新嘉手納爆音訴訟控訴審の結審を迎えて

弁護士 立野嘉英

第1  はじめに
 平成17年2月17日、那覇地裁沖縄支部は、「夜間早朝の飛行差止請求棄却、W値85未満の地域に居住する原告らの損害賠償請求棄却」という判決を言い渡した。
 この判決は、第三者行為論を安易に援用して米軍機飛行の差し止めについて実質的判断に入ろうとさえしなかったばかりか、W値85以上地域のみ損害賠償請求を認容し、これまでの各空港基地訴訟でも違法性が認められてきていたW値80、75の各地域についての損害賠償請求すら棄却(5541名の原告のうち、約3割の1650名余の損害賠償請求を棄却)した極めて異例の不当判決であった。
 新嘉手納爆音訴訟の原告団及び弁護団は、一審においても健康被害(とりわけ騒音性聴力損失)の立証に力を注ぎ精密かつ重厚な主張・立証を行ってきた。
 にもかかわらず、第一審裁判所は原告団・弁護団の主張・立証の意を正確に酌み取らないまま、まず結論ありきで極めて不公正かつ不合理な判決を下した。
 これに対し、原告団及び弁護団は、夜間早朝の飛行をやめてもらうというささやかで極めて当然の要求と、W値80、75の各地域に居住する原告に対する損害賠償を勝ち取るべく、怒りをもって控訴審において闘いを重ねてきた。
 そして、控訴から約3年半が経過した平成20年10月1日、上記闘いの場である控訴審が、ついに結審を迎えた。
 以下、本訴訟の控訴審における主な立証活動について報告する。

第2  控訴審における立証
1  控訴審においては16回の口頭弁論期日が開かれ、原判決で損害賠償請求が棄却されたW値80、75地域の原告らの損害賠償請求を認めさせるため、主なものとしては以下の立証を行ってきた。
2  「被害に始まり被害に終わる」という原点に回帰した立証
 まず、本訴訟の控訴審における立証で特筆すべきは、W値80、75地域の原告710世帯のうち約7割に相当する約500通の文書式陳述書を提出したことである。この目的は、「被害に始まり被害に終わる」という公害訴訟の原点に立ち戻り、W値80、75地域の住民が、W値85以上の激甚地区の住民と同様に、多岐にわたり深刻な被害を受けていることを改めて裁判所に突きつけることにあった。
 原告らは当然のことながら仕事や学校があったり、中には非常に高齢で体が不自由な方がいるなど、それぞれ事情を抱えている。
 にもかかわらず、原告団及び弁護団は緊密な協同作業を重ね、500通もの陳述書を作成してきた。原告と弁護団の原判決に対する怒りとW値85未満の被害救済に対する思いがいかに強いものであったかが示されている。
 次に、上記と同様の目的で、被害の実態を立証するべく、19名の原告本人尋問も行い(そのうち16名の原告はW値80、75地域)、原告らはその被害の深刻さを裁判所に語った。
3  航空機騒音と聴力損失との因果関係の立証
 沖縄県調査により、航空機騒音に起因する聴力損失者が12例検出され、嘉手納基地の航空機騒音と周辺住民の聴力損失との因果関係が明らかになった。
 しかしながら、原判決は、「身体的影響としての聴力損失又はその危険と航空機騒音の間の因果関係を検討する際には、原因行為である各人が現実に曝露された航空機騒音の量やその程度を特定することが必要」であるとし、沖縄県調査により検出された12名の騒音性聴力損失者のうち、法廷で証言しなかった八名については騒音曝露歴が不明であるとし、法廷で証言した四名についても騒音曝露量が不明である等の理由で、不当にも因果関係を否定した。
 そこで、控訴審においては、疫学の専門家であり、熊本水俣病訴訟や東京大気汚染訴訟、じん肺患者の肺ガン訴訟等、多くの公害訴訟でも証言してこられた津田敏秀教授を証人として尋問を行った。これにより、騒音レベルが高くなるほど難聴者の割合(オッズ比)が高くなる傾向及び居住年数が長くなるほど難聴者の割合(オッズ比)が高くなる傾向を明らかにし、疫学分析によっても航空機騒音と聴力損失との間に因果関係が認められ、沖縄県調査の結果の信用性が裏付けられることを立証した。
4  騒音曝露の状況に減少傾向はないことの立証
 原判決は、国による騒音測定結果を重視し、W値85未満の地域について、「航空機騒音の程度はいずれも減少しており、現状ではかなり低いと評価せざるを得ない。」として、W値85未満の地域の損害賠償請求を棄却した。
 そこで、控訴審では、国使用の騒音測定器の性能(航空機騒音捕捉率が低いことなど)、騒音測定条件(騒音測定箇所が限定されており、そこが地域を代表する場所か否かも不明であることなど)、W値計算方法(着陸音補正がなされていないことなど)の各問題点を明らかにし、国が行っている騒音測定結果には証拠価値がないことを主張立証した。
 また、県が行った騒音測定結果を京都大学の松井利仁准教授に解析(トレンド検定)していただいた上で同大学の平松幸三教授を証人尋問し、統計上有意な減少傾向がないことも立証した。
5  現地進行協議(事実上の検証)
 平成20年4月19日、翌20日の2日間にわたり、現地進行協議(事実上の検証)が実施され、原告らが被っている爆音被害の激烈さを、判決を現に起案する裁判体に体感してもらった。2日目こそ、現地進行協議の実施を米軍において考慮したためか普段よりも米軍機が飛行していなかったが、1日目は普段どおりとまではいかずともそれなりに米軍機が飛行訓練を行い100dB (A)以上の爆音が計測された。1日目の砂辺地区での検証では、米軍機が原告住宅の真上・低空を爆音を轟かせながら通過していく状況を見た裁判長が、「これはひどいな。」と漏らしていたのが印象的であった。
 控訴審裁判所が判決を書くにあたっては、現地進行協議における爆音の体験が必ず重大な影響を及ぼすに違いない。弁護団に加入したばかりの私自身にとっても、各地域の被害実態を体感でき、この訴訟に参加する意義を再認識する重要な機会となった。

