川崎公害和解の「実践」と称して、交通渋滞の解消のため、国道1号線を拡幅するとして50年前に決定された道路計画が突然浮上し、(これに沿道法悪用も加わり)、ここ3年有余にわたって拡幅反対の運動が沿道住民を中心に取り組まれてきた。
国交省(横浜国道事務所)は渋滞解消のためには拡幅は絶対的課題との堅い姿勢を貫いてきたが、昨秋以降の交渉のなかで、東京−川崎間の交通量と東京−横浜間の交通量の具体的な比較検討を通じて(東京・横浜間の交通量より、東京・川崎間の交通量の方が1万台多い。従って、横浜地域の拡幅は不要だが、川崎地域の拡幅は必要というのが国の論理)、川崎地域内の交通量、とりわけ大型車の走行量を交差点(三差路を含む)毎に、各方向毎に詳細な調査を行い、その上で事業所等へのアンケートを実施し(前記3参照)、事業所協力をえる工夫をすること、交差点構造の改良、改善工事の実施による交通渋滞策をはかること、交通規制、信号調整等により同様の対策を図ること等が道路拡幅よりまずもって検討されるべき、という住民側の主張に対し、国交省も数次にわたる交渉でようやくこれに同意し、現在、道路拡幅を棚上げした上での前記諸対策の検討を約束するところとなった。
沿道住民側は、幸区全域の市民の納得と同意を得るため、沿道の環境対策はもちろんのこと、国道1号線とこれに連なる道路及びその周辺地域、公園その他の緑化対策を含む幸区版「環境再生とまりづくり」の提言作りをめざして今、奮斗している。
5 高速川崎縦貫道の問題
新たな公害発生源となる高速川崎縦貫道建設は、「まち壊し」との強い批判をうけ、建設当時から地域住民の反対にあったが、その事業は反対を無視して進行してきた。
しかし、その計画は、現在においては完全に見直しを迫られ、即時に中止すべきものとなっている。
すなわち、川崎縦貫道は、第一にアクアラインの受皿として、第二に「川崎市内に形成されている都心・新都心・副都心―具体的には新川崎、武蔵小杉、溝口、登戸周辺の再開発地域―の拠点相互を縦方向に短時間で連絡し、市域の一体性強化を図る。また、産業や情報の交流や地域整備の促進に寄与し、市全体の活性化に貢献する」(アセス準備書)もので必要、ということであった(建設の目的)。
しかし、アクアラインは当初の計画交通量が3万3,000台であったのに対し(「過大アセス」)、供用開始後の平成11年(1999年)には、9,600台しか走行せず、再度の高速料金の値下げの結果、若干の上積みはあったものの2005年3月時点での交通量は1万1,200台で、この交通量は東京湾湾岸道路や現在の国道409号線で十分対応可能となっている。
つまり、アクアライン受皿論は、完全に破綻した。
また、新都心・副都心の拠点相互間の連絡という道路建設の「必要論」も、(1)国道15号線との接続部の工事実施不能(予定地は地権者により他目的の建設完了=マンション建設)、(2)2005年3月24日発表の首都高速道路公団事業評価監視委員会の「事業評価」で「2期区間の見直しを考慮しつつ、採算性確保策を検討する」との結論を下され、従前の新都心,副都心を結ぶ計画の見直しが行なわれたこと、(3)その代替案として川崎縦貫道と東京外環道路との一本化計画案が浮上したこと(2005年8月「川崎縦貫道路計画調整協議会」での国提案)等々によって完全に破綻するに至った。
その上,費用対効果の検討でも、費用便益費は1.1(通常は道路建設にあっては2.0以上が必須といわれている)で、見直し対象に上った3路線(川崎縦貫線、大宮線,中央環状新宿線)のなかでも最悪の数値を示し、そのゆくづまりは明白となった。
現実問題としても、1991年の事業計画時の事業費は2,500億円と見込まれたが(「過小アセス」)、2002年4月の浮島―殿町間の供用開始時(一期工事の部分供用)にはすでに5,684億円が計上され、前記3路線評価監視委員会の試算では、最終的に事業費が6,943億円、この外維持管理費が187億円追加され、計7,129億円と予測され(道路1mの建設に1億円の事業費)、その額は当初見込み額の約2.8倍に達した。その一方で、費用便益費は前述のとおり1.1倍で他の道路建設事業に比べ事業採算性は著しく低く、その結果、「税金の無駄使い」の典型的公共事業と指摘されるに至っている。
従って、過大アセスの予測交通量、過小アセスの事業費の実態に照らし、かつ、費用対効果の点でも採算性が低く、その上、事業目的を失った川崎縦貫道路の建設は即時中止すべきものとなっている。
6 その他
被害者側は、まちづくりの基本に「トランジットモール計画」などの対策を掲げ、地域密着型のワン・コインバスの導入等公共交通機関の重視を訴えてきた。 そのワン・コインバスも川崎駅−川崎市立病院間で運行が開始され、川崎北部地域への発展をみるに至っている。
自転車ネットワーク作りも端緒的ではあるが川崎市がその計画案を作り、また、これに連動する課題としての駐輪場対策も川崎市との間の数次にわたる現地共同調査の成果として前進し、また、自転車付置義務条例も不十分さを有しつつも成立した。
地下街アゼリアの使い勝手の悪さの改善も若干進み、川崎駅前の歩行者優先対策もさいかや前交差点の完全スクランブル化、旧こみや前の三方向スクランブル化(完全スクランブル化には至っていない)、川崎駅前から地下をくぐらずに平面移動できる横断歩道の設置も、その実現のための社会実験も実施された。
東芝移転後の西口再開発とこれと連動しての東口駅前広場、バス乗り場の見直し、移動も実現の射程に入ってきた。
この時期において、被害者側が提起した川崎駅東口、北口、西口の一体的まちづくり計画の実践が現実的に追及される必要性はますます大きくなっている。