【巻頭言】
「無公害」こそ盛える社会に

代表委員 近藤忠孝

1  110名参加の「神岡鉱山」立入調査
 8月9日第38回神岡鉱山立入調査が行われ、被害地域住民74名、弁護士9名、協力科学者27名等、総数110名が参加した。1972年8月のイタイイタイ病訴訟控訴審勝利判決翌日の三井金属鉱業(株)本社交渉により、「イ病患者全員に対する補償」「Cd汚染田復元費用の負担」の誓約書とともに勝ち取った「公害防止協定」の「立入調査権」に基づく38回目の被害住民「全体立入調査」であり、その中間の調査も含め常時監視体制が確立し、公害発生源根絶に向けての成果を挙げてきた。
 調査開始の当初数年は、長期の敵対関係からの不信感と「無理難題押し付け」への企業側の警戒心により、激しい対立と緊迫状況が続いた。しかし、我々の要求に節度があり、同行科学者の的確な指摘や提案により比較的安価で着実な公害防止の実が挙がるにつれ、企業側もこれを真摯に受け止め、被害住民の「排出は『自然界と同じレベルにする』(鉱山の操業からは一切の汚染物を出さない)要求」を受け入れ、その実現を会社の基本方針とすることを言明し、これを実行した。その結果、Cdの排出は激減し、あと0.01〜0.02ppb(「ppb」は10億分の1)の減少で自然界値に達するところに来ている。「無公害鉱山」の実現が目前である。

2  40年前には「公害はなくならない」が「社会の常識」
 イ病裁判に取り組んで少し経った頃、ある公害問題の集まりで、「公害をなくせるか」の議論があった。私は、確たる根拠があるわけではなかったが「公害はなくせる」と発言し、同世代の宇井純(当時「東大助手」、後に「沖縄大学教授」)氏は、「公害はなくならない」の論を展開し、私との間で相当の激論になったが平行線に終わった。議論の内容は忘れたが、当時既に一流の「公害学者」としての評価を受けていた宇井氏の発言は、それなりに説得力のある内容であり、私以外に異論を唱える学者・弁護士はいなかったので、これが当時の「社会の常識」であったのだと思う。水俣病・四日市ぜんそく・イ病等深刻な人体被害が救済されず、大気汚染の被害がコンビナートに留まらず全国各地の都市や道路に拡大しながらも、放置されている状況のもとで、「社会・経済的構造により公害は発生する」「科学技術による公害防止には限界があり、科学技術だけでは公害を除去出来ない」という思考が支配的であったからである。
 しかし、かつてCd等の重金属を垂れ流し、大正時代から始まった農業被害補償要求の農民を追い返し(補償がされたのは敗戦後)、イ病に対する被害住民の要求に対しては、警察を使って代表の身元調査をしたり、「政府が原因を認めれば何時でも支払う」と言って追い返しながら、「100名超の国会議員を抱えている三井に政府が不利な結論を出すはずがない」と高をくくり、訴訟では一審判決で完敗しても引き延ばしの控訴をして、国民的総批判と糾弾を受けた「日本最悪の企業」が、40年後の今日「無公害鉱山の主」という「最良の企業」に生まれ変わろうとしているのである。これは、単なる「時の流れ」ではなく、「黙っていられなくなり立ち上がった」公害被害者の闘いとこれを「我こと」として支援した国民世論が勝ち取ったものであり、重大な歴史的成果である。

3  「無公害産業の輸出」で世界に羽ばたけ
 私は調査団を代表しての冒頭の挨拶で、この37年間の「鉱山立入調査と企業の努力」が、「無公害産業」実現を可能にしていること、その重大な歴史的意義は上記の通りであること、前年12月のイ病裁判提訴40周年記念行事に出席した渋江神岡鉱業社長の「企業の公害問題取組み」の講演が大きく報道されたが、このことは、「無公害産業」社会の実現こそ国民の願いであり、神岡鉱業に対する期待であること、昨年の公害週間の環境大臣との交渉で、神岡鉱業の到達点を紹介し、このような企業こそが発展する社会体制の実現を要求したこと、等を挙げ、残る課題を早く克服して「無公害産業」を確実に実現し、「公害輸出国」から「無公害輸出国」に転換すべき日本における先達企業として「世界へ羽ばたいてほしい」と結んだ。

4  チッソの「分社化」との対比
 この神岡鉱業・三井金属鉱業の対極にあるのが、水俣病の加害企業チッソであり、チッソが水俣病被害者への補償責任を果たさずに水俣病からの逃げ出し策である「分社化」を認める「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別法」である。
 イ病における加害企業は三井金属鉱業(株)であり、神岡鉱業(株)はその子会社であり、「分社」であるが、親会社の三井金属鉱業は
 ① 認定されたイ病患者への補償は確実に行い、対象者は減ってはいるが今後の補償にも危惧は全くない。
 ② Cd汚染米の補償や汚染田復元費用の分担金の負担も行い、
 ③ その子会社である神岡鉱業に対し上記「発生源対策」(無公害鉱山化)を行わせてきた。
 ところがチッソは、前記②・③には全く着手さえしないだけではなく、①を放り出し、分社化した子会社に親会社の資産を移転し、その子会社には「汚染者責任を負担させない」ことを法律で押し通させてしまったのである。被害者への補償という加害企業としての最低限の責任さえ果たさずに、子会社に会社資産を移転して、被害者の犠牲により実質的な企業の延命しか考えない企業と、自己の汚染責任を果たし、子会社を通じて「無公害産業」の実現に尽力している企業とを対比して、国民の中に、後者を支持し、その企業発展を期待し、支援する機運が起こることは必然である。反面、前者に対する批判と不信が高まり、それにより企業存続の基盤が崩壊していくことも予測される。公害弁連には、そのような国民的気運醸成のために一役かうことが求められている。
 過日の国会で、この法案に賛成した自民・公明・民主各党の「不明」さは、前者企業と同列のものであることも、訴えていきたい。
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