第3  最終準備書面
 最終準備書面は、927頁にわたる超大作である。弁護団は、最終準備書面の内容について妥協のない白熱した議論を重ねてきた。最終準備書面には、原判決がいかに杜撰で誤っているのか、被告が主張する騒音の減少傾向など全くないことが精密かつ重厚に主張されている。
 そして、何よりもこの最終準備書面の中には、嘉手納基地形成から現在に至る長い歴史の中で嘉手納基地の負担を一方的に押しつけられ、爆音の違法状態に曝され続けている原告一人一人の目に見えず流されてきた血と痛みが詰まっている。
 裁判所にはこの最終準備書面の一言一句につき理解し判決に反映させる義務があると確信している。

第4  控訴審結審期日の報告
 10月1日に開かれた最終弁論期日では、原告団から代表として六名、弁護団からは若手四名と弁護団長である池宮城紀夫弁護士が意見陳述を行った。加えて、普天間基地訴訟弁護団から上原智子弁護士、厚木基地訴訟弁護団から関守麻紀子弁護士、横田基地訴訟弁護団から中村晋輔弁護士に応援陳述に来ていただくことができた。
 原告団の代表者はそれぞれ沖縄市、読谷村、旧石川市、旧具志川市、嘉手納町、北谷町の六か市町村から選出され、それぞれの地域において長年にわたり曝されてきた被害の状況と嘉手納基地訴訟にかける思いを裁判所に訴えた。
 弁護団からは若手四名が、それぞれ最近の基地被害の状況、侵害行為、被害全般、差止請求の各論点につき意見陳述を行った。
 また、応援陳述に来ていただいた先生方には、受忍限度(普天間基地訴訟)、危険への接近(厚木基地訴訟)、将来請求(横田基地訴訟)の各論点につき意見陳述をしていただくことができた。
 そして、最後に、弁護団長である池宮城紀夫弁護士が控訴審の総括として、違法性が認定されながらも長期間放置されてきた原告の被害救済のため改めて裁判所の英断を求めて締めくくり、約3年半を費やした控訴審の審理は幕を閉じた。

第5  終わりに
 弁護士になって間もなかった私が、この弁護団に加入する契機となったのは、「道の駅かでな」から見た嘉手納基地飛行場とそこで米軍機が繰り返し飛行訓練を行っていることの異様さを目の当たりにした体験であった(後になって、このときより凄い爆音に住民が日々曝されていることを知ったが)。
 そして、現地進行協議で体感した爆音もまた激烈であり、それを体験してからは原告の方々の語る爆音状況とそれによる苦痛につき、以前とは違う響きをもって受け止めるようになった。
 しかし、これほど酷い被害状況を生み出している嘉手納基地の問題について、政治でも報道でも日常レベルでも、本土では語られることがほとんどないことに、大阪の人間として改めて驚かされている。嘉手納基地をはじめ基地問題は国民全体の問題であるはずであるし、本土の人間を含めた国民一人一人の問題であるはずである。基地周辺住民にのみ被害を押しつけたまま、我々国民は構造的な無関心と無知により、何ら語らないまま構造的加害者となっているのではないかというのが弁護団新人弁護士の率直な感想である。そうであれば、今後は、広く国民に被害状況を知ってもらうのもこの問題に関わる弁護士として重要な仕事となるのかもしれない。
 これまで述べてきたとおり、控訴審における立証は、500通の陳述書、19名の原告本人尋問、2日にわたる現地進行協議、疫学の専門家証人の尋問など、被害実態と理論の両方をフォローした重厚かつ多角的なものであった。
 控訴審判決は平成21年2月27日に予定されている。原告らの長きにわたって被ってきた苦痛と、静かな夜を取り戻したいという祈りにも似た叫びが裁判所の人としての心を動かし、人権の最後の砦として血が通った判決が下されることを切に願うものである。
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