公害弁連第36回総会議案書
2007.3.21  東京
【1】 基調報告
第2  公害裁判の前進と課題
1  大気汚染公害裁判の前進と課題
(1)  大気汚染公害裁判の闘いと到達点
ア  1972年7月24日の四日市公害裁判津地裁四日市支部判決は,国や地方公共団体の公害防止行政のあり方に大きなインパクトを与え,公害健康被害補償法の制定へと結実した(1973年3年制定74年施行)。
 しかし,1973年のオイルショッックとそれに続く構造不況の中で,政府財界は巻き返しに転じ,遂に公害被害者の要求と国民世論を無視する形で,1987年9月健康被害補償法の改悪を断行し,1988年3月より全国41地域の大気汚染公害指定地域は解除されて新たな認定は打ち切られた。
 こうした政府財界の巻き返しに対して,千葉川鉄(1975年提訴以下同),西淀川(1次78年,2次〜4次84年以後)・川崎(1次82年,2次〜4次83年以後)・倉敷(83年),西淀川(1次78年,2次〜4次84年以後)・川崎(1次82年,2次〜4次83年以後)・倉敷(83年)・尼崎(88年)名古屋(89年)の大気汚染公害裁判が次々に提訴された。
 これら一連の裁判の中心は,工場公害(SOx被害)にあったが,西淀川,川崎,尼崎,名古屋では,これに加えて,国・公団を被告とし,道公害(NO2,SPM被害)責任もあわせて追及された。
 そして1988年11月の千葉川鉄判決以降(1991年3月の西淀1次判決,1994年川崎一次判決,倉敷判決)工場企業に対する原告側勝訴の流れは定着し,1990年代前半以降裁判の焦点は専ら道路公害(国・公団の責任)へと移っていった。
 こうした中で1995年7月5日西淀2次〜4次判決は,初めて自動車排ガス(NO2とSPM)と気管支ぜん息などの健康被害との因果関係を認め,道路管理者である国・公団の責任を認めた(国家賠償法2条1項)。以後,川崎,尼崎,名古屋,東京 がこれに続き,国・公団等の道路管理者の責任は裁判上不動のものとなった。  とりわけ,2000年1月31日神戸地方裁判所に続き,同年11月27日名古屋 地方裁判所が,浮遊粒子状物質(SPM)と気管支ぜん息との因果関係を認めて,国に対し,排ガスの差止めと損害賠償を命じる判決を下したことの意義は大きい。
 自動車排ガス,道路公害根絶への展望は大きく開かれたかに見えた。
イ  東京大気汚染公害裁判
 東京大気汚染公害裁判は,従来の大気汚染公害裁判の到達点に立ちつつ,今もなお現在進行形で汚染と被害が拡大している自動車排ガス公害の根絶と,1987年の公健法の新規認定の打ち切りという改悪のため,未救済となっている公害患者に対する新たな被害者救済制度の確立を求めて,1996年5月31日に東京地方裁判所に提訴された。(1)原告総数633名のうち未救済患者が4割(1次から6次)に達していること,(2)自動車排ガスの公害責任を,幹線道路沿道のみでなく,本件地域全域のいわば面的な責任として問うていること,(3)国などに加え初めて自動車メーカー7社を被告としたことに特徴がある。新たな救済制度の確立の要求を旗印にして,認定患者と未認定患者が互いに団結して闘いを進めている点は,特筆すべきことである。
 しかし,2002年10月29日の東京大気第1次判決は,国,東京都,首都高速道路公団(現首都高速道路株式会社)の公害責任は認めたものの,救済の範囲が昼間12時間交通量4万台以上の幹線道路沿道50メートル以内に限定されて面的汚染が認められず,そのため損害賠償請求が認容された原告は7名に止まり(未救済患者1名を含む),さらに差し止め請求,自動車メーカーの法的責任についても排斥された。
 原告団は東京高裁に控訴し,あわせて東京地裁では第2次から第5次訴訟に加え,2006年2月16日に第6次訴訟が提起され,メーカー責任,面的汚染を中心としてさらなる主張立証活動が展開された。
 2006年3月,原告団は,地裁判断を待つことなく,直ちに全面解決を実現するための闘いに取り組むという全面解決方針を確認し,(1)謝罪,(2)損害賠償金(解決金)の支払い,(3)東京都の医療費救済制度,(4)公害防止対策,(5)継続的協議機関の設置という5項目の全面解決要求を打ち立てて,高裁に対して全面解決を勧告するための要請行動,団体署名に取り組んだ。その結果,東京高裁は,2006年9月28日,結審にあたり,「できる限り早く,抜本的,最終的な解決を図りたい。」という画期的な解決勧告を行った。また東京地裁でも,2006年12月には第2次から第5次原告の本人尋問が了し,今年の秋には結審を迎える予定である。
(2)  自動車排ガス公害根絶と被害者救済に向けて―各地の闘いの現状と課題
ア  すでに,判決が確定した西淀川,川崎,倉敷,尼崎,名古屋では,公害根絶と地域再生,まちづくりの取り組みが進められている。
