東京大気汚染訴訟
―メーカー責任について―

弁護士 小沢年樹

1  メーカーを被告にした意味―提訴前の議論
  東京大気汚染訴訟では,もっぱら自動車排出ガスによる大気汚染被害の救済をテーマとしたことに対応して,先行した各地の大気汚染訴訟とは異なり,固定発生源企業ではなく,移動発生源たる自動車の製造メーカーが被告にすえられた。そして,大気汚染被害についての自動車メーカー責任が認められるか否かが,沿道汚染にとどまらない面的汚染による被害の救済と並んで,裁判の主要争点となってきたことは周知のとおりである。
  しかしながら,裁判提訴前の準備段階では,メーカーを被告として責任追及することは,必ずしも自明の課題であったわけではない。その理由はいくつかあるが,やはり当時はメーカーの不法行為責任―自動車製造販売の侵害行為性・違法性・過失といった各要件―の内容が,弁護団レベルでもくっきりと明確につかみきれていなかったことが大きい。筆者は提訴1年前に弁護士登録し,準備段階では道路班として東京23区内の幹線道路の設置・拡幅経緯や東京の都市政策・道路政策の歴史等を調べる作業に従事していたが,メーカー責任に関する報告や議論についてはほとんど印象に残っていない。ホンダを被告にしなかったことなどから,弁護団の末席にいた私でもさすがにディーゼル車の生産に問題性があることは漠然と認識していたものの,それがなぜ不法行為とまでいいうる企業活動なのかは,率直に言って理解していたとはいいがたい。そして,当時の私の認識レベルがこの程度であったということは,メーカーを被告として責任追及することについて,弁護団全体としても本当に説得力のある訴えかけが対外的にできていたとは,残念ながら思われないのである。
2  一次審前半のメーカー責任論
  一次提訴の直後からは,総論各班による準備書面作成・証拠提出,さらには専門家証人の準備に追われたが,発症の因果関係,到達の因果関係,都市政策論,道路管理責任・交通規制責任等の専門家証人の準備は,担当者がそれぞれ苦労しながらもすすんでいった。しかし,メーカー責任プロパーについては,なかなか適切な専門家がみつからず,立証準備は難航を極めていた。そもそも,メーカー責任として何を立証すべきか,何が立証可能かが弁護団全体で共通の議論とならず,具体的な素材としてとりあげられたのは,ガソリン乗用車に関する1978年NОx規制をめぐるメーカーの「サボタージュ」(いわゆる53年規制問題)くらいであった(この問題は,当時の国会論戦や革新自治体の資料が相当程度まとまっていた)。そのため,最終的には単体規制の問題性をご証言いただいた水谷洋一証人(静岡大)に,単体規制のゆるさと対応するメーカーによる排ガス低減努力の不十分さ,といういわば「からめ手」からのメーカー批判を展開してもらうことで,メーカー責任についての原告立証とせざるをえなかった。
  他方,被告であるメーカー自身は,3人の専門家証人(国の規制の責任者,ディーゼル車・ガソリン車それぞれのメーカー技術者)を立て,国の規制もメーカーの排ガス低減も,それぞれ高度の技術的努力を尽くした完璧なものであること,またディーゼル車にはさまざまなメリットがあるとともに,ディーゼル排ガス低減は着々とすすんできたことを積極的に立証しようとしていた。こうした全体状況に示されるとおり,一次原審のメーカー責任をめぐる攻防は,少なくともある時点まではメーカー側が優位に立っていたといわざるをえなかった。
3  一次審後半〜結審段階のメーカー責任論
  しかしながら,これらメーカー側専門家証人の反対尋問段階から,われわれのメーカー責任追及はあらたな段階に入った。すなわち,メーカー側が主張する排ガス低減技術の開発努力の事実関係に対して,相当数の資料が存在した「53年規制問題」はもちろん,これ以降のガソリン車をめぐる排ガス低減技術の推移や,ディーゼルエンジンの技術的特徴をふまえた「ディーゼルメリット」論の批判的分析,さらに国内販売車と輸出車の排ガス低減技術の差別的採用(ダブルスタンダード)批判など,被告提出書証や独自に入手した多数の技術的資料(メーカー技術者の過去の論文など)を駆使したメーカー責任論の構築が一定程度すすんだ。
