普天間基地爆音訴訟結審を迎えるにあたって

弁護士 山城 圭

1  はじめに
 本年12月、提訴から5年を経て、普天間基地爆音訴訟が結審する。
 私は、2006年10月に弁護士登録し、同年12月より本件訴訟に参加したに過ぎないので、本件訴訟の全貌を振り返ることは出来ない。ただ、本件訴訟は、争点整理に4年半を費やした後、裁判官が交代し、その後は、証拠調べから結審までを8ヶ月という短期間に集中して行ったという個性的なスケジュールを経ているため、終盤からの参加といえども、かなり充実したパートに加われたのではないかと思う。以下、その内容について思い出されるままに述べてみたい。

2  検証
 弁護団ではまず、検証班に配属された。騒音測定機材の調達や、騒音測定ポイントの選定、検証の予行演習など、とにかく時間とフットワークが求められた。
 検証班として現地を回る中で、普天間基地を一望できる嘉数高台に行った。
 私は、沖縄で生まれ育ちながら、そこで初めて普天間基地を見たのだが(このような沖縄人は少なくない)、市街地の真ん中に巨大な軍事基地が存在し、そこを軍用機が行き来する光景はとにかく異様である。
 検証当日。普段は無くなってほしい爆音もこの日ばかりは平常どおりに発生してほしい、そんな弁護団の祈りは通じ、ヘリの飛行の様子や爆音の程度などをある程度観測することができた。ただ、どの原告も、当日の騒音レベルには不満らしく、「普段はもっと酷い。抜き打ちで、数日泊り込みで測定して欲しい。」と希望していた。

3  本人尋問
 4月からは原告本人尋問が行われ、私も、後進の育成に熱心な先輩方に尋問の機会を譲って頂き、2名の尋問を担当することとなった。
 「騒音被害」という音による苦しみを、音量ではなく言葉によって、しかも静謐な環境の法廷において、裁判官に伝えるのは大変難しかったが、原告には、「爆音による苦しみを、そのまま誰かに感じさせるとしたらどのように表現するか。」という点に留意してもらい、飛行する機種ごとに、発生する爆音の様子を詳細に表現してもらった。
 ある原告は、爆音の凄まじさやヘリ墜落の恐怖、長年待ち望んでようやく生まれた娘に対して「危険への接近」などと主張されることへの悔しさを、涙を流しながら語った。生活全般が破壊されている原告らの被害実態が非常に強く感じられ、尋問しながらも胸がつまる思いであった。

4  最終準備書面
 最終準備書面の作成は過酷であった。弁護団内の書面締切日当日には、深夜4時頃まで「私もまだ書いてます。」などといったメーリングリスト投稿が続き、時間ギリギリまで書面を充実させようとする各代理人の熱意がほとばしっていた。
 書面を作成していく中で、過去の同種訴訟の記録や、他の代理人の担当部分の原稿を読む。すると、日本国が、米軍の爆音発生を止めるどころか、税金を財源とする莫大な額の「思いやり予算」を米軍に与えて、爆音発生をむしろ助長しているという現状をあらためて認識させられる。
 本来国民を守るべき国が、進んで被害拡大に寄与することなどあってよいのであろうか。この構造的な不条理に対する怒りをエネルギーに代えて、爆音訴訟は今日まで闘ってきたのではないかと思う。

5  最終弁論
 11月1日に行われた最終弁論は、各自が自分の書いた部分を、自分で読み上げるスタイルで行われた。各地から駆けつけて下さった他の基地騒音訴訟の先生方の応援弁論も含めると実に18名もの代理人が次々に弁論を読み上げるという、情熱的なリレー弁論であった。
 長年にわたる裁判の総括であることから、いずれの代理人も言いたいことが沢山あって、各自の持分時間内に終わるはずも無く、後半になるほど時間はどんどん押していった。第9章の担当であった私には「とにかく短くされたい。」とのメモが回ってきた。事前の弁護団合宿では「厚く,説得的に」との指示があったのだが。
 それにしても,各先生方の弁論は非常に迫力があった。「危険への接近などと主張して,危険を作ったのはあなた方だ。」「普天間基地は最大規模の迷惑施設だ。」と,傍聴している原告の,生の想いを伝えるその弁論には,私自身,「そうだ!」との掛け声がのど元まで出かかるほどであった。
 また,応援弁論では,同じ被害が,全国各地で,延々と繰り返されている現状が浮き彫りとなった。法廷にいる誰もが,もはやこの現状を止められるのは司法だけであるということを実感したのではないだろうか。
 ちなみに,被告代理人も最終弁論を朗読した。これは同種訴訟では珍しいことらしい。多くの原告らが見守る中,被告代理人は,騒音は受忍限度内であって,国に責任はない,などと読み上げていた。
 被害者の痛みが加害者には伝わらない,そんな爆音被害の構図がそのまま表れたような最終弁論期日だったように思う。

6  終わりに
 こうして,長きにわたる普天間爆音訴訟は,結審の運びとなった。わずか1年ばかり参加しただけの私でさえ,大変感慨深いものがあるのだから,訴訟提起当初から活動されてきた代理人らの想いは,いかばかりであろうか。
 まして,何十年も爆音被害に耐えてきた原告らにとっては,万感胸に迫るものがあることだろう。
 来春に予定される判決が,この原告らの長きにわたる苦痛の日々と,静かな生活環境を取り戻したいというささやかな希望を十分に汲み取った,従来にない画期的なものであることを願い,この普天間爆音訴訟結審の報告としたい。