 また,西淀川,川崎,尼崎,名古屋では,和解条項に従い,国との連絡会が定期的に開催されているが,和解後相当期間が経過しても,国の有効な道路公害対策の実施は未だ不十分であり,道路公害根絶に向けて各地の連絡会を如何に実効性のあるものとして機能させていくかがひとつの課題とされてきた。このような中で,尼崎道路公害訴訟の原告団が,国,公団に対し,和解条項の誠実な履行を求める公調委へのあっせんの申し立てを行い,2003年6月26日にあっせん合意が成立した。その後尼崎訴訟原告団と弁護団は上記あっせん合意に基づいて21回もの公開の「連絡会」での協議を重ねるなかで,2006年3月の交通量調査,同年6月にはロードプライシング試行(社会実験)を経て,2007年からいよいよ大型車低減施策の具体的協議が開始されることとなっている。また,川崎では,川崎市の南北に伸びる地形的特性とそれに対応する幹線道路網の存在から,自動車排ガスによる汚染は,川崎市南部の臨海部に止まらず,その汚染は全市に及び,北部地域に南部と同様,もしくはそれ以上の被害(ぜん息患者)が発生している実態を前にして,川崎公害病患者と家族の会,川崎公害根絶・市民連絡会,川崎公害裁判弁護団を中心に「ぜん息救済連」(柴田徳衛会長)を起ちあげ,全市全年齢対象のぜん息患者に係る医療費救済に関するたたかいを推し進め,ついに昨年の6月市議会において,ぜん息患者に対する医療費助成制度を成立させるにいたった。画期的な成果であり,このことが,東京大気汚染公害裁判における東京都の医療費助成制度案に多大な影響を与えることとなった。
イ  東京大気裁判は,2006年9月28日,東京高裁における第1次訴訟の結審にあたり,裁判所から,要旨「本件は第1審提訴以来既に相当期間が経過し,訴訟の当事者の数も多く,…事案の内容がきわめて複雑であり,…おそらく,判決のみでは解決できない種々の問題を含んでいる。裁判所としては,出来る限り早く,抜本的,最終的な解決を図りたい」との解決勧告がなされた。裁判所が,被害実態の重みを受け止め,未救済患者の被害救済という「判決では解決できない問題」を含め,訴訟の全面解決を当事者に要請した点で,画期的な和解勧告であった。これを受けて,現在まで全面解決をめざした交渉が続けられている。
 東京都の石原都知事は,この解決勧告と前後して,被害救済のための制度を検討していくことを言明し,原告団は,東京都に対して,患者の年齢に関係なく完全な医療費の補償を実現すべきとして交渉や行動に取り組んだ。その結果,2006年11月28日,東京都は,国・メーカーとの共同負担のもと,都内に居住する全年齢・全地域の気管支喘息患者について,自己負担分を全額補償する救済制度案を裁判所に提出した。これに対する被告メーカーらの対応にはきわめて後ろ向きのものもあったが,原告団の抗議行動等により,基本的に東京都の提案を受け入れる旨,高裁に回答がなされた。なお問題を残しているものの,原告らの必死のたたかいが,医療費救済制度の確立に向けて大きな一歩を踏み出させたといえる。その一方で,被告メーカーらに公害発生の責任を認めさせ,謝罪と損害賠償を勝ち取るたたかいが,全面解決に向けて最大の課題となっている。原告団は,2007年1月23日,メーカー集中一日行動を200名規模で成功させ,続いて2月12日のトヨタ総行動を例年以上の規模で取り組み,3月16日には「全面解決を迫るあおぞら総行動」に1000名以上の規模で一日行動として取り組む予定である。
 また原告団は,2月初旬の寒空の中,病身をおしてトヨタ東京本社前で4日間にわたる緊急座り込みを行い,さらに3月にも座り込みを予定するなど,決死の覚悟でメーカーに対する行動に臨んでいる。今後もトヨタを中心に,ディーラーの各店舗に対する要請行動や,マスコミ,インターネットを使った宣伝など,3月までに集中的にたたかい抜き,全面解決を勝ち取る方針である。
 国は現在まで,東京都の制度提案も拒絶したばかりか,患者救済のための制度創設の努力を一切せず,高裁の解決勧告に対しても全く消極的な対応に終始している。しかし,環境大臣が「東京高裁の意向を国としても真摯に受け止め,いたずらに訴訟を長引かせるべきではないという思いを強く持っている。解決に向けて最大限の努力をしていきたい」と発言し,原告側との協議を開始するなど若干の変化が見え始めている。
(3)  今後の課題―全国的展開と共闘の必要性
 尼崎のあっせん合意とそれを受けた国公団との協議や東京大気汚染裁判の闘いが続く中で,2003年7月の第2回公害弁連幹事会の「大気汚染をめぐる今後の闘い」についての集中討議を皮切りに,幹事会での討議が重ねられている。
 自動車排ガスによる大気汚染と喘息等との公害患者の拡大は東京のみならず全国の都市部でも確実に進んでおり,川崎,東京の闘いに続き,大気汚染未認被害者の救済運動の全国的な展開の重要性が一段と意識されるようになっている。いまだやまない自動車排ガス公害と被害の拡大の中で,今こそ全国規模での被害者救済制度確立を国,自治体に求める闘いの具体的な取り組みが急務となっている。