巻頭言
佐賀地方裁判所による開門命令判決と有明海再生の展望

よみがえれ!有明訴訟弁護団長
弁護士 馬奈木昭雄

 私達は、私達の取組みを「よみがえれ!有明(海)」と呼びました。普通であれば、「諫早湾干拓事業差止」と言うでしょう。もし、私達が「事業差止」と言っていたら、私達の裁判はおそらく敗訴したでしょう。何故なら、国は事業はもう完成したといい、完工式まで行っているからです。
 これまで、多くの取組みでは、事業が完成すればもう仕方がない、とあきらめてしまう事例が多かったと思います。
 しかし私達は、最初から、事業によって豊かさを失った有明海を再生させ、宝の海を住民の手に取り戻すと共に、同時にその地域4県(長崎県、佐賀県、福岡県、熊本県)の住民の生活環境、社会環境を再生させ、活性化する活動を目指してきました。従って、工事が完成したからといって、そのまま放置すれば問題は何も解決せず、かえって悪化していくばかりなのです。
 そこで、私達はさらに宝の海有明を再生するために必要な、あらゆる方策を尽くすべきだと提案し、訴訟もそう展開したのです。事業完成後もなお取組みが続き、しかも佐賀地裁判決が私達の主張を正しいと認め勝訴した、というところに本件の重要性があります。
 私達は、目的の実現のために、現在4件の裁判を行っています。今回勝訴した佐賀地方裁判所の排水門開門は、その最も中心となる訴訟ですが、私達はさらに、有明海再生の道筋を確かなものとするために、佐賀地方裁判所とほぼ同旨の排水門開門を求める訴訟を、諫早湾の所在地である長崎地裁に提訴しました。その理由は、最も直接的に被害を受けている諫早湾内の漁民がようやく原告となることができたからです。
 これまで湾内の漁民は、この事業に賛成し、事業開始の際には、不充分ですが補償金をもらっていました。また、事業に協力し、工事現場で働くことによって、それなりの「日銭」を得ることができました。従って、工事に反対するような行動を取ることや、ましてや国相手の裁判の原告になることなど、周囲の圧力によって到底不可能だったのです。しかし、工事の完了によって、その圧力は弱まりました。
 提訴をめぐって国、漁協と、私達の取組みに参加し提訴を希望する漁民との間で激しい攻防が行われましたが、私達はついにその圧力を打ち破り、長崎地裁に提訴することができたのです。
 この長崎地裁の裁判では、佐賀地裁の裁判において最も主要な争点であり、勝訴を決定する最大のポイントであった因果関係、すなわち事業と有明海異変の原因との因果関係について、全く争点とはなりえない、ということが重要なのです。諫早湾内の漁民が受けた被害は、直接事業によるものであることは自明ですし、そうであるからこそ、国は事業開始に際し、そのことを認め補償金を支払ったのです。しかし、国は事業開始時に湾内の漁民に対し、事業が終れば今までどおりの漁業ができる、と説明し、補償額もその前提で算定されました。しかし、事業が完成した今、全く漁ができる状況ではありません。原告漁民は、国は私達漁民を騙して工事をした、と激しく怒っています。
 国は、佐賀地裁判決の排水門開門の命令に従わず、控訴しました。国民世論はこの国の控訴を厳しく批判しました。追い詰められた農水大臣は、開門によって新たな被害がでないかどうか必要なアセスメントを実施する、と言っています。
 しかし、これは二重にも三重にも誤りです。開門を先に延ばし、開門をしないための口実であることは明らかです。
 排水門を開門する方法の選択によって、新たな被害が生じることはない、という事実を私達は裁判の中で明らかにしました。そうだからこそ、佐賀地裁判決は、安心して私達の勝訴を認めたのです。また国会においても、有志の議員達(公共事業チェック議員の会)が、農水省担当者と直接議論し、農水省が主張する開門できない理由が、全て根拠がなく、開門の技術的方法と最小限の対策によって解決できることを明らかにしました。
 ここでさらに強調しておきたいのは、この排水門開門という要求は、実は、本来の事業目的である干拓農地での営農にとっても必要不可欠だということなのです。この干拓農地では、締め切られた堤防内の調整池を農業用水として使用する計画です。しかし、この調整池の水質は極めて悪く、到底農業用水として使用できません。営農を考えるのであれば、農業用水の代替方法を検討することが最善なのです。そこで、私達の排水門開門の要求は、漁業と農業を両立させ、本来の事業目的を達成するうえからも唯一の合理的方法なのです。
 逆に、国・農水省は、私達の開門の要求を、事業を妨害するものと考え、漁業者と営農者との対立をあおってきました。
 しかし、そうではなく、私達の主張こそが、農業と漁業双方を両立させ、この対立を解消できる方法なのです。このことは、すなわち、私達の主張がまさに本来の意味での「公共性」なのだ、ということでもあります。
 私達はそこで、佐賀地裁判決の控訴審ではもちろんですが、さらに新しい長崎地裁の裁判の場を、私達の主張する開門方法を国・農水省に認めさせる場所として活用したいと考えています。何よりもまず、私達の提案する開門方法が極めて合理的であって、直ちに容易に実行可能であり、想定される被害も容易に防止可能であることを裁判所に納得してもらおうと考えています。裁判所が同意すれば、裁判所の見解として、国に示してもらい、国や関係者に、裁判所見解に従うよう勧告してもらえます。この手法は私達が水俣病裁判などの公害、薬害訴訟などで現実に実行し、すでに確立してきたものです。
 この私達が主張する開門方法に従った裁判所案によって、国・農水省の主張が全く根拠ないものであることが国民の前に明らかにできるのです。そこで、国民世論の力を受けて、国会内の活動や住民運動を強め、国・農水省に裁判所案に従わせるように取組みを展開していく決意です。
 漁民の生活は今、困窮のどん底にあり、自殺者が後を絶ちません。有明海異変を防止し、宝の海有明をよみがえらせることは、今や待ったなしの課題です。私達には、のんびりと時間をかけることなどできないのです。しかし、今回の佐賀地裁判決勝訴と長崎地裁提訴によって、その実現の道筋が見え始めました。私達は大きな前進の一歩を踏み出したのです。
 最後になりますが、今、この取組みで問われている本質は、物事を決定するのは、けっして国・農水省ではない、そうではなく、問題に直面している漁民、農民、住民の意思なのだ、ということです。有明海のことなどろくに知らない東京の官僚が決定するのではない。まさに生活をかけている漁民、農民、住民が決定するのだということ、この決定権限を私達の手に取り戻すこと、このことが問われているのだと確信しています。これこそが国民主権なのだと思います。あえて付言しますと、このような現場のたたかいによって国民主権を確立することが、「再び政府の行為によって戦争の惨禍をもたらすことがないようにする」決意を具体的に実行することなのだと確信しています。
 私達は、考えられる限りの法的手段を尽くし、取り得る限りの方法を尽くして、排水門開門を農水大臣に実行させ、有明海再生を実現する決意です。
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