八ッ場ダム訴訟 3連敗の報告

全体原告団弁護団兼任事務局長
弁護士 広田次男

1  はじめに
 2004年11月、利根川流域の6地裁(前橋、宇都宮、さいたま、水戸、東京、千葉)に八ッ場ダム建設にかかる費用の差止め、及び、既支出分についての損害賠償を求める住民訴訟を一斉に提起した。
 予想通り、6地裁での審理進行はバラけた。
 担当裁判長が、本年3月で転勤予定であった東京、水戸での審理は急がされ続けた。
 特に東京弁護団は、担当裁判長による判決回避のための努力を続けたが、裁判長に強引に押し切られる形で、昨年11月25日東京地裁は結審し「判決は追って指定」となった。
 引き続き本年1月21日、水戸地裁も同様な決定をなした。
 前橋地裁では本年1月23日結審し、判決日を6月26日と指定した。
 (なお、他三地裁については、千葉が12月22日判決、さいたま、宇都宮が9月、10月に各々証人尋問を行う予定である。)
 5月11日東京、6月26日前橋、6月30日水戸とたて続けに判決があり、3地裁とも原告は全面敗訴をした。
 3つの判決の読後感としては、東京判決は最も戦闘的であり、原告提起の論点のほぼ全てに反論を加え、全面的に原告主張は採用し得ないとした。
 前橋判決は東京判決のコピーかと思われる程に構成も表現も似通っていた。水戸判決は、原告提起の論点にアイサツする事なく原告主張を退けるという手抜き判決の典型であった。

2  問題点
 弁護団は三判決の精査、比較、控訴理由書の作成にかかっている。
 この稿で、三判決の問題点を精緻に伝える頁数も能力もない。
 ほぼ感想に近い指摘にとどめる。
 第一に大幅な行政裁量の許容である。原告は入手したデーターを基に特に治水、利水の両面に於いて、ダム計画の計画数量が余りにも過大であり、合理性を全く持たない事を主張、立証した。
 勿論、相当量のアロアランスを見込んでの主張、立証であった。
 これに対して判決は、「その程度の過大性は行政裁量の範囲」の一言で片づけた。
 第二に3判決に共通する「国家100年の大計」論である。「水は不足したから、明日持ってきましょう」という訳にはいかないから、大局的見地から「あらゆる変化を見込んでダム建設は考えなくてはならない」とする。
 水戸判決は、つくばエクスプレスおよび南関東自動車道の開通などによる今後の水需要の増大、前橋判決では気候変動による大雨の惧、東京判決では首都東京の渇水はあってはならないといった趣旨のもと、現時に於る統計数字の示す事態を全く無視する結果を示している。第三に司法の硬直性である。
 バブル崩壊、少子化の流れの明白化のなかで1990年代半ばには「右肩上り」の潮目が変化した事実は、行政に於いても明らかに認める点である。
 しかるに3判決はいずれも需要予測統計資料の出発点を数十年前まで遡らせ、全体の統計資料の傾向としては、1990年代半ば以後のバブル崩壊、少子化の流れは「ホンの最近」の傾向でしかなく、「右肩上り」の基調には変化がないとして、その結果、ダム計画の過大性は、裁量の逸脱とまで言えないとしている。
 「右肩上り」の潮目の変化は、行政自ら様々な資料で認める所であり、弁護団もこれら資料を証拠として積み上げた。3判決が、これらの証拠を無視して、裁量の範囲と強引に言い切る点に、行政追随を専らとしてきた行政訴訟に於いて「行政にも遅れをとっている」司法の硬直性を感ぜざる得ない。

3  今後
 最初から困難な裁判であるが、闘わねばならない裁判であると覚悟していた。原告団・弁護団ともに共通の想いである。
 何時か六連敗の報告を書く日が来るのかもしれない。
 しかし、ムザムザと6連敗のつもりはない。
 知力と体力を傾け、6地裁のうちのどこかでレンガ一個分だけでも削りたい。そうすれば、八ッ場ダム建設は止まらざる得ない。
 では、どのように力を尽くすか。
 基本的には、大型ダムが、長期的視点から建設されなければならない事は当然である。
 例えば水需要について言えば、その場合の長期的視点とは、過去と現在に於る、水需要の状況と要因を分析したうえで、それらが将来に於いて、どのように変動するかを客観的、合理的に見据えたものでなければならない。
 そうでないと、長期的視点といっても、結局、単なる過去の延長ないし惰性となってしまい、実情に合わなくなる事は明白だからである。
 具体的には、個々の論点、治水、利水、環境、危険性に於いて、具体的な数値を駆使する事により、原判決の矛盾を明らかにする作業を積み重ねる事になると思う。
 8月30日の選挙結果、その後の八ッ場ダムを廻る政治的動きは極めて目まぐるしい。
 その波は、原告団・弁護団にも及び、多様な意見が寄せられている。
 「政治的に中立、しかし政治音痴にはならない。」を基本原則とする原告団・弁護団として、今後の訴訟と運動をどのように捌いていくか。
 予想していた難問が現実のものとなってしまった。
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