公害弁連第35回総会議案書
2006.3.18  大阪
【1】 基調報告
第3  公害裁判の前進と課題
1  大気汚染公害裁判の前進と課題
1  大気汚染公害裁判の闘いと到達点
(1)  1972年7月24日の四日市公害裁判津地裁四日市支部判決は、国や地方公共団体の公害防止行政のあり方に大きなインパクトを与え、公害健康被害補償法へと結実した(1973年制定74年施行)。
 しかし、1973年のオイルショックとそれに続く構造不況の中で、政府財界は巻き返しに転じ、遂に公害被害者の要求と国民世論を無視する形で、1987年9月健康被害補償法の改悪を断行し、1988年3月より全国41地域の大気汚染公害指定地域は解除されて新たな認定は打ち切られた。
 こうした政府財界の巻き返しに対して、千葉川鉄(1975年提訴以下同)、西淀川(1次78年、2次〜4次84年以後)・川崎(1次82年、2次〜4次83年以後)・倉敷(83年)・尼崎(88年)・名古屋(89年)の大気汚染公害裁判が次々に提訴された。
 これら一連の裁判の中心は、工場公害(SOx被害)にあったが、西淀川、川崎、名古屋では、これに加えて、国・公団を被告とし、道路公害(NO2、SPM被害)責任もあわせて追及した。
そして、1988年11月の千葉川鉄判決以降、1991年3月の西淀川1次判決、1994年の川崎1次判決、倉敷判決と、工場企業に対する原告側勝訴の流れは定着した。こうした原告側勝訴の判決の定着化を受けて、千葉川鉄裁判の企業和解後、1995年3月の西淀川公害裁判の企業和解を皮切りに、川崎、倉敷、尼崎、名古屋と企業との関係では次々に勝利和解が勝ち取られ、以後各地では地域再生の取り組みが進められることになった。そして、大気汚染裁判の焦点は、1990年代前半以降、専ら道路公害(国・公団の責任)へと移っていった。
 1995年7月5日、西淀川2次〜4次判決は、自動車排ガス(NO2 、SPM)と気管支ぜん息などの健康被害との因果関係を初めて認め、道路管理者である国・公団の公害責任を認めた(国家賠償法2条1項)。以後、川崎、尼崎、名古屋、東京がこれに続き、国・阪神公団等の道路管理者の公害責任は裁判上不動のものとなった。
 とりわけ、2000年1月31日の尼崎判決において、大阪空港判決から実に25年ぶりに差し止め請求が認められたことは画期的なことであり、同様に、同年11月27日の名古屋判決においても差止請求が認められ、自動車排ガス、道路公害根絶への展望は大きく開かれたかに見えた。
(2)  東京大気汚染公害裁判
 東京大気汚染公害裁判は、従来の大気汚染公害裁判の到達点に立ちつつ、今もなお現在進行形で汚染と被害が拡大している自動車排ガス公害の根絶と、1987年の公健法改悪によって新たな認定がうち切られたことから、その後救済の手が差し伸べられていない未救済患者に対する新たな被害者救済制度の確立を求めて、1996年5月31日に東京地方裁判所に提訴された。(1)原告総数633名のうち未救済患者が4割(1次から6次を含む)に達していること、(2)自動車排ガスの公害責任を、幹線道路沿いに限らず、本件地域全域のいわば面的な責任として問うていること(3)初めて国・首都公団とともに、自動車メーカー7社(トヨタ、日産、三菱、日野、いすゞ、日産ディーゼル、マツダ)を被告としたことに特徴があり、政治的にも影響力が大きい首都東京において、新たな救済制度の確立の要求を旗印にして、認定患者と未認定患者が互いに団結して闘いを進めている点は、特筆すべきことである。
