因果関係論(全体)

弁護士 南雲芳夫

1, はじめに
京大気汚染公害裁判においては,因果関係が最大の争点となり,一審判決では「幹線道路沿道50m」という限定された範囲でのみ,道路の設置・管理の瑕疵と健康被害の因果関係が認められた。
  因果関係については,大気汚染への暴露と,呼吸器疾患の発症・増悪の間の因果関係を認めるかどうかが,まさに勝敗を決する「天王山」といえるが,この分野については,別に,島戸弁護士が,まとめている。
  ここでは,発症・増悪の因果関係を中核とした上で,その他の因果関係をめぐる問題について,主に,自動車メーカーの責任と面的汚染に焦点を当てて,東京訴訟における主張・立証の概要を紹介し,その到達点と課題を整理した。
2, 東京訴訟の因果関係論の特質
  もとより,不法行為における因果関係は,責任原因となる「侵害行為」と賠償の基礎となる「結果」の間の因果関係が問題となる。
  原告側が主張した自動車メーカーの侵害行為は,充分な排出ガス対策を行わないまま大量の自動車を製造・販売した行為である。他方,「結果」は,個々の原告の呼吸器疾患の発症・増悪である。
  そして,この侵害行為と結果との間の因果関係の論証にあたって,もっとも大きな課題とされたのは,大気汚染への暴露と呼吸器疾患の発症・増悪の間の因果関係の立証であることは前記の通りである。
  この発症・増悪の因果関係についての立証を尽くした上で,さらに自動車メーカーらの侵害行為と個々の原告の被害との間の因果関係を,全ての原告について整合的に主張・立証するには,いくつか乗り越えなくてはならない課題があった。
  まず,第一に,東京訴訟は,先行する大気汚染訴訟に比べて,対象地域が極端に広いという特質がある。たとえば,西淀川訴訟は西淀川区一区が訴訟の対象であった。川崎訴訟は,川崎区と幸区の二区に留まる。そこでは,原告が暴露した大気汚染の濃度について,複数の一般局があったとしても,その平均をもって,全地域に汚染が均一に広がっていたという,一種の「みなし」が適用可能であった。
  しかし,東京訴訟においては,対象地域が広大であり,しかも場所によって汚染濃度に開きがあった。一般的には都心部が高濃度であり,周辺部に行くに従って濃度が低下する傾向がある。道路が集中する千代田区と,周辺部に位置する葛飾区や練馬区などをまとめて,全てを同等の汚染状況とは言い切れない面があった。
  第二に,東京訴訟が後発訴訟であることの必然的な結果として,原告の発症・増悪の時期が昭和30年代から平成10年過ぎまで,長い期間に散らばっているという問題がある。この時間の長さは,同時に,大気汚染について,主要な汚染物質の変遷をともない,また同一の汚染物質の中でも実測濃度の変化が相当あった。
  第三に,このように地域的・時間的な広がりが大きいことから,疫学調査などを利用して発症・増悪の因果関係の立証に成功したとしても,これを面的汚染の存在に活用するためには,「本件疾病の発症・増悪の原因たる大気汚染濃度」を設定する必要があるという特質があった。
  すなわち,東京訴訟では,「面的汚染の存在」が主要な立証対象とされたが,一般論でいえば23区全域に大気汚染が広がっていることは,争いのない事実ともいえるのであり,焦点は,厳密にいえば「本件疾病の発症・増悪の原因たる大気汚染濃度」が,23区全域に広がっていたか否かということになる。
  そして,いわゆる一般局は,その地域に普遍的に存在する大気汚染の状況を測定しているとされていることから,23区内の汚染の濃度は,一般局の実測濃度によって示されることとなる。
  結局,面的汚染の立証といっても,実際は,疫学調査などから導かれる「本件疾病の発症・増悪の原因たる大気汚染濃度」と,地域代表性のある一般局濃度との対比,およびその基準となる濃度を超過した時期と個々の原告の発症・増悪の時期の対比を行うことが必要となった。
  疫学調査等から導かれる発症・増悪の基準濃度は,千葉大調査の自排局濃度から導かれる自排局基準濃度,同じく一般局濃度から導かれる一般局基準濃度,短期影響調査から導かれる増悪基準濃度(以上いずれもSPMとNO2それぞれ)と,AHS調査から導かれるSPMの日平均値の基準濃度超過日数の基準を設定した。
