公害弁連第36回総会議案書
2007.3.21  東京
【2】 各地裁判のたたかいの報告(ヤコブ病裁判)
〔1〕 薬害ヤコブ病(東京訴訟)報告
薬害ヤコブ病東京弁護団

1  薬害ヤコブ病東京訴訟の概要
(1)  脳外科手術でつかわれた医療製品によって,多数の人々が,クロイツフェルト・ヤコブ病の感染被害をうけた。ヤコブ病は死の病である。いったん発症すれば,短期間のうちに痴呆が進行して遷延性植物状態となり,死にいたる。
 問題の医療製品は,ドイツ・ビーブラウン社が,死体の硬膜から精製し,厚生省が1973年に医療用具として輸入承認したヒト死体硬膜ライオデュラであった。
(2)  東京訴訟は,1997年9月,池藤勇さんの提訴ではじまった。大津訴訟の谷三一さんにつづき,全国2番目の提訴であった。2001年7月16日,東京地裁は,同月2日の大津地裁に引き続き,「早期の全面的,多面的,抜本的な解決」をめざして和解勧告をおこなった。そして,同年11月14日,大津・東京両地裁は,国と企業の責任を断罪する和解所見を提示し,国も和解協議に応じた。翌2002年2月22日,両地裁が合同で具体的な金額をもりこんだ和解案を提示した。
 同年3月25日確認書調印にいたるとともに,東京地裁でも結審ずみの9被害者につき和解が成立した。
(3)  この確認書調印と和解成立により解決の枠組みができ,早期全面解決のレールが敷かれた。これ以降は,個別の被害者についてヤコブ病罹患とライオデュラ使用を確認して和解にいたる「個別救済手続」にはいった。
2  東京地裁での和解経過と今後の課題
(1)  確認書調印時以降,東京地裁における和解成立の経過は,つぎのとおりである。和解成立日と対象となった被害者数を示す。
(2)  2002年3月に和解解決の枠組みができたとはいえ,個々のケースが和解にいたる道のりはけっして平坦ではない。和解協議の過程では,被告企業側が,訴訟のレベルをもこえる厳密な資料の提出を求めるなどして,しばしば紛糾してきた。
 とりわけ,2005年度に引き続いて2006年度も,いわゆる「ポシブル症例」をめぐって熾烈な議論がたたかわされた。加害企業ビーブラウンが,「ポシブル診断例はヤコブ病とは認められない」とか「罹病期間2年以上の症例はヤコブ病とは認められない」などと主張し,被害者の一部を切り捨てようとしたのである。
 ポシブル診断例とは,ヤコブ病に特徴的な異常脳波所見(周期性同期性放電)を欠く症例のことであるが,そのヤコブ病診断を否定しようとするのは医学的にもまったくナンセンスなことである。
 また,欧米に比べて日本の場合には,ヤコブ病患者が遷延性植物状態に陥ったのちの延命期間が比較的長いことが知られている。2年で切り捨てる医学的根拠はなにもない。
 確認書調印とともに和解が成立した被害者9名のなかにはポシブル症例もふくまれていた。また日本では罹病期間7年のヤコブ病症例さえ報告されている。いまビーブラウンが主張している論点は,いずれもすでに訴訟の場でもさんざ論争を重ねたことであって,そういう論争の挙げ句に和解にいたった経過であった。まさに決着済みの議論の蒸し返しである。
 被害者側は,専門家医師の協力もえながら,加害企業側の不当な攻撃を跳ね返してきた。
(3)  東京地裁で和解による解決をみた被害者は累計で55名(ただし,相続人の一部の和解時期がずれたケースがあるので,上記被害者数の合計とは合わない)になる。
 東京地裁に提訴済みの被害者は63名である。和解解決にいたった比率は,漸く87パーセントをこえた。また,未提訴被害者の発掘についても,確認書調印後,とりわけ良心的な医師の協力をえて,かなりの数の被害者の発掘ができたと考えられる。
 しかし,もちろん発掘しきれていない被害者がなお存在する可能性はある。また,ヤコブ病の潜伏期間は異常に長い(硬膜移植から発病まで20年をこえるケースもあり,角膜移植例では潜伏期間30年の報告例もある)ことから,今後の発症の可能性も否定はできない。完全救済にいたるのは容易なことではない。
(4)  ひきつづき,未和解の被害者の和解救済,未提訴被害者の発掘に努力し,早期全面解決の実現に全力を尽くす所存である。