  そして,一次審の最終準備書面では,こうした技術論レベルの事実解明を力にしつつ,(1)侵害行為の基礎となる各メーカーの年代別・車種別の生産・販売台数の推移,(2)1950年代にまでさかのぼった資料収集に基づく自動車排ガス大気汚染と健康被害についての1960年代後半における予見可能性の成立,(3)ディーゼル化・直噴化の歴史的進展とその技術的・社会的回避可能性(ディーゼル化・直噴化は技術的には不可避ではなく,もっぱら経済的理由からメーカーが推進したこと),(4)各種排ガス低減技術の採用・開発がメーカーによって経済的理由からサボタージュされてきたこと,などを証拠に基づき整理することが出来た。さらに,メーカー責任論のエッセンスをパンフ化し,運動の中で広く普及していったが,そこで明らかにされた「国内販売車と輸出車のダブルスタンダード論」などは,利益本位・環境軽視のメーカーの悪質性を分かりやすく示すあらたな事実として受け止められ,「ディーゼル共闘」(土建組合などディーゼル規制強化の影響を一方的に受ける事業者・労働者らと東京大気原告団などが結集し,規制コストの行政・メーカー負担や被害者救済などを要求する連絡体の結成など支援の輪をひろげ,また原告自身がメーカーとのたたかいに確信をもつための強力な武器となった。
  こうして,提訴当時からみればわれわれのメーカー責任論の内実ははるかに豊かになり,審理の途中からメーカー班に参加した私自身としても,これまで知られてこなかったメーカーの開発・製造・販売活動の実態を相当な程度に明らかにできたのではないか,との一定の自負があった。
4  02年一次判決の「論理」
  しかしながら,02年一次判決は,(1)1973年時点でメーカーの予見可能性(沿道汚染と健康被害に関する)の成立を認め,(2)できる限りの技術的努力により自動車単体の排ガスレベルを低減するメーカーの社会的責務を肯定したものの,(3)われわれが提起したさまざまな結果回避措置(ディーゼル化・直噴化ではないガソリンエンジン・副室エンジン選択,諸種の排ガス低減技術の積極的採用等)に関する結果回避義務違反すなわち過失責任の成立を否定した。
  一次判決が(3)メーカーの結果回避義務違反を否定した論拠は必ずしも一貫していないが,これを要約すれば次のとおりである。
  まず,総論レベルではT結果回避義務違反の判断基準として,被侵害利益の性質・損害発生の蓋然性とならんで,結果回避措置(ディーゼル化回避や排ガス低減技術の導入)をとることによる社会やメーカーの不利益を考慮すべきとされた。これは,これまでの公害裁判の先例と異なり,公害対策によるメーカー側のデメリットを理由にメーカーを免責する可能性に道を開くものであり,大気汚染被害の救済についての原審裁判所の消極姿勢を如実に示すものであった。
 また,U沿道大気汚染は大量の自動車交通が幹線道路に集中・集積することで発生するが,メーカーには自動車交通をコントロールする権能はなく,幹線道路の交通をコントロールするのは道路管理者をはじめ行政の責務である点を結果回避義務違反の考慮要素とすべきであるとして,メーカーらが主張していた「交通コントロール不能論」をそのまま採用した。しかし,こうした論理を持ち出せば,メーカーによるいかなる結果回避措置の不採用があっても結果回避義務違反を問うことは事実上不可能になってしまう。
  さらに,Vたしかにメーカーは1973年から沿道大気汚染と健康被害の発生を予見することは可能であったが,メーカーがいかなる結果回避措置をとれば具体的に結果(健康被害)発生を回避可能であったかを予見することはきわめて困難である,とのいわば「結果回避措置に関する予見困難性」をもって,結果回避義務違反を否定すべき要因であるとした。これは,固定発生源に関する従来の公害裁判でみとめられてきた「絶対的回避義務」(最高度の科学技術〈公害防止技術〉をもってしても結果回避ができない場合,操業短縮・操業停止をしてでも結果を回避すべき義務)が,自動車メーカーについては観念することができないとの立場から,原告側に具体的な結果回避可能性の立証責任を負わせたものと考えられる。
  各論レベルで最も重要なのは,ディーゼル―ガソリンの選択による結果回避措置に関して,(1)技術的にガソリン代替が困難な大型車を含む普通トラックでは,その社会的有用性のゆえにディーゼルトラックの選択は結果回避義務違反とならず,(2)技術的にガソリン代替に問題ない小型トラック・乗用車では,ディーゼル選択はたしかに環境面では問題があるが,そのPM排出寄与率は約20%にすぎず,またディーゼルのさまざまな有用性(燃費等)や交通コントロール不能論,結果回避措置に関する予見困難性を「理由」として,やはりディーゼル車の選択は結果回避義務違反ではない,とした判示である。