  そして,具体的な作業としては,個々の原告ごとに,その原告が直近の一般局濃度に暴露したことを前提に,発症・増悪の時期を特定し,その直前5年間について,これらの基準濃度の超過の事実があることを個々の原告ごとに整理して,個別の暴露の実態を明らかにした。
3, 基準濃度設定の功罪
  原告らは,一審の段階では,こうした基準濃度の主張までは行わず,本件地域全域が広く,面的に汚染されていることについて,大気拡散シミュレーションなどを利用しながら主張・立証した。こうした主張は,全ての原告について,もれなく暴露の主張を行える長所はあった。
  これに対して,一審判決は,発症・増悪の因果関係において,もっとも重要な大気汚染濃度に言及することなく,もっぱら幹線道路の交通量(4万台)と距離(50m)という形式的な基準を設定して,救済範囲を限定した。
  控訴審においては,千葉大調査を根拠に一部の救済を行いながら,その調査が示す汚染濃度を度外視した一審判決の矛盾をつくためにも,原告側から積極的に基準濃度を設定して,主張上も切り込むこととなった。
  しかし,他方で,(一般的な面的汚染の主張は維持していたとはいえ),こうした主張は,基準濃度に満たない測定局や,それに該当しない原告も出てくることから,両刃の剣の面もあった。
  基準濃度の設定は,自動車メーカーの侵害行為と結果発生の因果関係を明瞭に示すという面でも,積極的な意義をもった。すなわち,控訴審において,静岡大学の水谷先生の証言によって,自動車メーカーらが進めたガソリン車のディーゼル車への転換がなかった場合に,SPMの原因となるDEP(ディーゼル排気微粒子)の排出量がどの程度減少するかを推計した。具体的には,ガソリン車に置換可能なディーゼル車をガソリン車に置換した場合に,DEP排出量が54〜75%減少すること,その結果,SPM汚染濃度に関する自動車排出ガスの寄与率と掛け合わせることによって,ディーゼル化がなかったとすれば,SPMの大気汚染濃度が大幅に低下し,発症・増悪の基準濃度を下回ることを明らかにした。
  このことは,自動車メーカーらがディーゼル化を推進したことによって,SPMの発症・増悪の基準濃度を超過したことを明瞭に示すものであり,自動車メーカーらの責任を追及するにあたり大きな前進を勝ち取ったといえる。
4, 共同不法行為について
  本件では,(1)自動車を製造販売した自動車メーカー,(2)幹線道路の設置管理をした国・東京都・首都高,(3)排ガス規制権限者としての国,(4)交通規制権限者としての東京都(公安委員会)が被告とされた。
  因果関係をめぐる共同不法行為の成立の観点から,これら被告間の関係については,被告となった7社の自動車メーカーらの共同不法行為と,複数の道路管理の設置管理の瑕疵についての共同不法行為が主張された。
  このほかの点では,これらの被告らの侵害行為は,深刻な大気汚染の出現という結果をもたらすために相互に関連し,または,各侵害行為と結果発生との間に第三者の行為が介在し,ないし関与することはあるものの,それぞれの侵害行為が独立した不法行為の要件を満たし,結果発生との間に相当因果関係が認められることから,共同不法行為を論じる必要はないとして,その主張は行わなかった。
  ただし,控訴審の最終盤において,最低限の押さえとして,一審判決並に,幹線道路沿道における発症・増悪の因果関係が認めらることを前提にして,この範囲だけでも道路管理者の責任と並んで,自動車メーカーらの責任を認めさせるために,共同不法行為の主張を行った。
  具体的には,排出ガスを大量に出す自動車の大量販売と,大量の自動車の集中する幹線道路の供用という両者の関連共同する行為によって,幹線道路沿道において,発症・増悪の基準濃度を超過させたという客観的関連共同と,これらの行為をなす際に,相互に,相手の危険な行為(瑕疵)を認識し,それを前提にしていたという主観的関連共同の主張を行った。この点については,控訴審における主張であり,判決による判定は受けていない。
 しかし,高裁和解案が,一審判決で責任を認められた道路管理者ではなく,一審判決では賠償責任を否定された自動車メーカーらに対して,12億円の負担を求めたことの背景には,こうした主張が影響している可能性は否定できないと思われる。