公害弁連第35回総会議案書
2006.3.18  大阪
薬害イレッサ訴訟
薬害イレッサ西日本弁護団事務局長 永井弘二


1 はじめに
 イレッサは、イギリスの巨大製薬企業アストラゼネカが製造し,日本子会社であるアストラゼネカ株式会社(本社:大阪市)が輸入承認した肺ガンに対する抗ガン剤である。承認前後から副作用の少ない分子標的治療薬であり,「夢の新薬」として過剰な期待が寄せられ,2002年7月5日,世界に先駆けて申請から僅か5ヶ月余りという異例な早さで承認された。
 しかし,販売直後から間質性肺炎等の急性肺障害による死亡が多発し,2002年10月15日,緊急安全性情報が発出され,何度も添付文書が改訂されるなどしてきた。イレッサによる間質性肺炎などの副作用によって死亡した被害者は、2005年4月までで607人に上っている。
 2004年7月15日、大阪地裁に薬害イレッサ西日本訴訟が提起され、同年11月25日には、東京地裁に薬害イレッサ東日本訴訟が提起された。この訴訟は、国(厚労省)とアストラゼネカ(日本法人)を相手どった、被害の救済を求める損害賠償請求訴訟(国家賠償訴訟)である。
 現在は未だ主張整理段階だが,以下,本訴訟の主要な争点ごとに,これまでの審理経過によって明らかとなった点について指摘する。

2 イレッサと急性肺障害の総論的因果関係
 アストラゼネカは2004年8月に特別調査結果を公表し,そこではイレッサによる急性間質性肺炎の発症率は5.8%,致死率は2.3%であり,通常の間質性肺炎の発症率,あるいは他の抗ガン剤の発症率の数倍〜数百倍もの高率となっている。したがって,イレッサと間質性肺炎等の急性肺障害との間には,疫学的因果関係があり,総論的な因果関係が認められることは明らかである。

3 致死的な急性肺障害の予見可能性
 イレッサの想定された作用機序である上皮細胞成長因子受容体(EGFR:細胞の分化,増殖,再生に重要な役割を果たす。ガンではEGFRが過剰発現することから標的とされたが,当然,正常細胞にも多大な影響を及ぼすことが想定されていたはず。)の阻害作用からも予見が可能であるのみならず,2005年3月1日アストラゼネカが公表した動物実験結果で肺の炎症性変化が明らかとなったこと,そして,臨床試験や承認前の個人輸入による治験外使用により急性肺障害の副作用が多数報告されており、予見可能性があったことは明らかである。
 したがって,イレッサにより,致死的な間質性肺炎等の急性肺障害の発症が予見された以上,原則としてイレッサは承認されるべきではなく,仮に百歩譲って,承認するとしても,十分な警告表示,適応の限定,全症例調査等の最大限の安全確保措置が取られるべきであった。