  これは,一定の車両総重量(8トン程度)以下の車種のみについてガソリン車選択による結果回避(DEP汚染について)を問題としたわれわれの主張をねじまげ,「技術的にガソリン代替が可能な普通トラック(小型トラックではなく,技術的困難のある大型トラックでもない)」についての検討をすっぽりと脱落させたうえで,「ガソリン代替が可能な車種のPM寄与率は20%にすぎないから結果回避義務違反はない」とする論理的に破綻した判示である。また,小型トラック・乗用車のディーゼル化は「環境に好ましくない」としながら,ディーゼルのメリットをならべたてて結果回避義務はないとする根拠としており,まさに「総論」の結果回避義務判断基準(結果回避措置をとることによる社会・メーカーにとっての不利益を考慮する)は,「各論」におけるメーカーのディーゼル化を免責するために用意された理屈であったことがあからさまとなっている。
5  一次判決後のメーカー責任論の発展
  メーカー責任を否定した一次判決を克服するために,私たちは(1)面的汚染の責任主体をもっぱらメーカー(及びこれと裏腹の関係にある単体規制者)に集中させる主張整理を行い,他方で(2)メーカー責任の内実を多様な結果回避措置懈怠のうちでディーゼルエンジン・直噴式ディーゼルエンジンの開発・製造・販売に焦点化させたうえ,車両総重量八トン以下のガソリン代替により,具体的にどれだけのPM削減が可能かのシミュレーション立証に力点をおいた。
  (1)は,メーカーによる幹線道路への「自動車交通集積のコントロール不可能性」に対置する議論であり,特定幹線道路への交通集積は道路管理者等によりコントロール可能だが,広範囲の面的地域への交通集積は何人にもコントロール不可能であり,メーカーによる単体生産レベルでの排ガス低減コントロールだけが面的汚染を回避しうる,との理論的切り返しであった。(2)は,「結果回避措置に関する予見困難性」を意識し,あたかも固定発生源における操業短縮・操業停止と同様に,一定範囲の車種(しかも技術的・社会的に全く無理のない範囲)だけについてディーゼル化をしない,あるいはガソリン化を図るとの単純な不作為・作為により,「結果回避措置に関する予見可能性」,ないしは「メーカーの生産行為と結果発生との因果関係」を具体的に立証する作業であった。
  さらに,(3)地裁段階では手薄であった自動車産業の特性論(大量製造・販売を宿命づけられた産業構造論)や,個別メーカーの経営指標分析(どれだけの利益をあげつづけてきたか),さらにディーゼル化・直噴化がいかに具体的な開発・販売戦略(燃費・経済性重視の商品差別化・広告宣伝)に基づいていたか,といったメーカーの「悪性論」を詳細に主張・立証し,違法性や責任を基礎付ける重要な要素として強調した。
  そして,これらのあらたな論点につき,地裁証人でもあった水谷先生に,今度はメーカー責任プロパーの原告側証人として,研究段階からご協力していただいた。特に(2)については,「水谷シミュレーション」として詳細な報告書が作成され,車両総重量八トン以下のガソリン代替により自動車排出PMの75%が削減されるとの劇的な結果が,わが国ではじめて明らかとなった。
6  メーカー責任を実質的に認めた高裁所見と今後のたたかい
  こうして,一次判決以降のメーカー責任論は大きく前進することとなったが,高裁所見では「メーカーの法的責任」が明言されることはなかった。しかしながら,所見そのものをよく分析すれば,実質的にメーカー責任を認めたに等しい内容であるといえる(詳しくは,『環境と公害』最新の拙稿をご参照ください)。その要点は,(1)解決金額12億円は一次判決の賠償金レベルの約3倍にあたり,たんなる「見舞金」レベルではありえないこと(2)一次判決のメーカーの「社会的責務」(自動車単体の排ガス低減努力義務にとどまり,交通集積による大気汚染発生の結果責任を問わない)とは全く異なり,自動車生産―交通集積―大気汚染―健康被害発生にいたる結果に対する「社会的責任」を問うていること(3)解決金額の確定方法が,増額要素・減額要素ともに,損害賠償的性格を前提としていること,である。
  ところで,全面和解の過程では,結局,メーカーによる「謝罪」やコメントはなく,彼らは公式には公害発生責任を認めなかった。しかしながら,高裁所見にしたがってメーカーが原告患者らに解決金を支払った事実は重く残り,また11年間の訴訟を通じて次々と発掘されたメーカーの「利益優先・環境軽視」の企業活動の実態は,メーカーに対する今後の監視・批判を継続していくための基本的視座を与えるだろう(自動車大気汚染の元凶としてNОxにわれわれの関心が集中した80年代に,深刻なPM大気汚染をもたらしたディーゼル化・直噴化が進行し,かつ,国のPM規制は見送られ放置された歴史を想起したい)。その意味でも,東京大気汚染訴訟がメーカーを被告に据え,その責任を追及してきたことは,本当に画期的で重大な意義を有するものであったと評価できよう。
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