 しかし、2002年10月29日の東京大気1次判決は、国・東京都・首都高速道路公団の公害責任は認めたものの(認容された原告の中には未救済患者が含まれる)、救済の範囲が昼間12時間交通量4万台以上の幹線道路沿道50メートル以内に限定されて面的汚染が認められず、そのため損害賠償請求が認容された原告は7名のみにとどまり、さらに差止請求についても排斥された。そして、最も注目された自動車メーカーの責任についても、法的責任が否定された。
2  自動車排ガス公害根絶と被害者救済に向けて−各地の闘いの現状と課題
(1)  すでに、判決が確定した西淀川、川崎、倉敷、尼崎、名古屋では、公害根絶と地域再生、まちづくりの取り組みが進められている。
 また、西淀川、川崎、尼崎、名古屋では、和解条項に従い、国との連絡会が定期的に開催されているが、和解後相当期間が経過しても、国の有効な道路公害対策の実施は不十分であり、道路公害根絶に向けて各地の連絡会を如何に実効性のあるものとして機能させていくかが課題となっている。
 こうしたなかで、尼崎訴訟の原告団が、国・阪神公団に対して、和解条項の誠実な履行を求める公調委へのあっせん申し立てを行い、2003年6月26日にあっせん合意が成立した。その後、尼崎訴訟の原告団と弁護団は、上記あっせん合意に基づいて「連絡会」でねばり強く国・公団と話し合いを続け、2005年1月21日、原告団や弁護団の要求をほぼ取り入れた「大型車交通量低減のための総合調査」の実施が合意され、調査は3月上旬から実施された。調査結果は、湾岸線に対する環境ロードプライシングを併用させるなどすれば、国道43号線の大型車削減が可能であることが明らかとなった。その後、国・公団は、この調査結果を受けて、従来よりも湾岸線の割引金額を広げ、かつ範囲を西線から東線に広げる環境ロードプライシングの社会実験を行うことや、社会実験が環境へどのように影響を与えるかを期間中に調査することも表明した。現在、引き続き社会実験の実施に向けた協議を行っている。そして、尼崎での調査の実施や従来よりも踏み込んだ社会実験の実施は、西淀川、川崎、名古屋の連絡会での大型車削減の検討にも大きな影響を与えるものである。
 国・公団は、西淀川判決にはじまり東京まで、5回に亘って敗訴しているにもかかわらず、依然として、道路管理者としての責任を果たそうとしていないのが現状である。その根底には、依然として自動車交通と幹線道路の建設優先、公害環境対策軽視の抜きがたい国土交通省の旧態依然とした体質が存在している。こうした巨大道路の建設工事の入札では、ほとんどが落札率96%を上回るような談合を疑われても不思議でないような実態が存在し、そうしたなかで巨大幹線道路の建設には湯水の如く税金をつぎ込まれているという現実も変わっていない。
 今回のあっせん合意とそれを受けた連絡会での協議の前進は、国、公団が行ってきた和解条項の履行が不十分であったことが確認されると同時に、環境重視こそが国民の求める道路政策であることを示している。国・公団には、猛省と共に再度和解の趣旨に立ち返って、和解条項の誠実な履行が求められている。
(2)  東京大気裁判は、現在、1次が東京高裁で2次から5次が東京地裁で闘われ2006年2月16日には、6次訴訟が提起された。メーカー責任と面的汚染を中心に原告側のさらなる立証活動が続けられている。こうしたなかで、2次から5次裁判は、昨年3月に総論立証が終了し、裁判の最終段階である原告本人尋問の段階に突入した。
