鞆の浦世界遺産訴訟の提訴について

弁護士 越智敏裕
(東京弁護士会)

 古代から潮待ちの名港として知られ,万葉の歌に詠まれ,また朝鮮通信使がその美しさを絶賛した鞆の浦(広島県福山市)は,変化しやすく古い形態を残すものが極めて少ない港湾の中にあって,日本の近世の港を特徴づける雁木,常夜燈,波止場,焚場及び船番所の5点をすべて残したわが国最後の歴史的港湾である。
 平成19年4月24日,鞆の浦世界遺産訴訟の原告163名は,広島地方裁判所に対し,広島県を被告として,公有水面埋立法2条に基づく鞆の浦の埋立免許の差止めを求める行政訴訟を提起した。本件は,公水法に基づく埋立てが,この歴史的港湾を含む鞆の歴史的・文化的・自然的諸価値を破壊するだけでなく,国際的評価も高く世界遺産に匹敵する鞆の諸価値を活用した鞆地区の活力あるまちづくりを推進することを阻害するものであることから,鞆地区住民を主体とする原告ら163名が,公有水面埋立免許の差止めを求める訴訟である。
 今も昔の風情を残す鞆の町並みにおいては,ヒューマンスケールで道が存在するため,自動車が離合できない箇所がある。この交通「問題」を解消するために,事業者である広島県及び福山市は,1983年に,鞆の浦を埋め立てて橋を架ける事業計画を具体化した。この計画は,地元のまちづくり団体,環境保護団体の熱心な保全活動や平山郁夫画伯など多数の文化人の反対もあり,計画は縮小され,また何度も凍結されてきた。
 しかし,2004年9月に新しく当選した福山市長のもとで,埋立架橋計画の事業化が急速に進められてきた。これに対しては,世界遺産条約に規定される国際専門家組織イコモスが,世界遺産に匹敵する鞆の価値の毀損について危機感を抱き,2004年,2005年,2006年の3度にわたり,計画中止を求める勧告を出すなど,芸術家,文化人等から,再三にわたって計画中止を求める切実な声が寄せられた。しかし,広島県及び福山市は,これらの声には一切耳を貸さず,公有水面埋立免許取得に向けた出願手続を粛々と進めてきた。もはや政治部門における計画の凍結・撤回は期待できず,本件訴訟により司法救済を求めることとなったものである。
 本件埋立てと道路架橋は,将来世代を含む国民及び世界の人々にとってかけがえのない,鞆の歴史的・文化的・自然的遺産を致命的に破壊する公共事業である。この公共事業は,鞆の浦の自然海浜のみならず近世港湾の特徴である焚場など世界的な文化遺産の本質的要素を損壊し,世界遺産登録の機会を喪失させ,鞆の観光や将来のまちづくりに重大な損害を与える。本件埋立架橋により,長年に渡り慣れ親しんできた静かな海面が架橋道路に変貌し,眼前に,騒音と大気汚染を撒き散らす巨大な遮蔽物が出現する。これによる眺望侵害,圧迫感,精神的被害は計り知れず,原告らの生活環境は激変する。かけがえのない歴史的遺産が破壊されることによる観光業への打撃もきわめて大きい。事業者らによれば,貴重な遺産を埋め立てた部分を観光客の駐車場として利用するという。基幹的な観光資源を破壊して観光客の駐車場を作るとは,何と本末転倒で貧困な発想であろうか。観光客は駐車場を目指してやってくるのではない。
 実は,埋立架橋に対しては,山側トンネル案という代替案がかねてから主張されてきた。トンネル案によれば鞆の歴史的・文化的・自然的遺産を何ら毀損することなく通過交通を排除することができる。しかし,本件公共事業は,トンネル案よりも埋立架橋案のほうが優れているという明らかに誤った判断に基づいて行われようとしている。
 この埋立てを阻止し,鞆の世界遺産登録実現を含めた活力あるまちづくりを目指すために,原告団は,本件訴訟を「鞆の浦の世界遺産登録を実現する生活・歴史・景観保全訴訟」(略称:鞆の浦世界遺産訴訟)と名付けた。
 紙幅の都合上詳述できないが,原告らは,本件出願にかかる免許は,公水法4条1項1号・3号及び同条3項各号の要件を充足せず,広島県知事が本件免許をすることは違法であるとして,本件免許の差止めを求めている。事業者らは,免許が出され次第直ちに埋立てを行うとしているため,原告らは,早期の司法判断を仰ぐべく,平成19年9月26日に,広島地裁に対し,仮の差止めの申立てをした。
 鞆は,福山市と広島県の無理解により,まだ世界遺産に登録されてはいないが,その貴重な価値は万人が認めるところである。本件埋立計画を阻止し,鞆の世界遺産登録を実現するために,本件訴訟への一層のご支援をお願いする次第である。

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