4 イレッサの有用性の否定
 医薬品の有用性は、有効性と安全性の総合考慮により定まる。
 イレッサでは、致死的な毒性が予見されていた以上,本来死亡を上回る有効性など存在せず,それ自体として有用性は否定されるべきである。原病が肺ガンという予後不良の疾患であることを考慮してもなお,本来,抗ガン剤による死亡までをも許容することはあってはならないことである。
 特にイレッサは,延命効果を確認することなく腫瘍縮小効果のみで承認・販売に至っており,その程度の有効性が,死亡という毒性を許容するなどという議論は決して許されない。
 現在の医学では肺ガン等の固形ガンを治癒させる医薬品は発見されていないことから,抗ガン剤における有効性の指標は延命効果である。延命効果は,プラセボ(偽薬)群等の比較対照群を置き,イレッサ群と対照群双方に無作為にイレッサと対照薬を割り当て(無作為化),どちらが割り当てられたかを患者,治験医共に分からなくした(二重盲検),数百人から数千人単位の大規模な臨床試験(無作為化二重盲検比較第・相臨床試験)によって,統計学的に有意な生存期間の延長が確認される必要がある。しかし,イレッサ承認当時の抗ガン剤承認ガイドラインでは,小規模な第・相臨床試験により一定の腫瘍縮小効果が認められさえすれば承認されることとされていたため,イレッサも延命効果の確認なく承認された。イレッサも同様だが,抗ガン剤は正常細胞にも甚大な影響を与えるため,その毒性により寿命が縮小する可能性も高く,腫瘍縮小効果は延命効果には結びつかない。したがって,延命効果の確認されていない抗ガン剤は,決して有効性が確認されたことにはならない。そのため,我が国においても,2005年11月1日,抗ガン剤承認のガイドラインが改訂され,原則として第・相臨床試験により延命効果を確認することが義務づけられた。この改訂も薬害イレッサの教訓に学んだものに他ならない。  そして,イレッサは,これまで4度にわたる大規模第・,・相臨床試験(INTACT1・2,ISEL,SWOGによる試験の4つ)の全てで,延命効果を示すことができなかった。特に最初の試験であるINTACTは,イレッサ承認前に解析結果が出ていたにもかかわらず,厚労省は,その結果を確認することもなくイレッサを承認しており,その怠慢は強く責められるべきである。  さらに,ISEL試験を受けて,英国アストラゼネカは,2005年1月4日EUへのイレッサ承認申請を取り下げざるをえなくなり,米国FDAも2005年6月17日,イレッサの新規患者への投与を禁止した。しかし,我が国では依然としてイレッサに対して何らの規制もされないままである。
 アストラゼネカは,十数例の症例報告に依拠して,イレッサに有効性があるかのような議論を展開しているが,これは,第・相臨床試験という医薬品の有効性確認についての科学的手法を真っ向から否定する「3た論法」(「使った」「治った」「故に効いた」)という前近代の非科学的議論を回顧するものに他ならず,既に駆逐された議論である。
 このように,イレッサに医薬品としての有効性,有用性が認められないことは明らかであり,製造物責任法上の設計上の欠陥,警告・表示上の欠陥,販売指示上の欠陥,また,アストラゼネカの不法行為責任,厚労省の国家賠償責任が否定されることはあり得ない。

5 多大な虚偽・誇大広告宣伝
 有用性がないにも関わらずイレッサは,分子標的薬として承認前から「ガン細胞に特異的に作用し、正常細胞に対する侵害の少ない夢の新薬」として大々的に宣伝されてきた。この虚偽,誇大宣伝が、イレッサの被害を拡大させたことは明らかで,こうした宣伝を繰り返したアストラゼネカ,これを放置した厚労省の責任は重大であり,イレッサには広告宣伝上の欠陥があり,また,アストラゼネカ,国の不法行為責任は著しく加重されると言える。

6 訴訟の主題,イレッサの損害
 本訴訟の主題は、ガン患者の生命の尊厳が、改めて問い直されなければならないということである。イレッサについては、余命幾ばくもない肺ガン患者であるから、ある程度の副作用死が生ずることはやむを得ないと議論がされてきた。
 しかし、延命効果の確認された有用性のある抗ガン剤を提供することこそ,製薬企業,厚労省の重大な責務なのであり,その責務を放擲したまま,予後不良な肺ガンに対する治療薬だからとして,イレッサによる毒性死を許容するような議論をまかり通してはならない。
 2006年1月11日,他の証拠調べに先駆けて,西日本訴訟において,唯一のイレッサ被害から回復した生存原告である清水英喜氏の原告本人尋問が行われた。清水氏は,イレッサ副作用の苛烈さを自らの言葉で語ると共に,夢の新薬と信じて服用したイレッサに裏切られた苦しみを述べて,毒性死した被害者の言葉を代弁した。
 抗ガン剤は,医薬品副作用被害救済制度から除外されており,ここでもガン患者の生命が軽んじられている。
 薬害イレッサ訴訟は、ガン患者の生命の尊厳を改めて問い直す訴訟である。