薬害イレッサ訴訟

弁護士 阿部哲二

1  薬害イレッサ
 イレッサとは、イギリスのアストラゼネカ社が開発し、2002年7月に、世界で最初に日本で承認された肺がん用抗がん剤とされるものです。
 これまでの抗がん剤が、がん細胞とともに正常細胞をも攻撃するため副作用が強かったのに対し、このイレッサはがん細胞をピンポイントで攻撃するとされ、副作用の少ない夢のような薬とも宣伝されました。しかし、承認直後から、副作用は少ないどころか、間質性肺炎等の重い副作用による死者が相次ぎました。2008年3月までに少なくとも734人の副作用死が報告されています。
 薬害イレッサ訴訟とは、このような被害にあった患者の遺族が中心となって、イレッサを開発したアストラゼネカ社(日本法人)と、これを承認した国を被告とした損害賠償請求訴訟です。
 2004年7月に大阪地方裁判所に訴訟が起こされた、同年11月に、東京地方裁判所に起こした訴訟です。

2  科学と常識が問われている
 薬は、有効性と害作用を比較考量し、その有用性、つまり欠陥があるかが判断されます。抗がん剤でも同じで、有効性は、最終的には延命効果があるのかによります。
 イレッサには、一定の腫瘍縮小効果はあるものの、延命効果は確認されていません。国がイレッサ承認の際の条件とした他剤との比較試験が2008年2月に報告されました。ドセタキセルという他の抗がん剤と比較したところ、非劣性が証明できなかった、つまり、劣っていないことが証明できなかったのです。
 EUでは延命効果が確認できないことから、アストラゼネカ社は、その承認申請を取り下げました。アメリカでは、一旦承認されたものの、有効性が確認できないことから、新規患者への投与が禁止されています。
 それが、日本では世界で最初に承認され、今なお使い続けられ、730人以上の副作用死を出し続けているのです。
 イレッサを飲んで効いた患者がいる、という声があります。しかし、薬の効果は、大規模な比較試験でしか判定できない、判定してはいけない、というのが科学の基本です。
 2002年から2004年まで毎年200人近い死者が出続けました。このような事態を招いたのが日本だけなら、それを予見することも、回避することも可能であったはずです。このような事態を招いた責任は科学を無視した結果です。
 今その解決をするのか、常識が問われているのだとも思います。

3  訴訟の経過
 イレッサ訴訟は2006年から証人尋問が始まりました。
 福島雅典京大教授、別府宏國医師、浜六郎医師が原告側申請証人として証言し、2007年10月からは被告側申請証人の尋問に入りました。被告側は、西條長宏国立がんセンター副院長、福岡正博近畿大学教授、工藤翔二日本医科大元教授らを証人に立ててきました。
 この証拠調べの中で、被告側申請証人とアストラゼネカ社との間に講演料や寄付金の授受などによる利益相反関係があり、様々なバイアスがかかるなかで証言が行われている事が明らかとなりました。福岡教授などは、自身が理事長をつとめるNPO法人に、アストラゼネカ社から毎年数千万円、総額で数億にも達する寄附がされていることも明らかとなりました。マスコミにも取り上げられています。

4  来年こそ解決の山場に
 薬害イレッサ訴訟は、抗がん剤をめぐる世界で最初の薬害訴訟であり、製造物責任法の適用を求める初の本格的な薬害訴訟であり、今なお使い続けられている薬についての責任を問う薬害訴訟です。
 抗がん剤の承認制度のあり方を問い、抗がん剤の被害救済制度の創設を求め、なによりも有効で安全な医薬品の供給と、がん患者のいのちの重さを問う訴訟です。
 来春には本人尋問も行われます。大きな訴訟のヤマ場を迎えます。
 全面解決に向け、ご支援お願い致します。
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