になるように、これからも勉強を続けながら、地域再生の手がかりを、人の健康や命が優先される社会のあり方を、西淀川から全国へそして世界へ伝え広げていきたいと思います。
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