 当初、尋問対象者を50名に絞り込んで本人尋問を行うことになったが、この尋問対象者を絞り込む過程で、裁判長が、幹線道路沿道原告については尋問を行う必要があるとして、そうした基準で尋問対象者を絞り込むことを被告に要請していたという重大な事実が判明した。これは、裁判長が、一次判決と同様に沿道50bで救済の線引きをするかのごとき心証を露骨に示したことを意味しており、決して放置することのできない問題であった。この事態のなかで、裁判所の不公正な対応と沿道以外の原告の救済に耳を貸そうとしない裁判所の姿勢を変えていくという不退転の決意で、闘いに立ち上がった原告団、弁護団と支援は、裁判所に対して、50名の沿道原告の尋問採用の見直しと非沿道の原告の中から本人尋問の採用を認めることを要請し、9月6日を皮切りに連日の裁判所要請行動を繰り広げ、9月20日の法廷では本人尋問を拒否して退席による抗議まで行った。その後も、9月27日の裁判所前での、57名、6時間に及ぶリレートークなど最後まで裁判所の決断を迫る闘いが繰り広げられた。 こうしたなかで、10月11日、裁判長は、誰を原告本人尋問の対象にするかということと、判決の結論とは別問題であると言明し、また、いったん却下した非沿道の原告の中からも相当数を尋問採用することも表明した。こうして、10月18日の法廷から審理が再開されたが、まさに重大な局面を支援と乗り越えた原告団と弁護団は、再び早期結審に向けた闘いを続けている。
 また、法廷外でも、2002年10月の1次判決以後も、国、東京都、自動車メーカーに対する要請行動が、原告団・弁護団・東京23区、多摩地区の地域連絡会等の加盟する勝利を目指す実行委員会主体で続けられている。
 とりわけ、一昨年末から100万署名運動がスタートしている。100万署名を早期にやりきることは勝利判決を勝ち取る不可欠の課題であり、原告団、弁護団の奮闘はもとより全国的にも大きな支援が求められている。現在40万名に迫ろうとしている。
 自動車メーカーに対する闘いは、NOx・PM法並びに各地の環境確保条例によるディーゼル規制の実施に伴い、公害規制責任を果たそうとしない自動車メーカーに対し、ダンプ・運輸労働者、中小零細業者らとの共闘(ディーゼル共闘)による運動が東京、千葉、埼玉、愛知、兵庫、大阪へと着実に広がりつつある。
 判決勝利と新たな被害者救済制度創設のためには、今後、質量ともに運動の飛躍的強化拡大をはかり、国民世論の支持を広げることが不可欠の課題である。とりわけ、東京都民のみならず、広く国民的な理解と支持を広げることが鍵となるものであり、運動の飛躍が求められている。
3  今後の課題−東京裁判支援と全国的展開の必要性
 2003年7月、神戸で行われた第2回公害弁連幹事会において、「大気汚染をめぐる今後の闘い」について集中討議が行われた。そのなかで、水俣病の闘いなどこれまでの経験を生かし、未認定被害者の救済運動の全国的展開の必要性が議論された。大気汚染公害裁判の闘いは、1987年9月の補償法の改悪後も、裁判で勝利し「公害が終わっていないこと」を事実をもって証明し、被害者救済制度の復活を勝ち取ることを共通のスローガンとしてきた。
 自動車排ガスによる大気汚染は一定の改善を見せながらも、依然としてぜん息等の公害患者は増え続けており、一部条例による医療費の助成等を除けば、新たな被害者のほとんどは未救済患者である。他方で、国、公団は、未だに真剣に、公害根絶・被害者救済へ向けた政策転換を図っているとは到底いえない現状である。
 自動車排ガス公害を根絶していくためには、各地の闘いの現状と経験を持ち寄り、名古屋や大阪などの全国規模での具体的な取り組みを行っていくことが求められている。
 また、東京裁判は、地裁が本年秋にも本人尋問が終了して結審が予定され、高裁も本年3月まで本人尋問が実施され本年9月の結審が予定されている。こうした東京裁判の進行を睨みながら、100万署名をはじめとして全国的な支援が求められている。また、法廷外での東京都に対する緊急の医療費救済制度を求める闘いや、トヨタ攻めを中心とした自動車メーカーに対する早期の救済実施を求める闘いへの大きな支援も求められている。