【若手弁護士奮戦記】
普天間基地爆音訴訟に参加して

弁護士 松崎暁史(沖縄)

1  一昨年の秋に沖縄で弁護士登録をしてから1年半が過ぎた。修習期間中も含めると沖縄での生活は3年になる。那覇修習を希望したのは漠然としたイメージしか持っていなかった沖縄が抱える問題を具体的に受け止めたいという無邪気な動機からだった。
 実務修習期間中の第一クールに沖縄国際大学に普天間基地のヘリコプターが墜落するという事故が起きた。その日は金曜日だったため,翌土曜日に那覇から片道40分の路線バスで現場まで行ってみる。消火活動は終わっていたものの焼けこげた木や校舎の壁,そして原型を留めていないヘリコプターの残骸が生々しい。民家や畑に散乱したローター等も未回収だった。現場付近は米軍によって封鎖され,その外側を警察がテープを張って警戒している。現場付近にいるのは米兵だけだ。
 現場の向かいにある高台にのぼると校舎のすぐ向こうには広大な普天間基地が見えた。文字通り目と鼻の先にあり,警察が来る頃には米軍が現場封鎖していたのも道理だ。沖縄に居ても中部以北に住まなければなかなか実感できない現実。基地の中に街がある。
 墜落事故以降,報道はテレビも地元紙も墜落事故一色だったが,内地で修習する友人の多くはさほど重大な事件と受け止めていない。そもそも情報が少なかった。沖縄と内地での基地問題報道の温度差に驚かされる出来事でもあった。
 年も明け,実務修習が後半にさしかかったころ,沖縄で弁護士登録することを決める。爆音訴訟がライフワークとならないことを祈りつつ。

2  ここ数年の普天間基地を巡る情勢はまさに有為転変といった状況です。
 合意に基づく辺野古の代替施設建設については,現場での粘り強い闘いにより10年間杭1本打たせることなく,かつ現場での闘いに携わった人々の中に一人の逮捕者を出すこともなく海上案を断念させるという,この上ない成果をあげて2006年を迎えました。
 しかし,2005年の中間報告を経て,2006年5月に発表された日米安全保障協議委員会(2プラス2)の最終報告は,沖縄の基地負担軽減をうたいながら,基地の県内たらい回しと露骨な基地機能の強化を指向するものでした。
 最終報告による新基地の建設予定地は辺野古崎の沿岸にあって滑走路,弾薬庫,港湾施設,それに訓練施設を緊密に連携させられる立地にあります。しかも,予定地はキャンプシュワブ内にあって刑特法が適用可能であり,従来の基地建設阻止の手法が通用しない可能性の極めて強い場所です。
 各種の世論調査では軒並み7割以上の県民が辺野古崎沿岸への基地移設に反対をしましたが,秋の沖縄県知事選では基地移設を容認する首長が当選するという結果となってしまいました。知事選の最大の争点は基地問題でしたが,基地問題と経済問題がコインの裏表のように喧伝される中で,経済問題が大きくクローズアップされてきました。特に基地問題と経済振興をリンクさせようとする政府閣僚の発言は看過しがたく,良心を秤にかけて切り売りさせられるような屈辱とそれを強要する政府に対する強い憤りを感じました。
 2007年に入り,政府は普天間基地辺野古移設のため正式な環境アセスに先立って「事前調査」を行うことを決定しました。そしてこともあろうか海上自衛隊の掃海母艦を投入して反対住民の行動を威圧し,5月18日未明にはサンゴ着床板などの機材を海中に設置する作業を始め,本格的に環境現況調査に着手しました。奇しくも,普天間基地爆音訴訟で原告宅での検証を行ったその日の夜中の出来事でした。そして,翌週5月23日には基地の受入れと経済振興をリンクさせる米軍再編特措法が国会で成立します。
 銃剣とブルドーザーで作られた沖縄の米軍基地。今度は経済振興で住民を分断し,なお反対する住民を自衛隊によって威圧することによって作られることとなるのかもしれません。

3  このような情勢の中で,普天間基地爆音訴訟は2002年の提訴から5年目を迎え,原被告間の主張はほぼ出尽くしました。今年の夏頃までに証拠調べを終え,秋口にかけて結審し,今年度内には判決というスケジュールが示されています。既に原告本人尋問と検証は終わり,あとは証人尋問と最終準備書面を残すのみとなっています。
 立証は他の爆音訴訟と共通点が多いかと思いますが,普天間基地独自の問題としては低周波騒音による被害についての立証があります。ご存じの通り,普天間基地は海兵航空団のヘリコプター部隊が主に使用していますので,ジェット戦闘機が離着陸する嘉手納基地等と異なり,ヘリコプター独特の低周波騒音による被害が存在します。
 しかしながら,W値を基準にして違法性及び損害の判断をしてきた従来の判例からすれば過小評価される危険性が強く,低周波騒音による被害の実態を裁判官にどのように伝えるのかが立証のポイントとなるかと思います。
 難しい点ではありますが,被害に始まり被害に終わるという垂訓を肝に銘じて臨みたいと思います。また同時に,普天間基地の被害の実態を裁判を通じて広く社会に訴えることによって,基地移設反対の運動と切り結び,基地の県内たらいまわしを許さない世論を更に強くしていければと思います。