公害弁連第36回総会議案書
2007.3.21  東京
【2】 各地裁判のたたかいの報告(大気汚染)
〔1〕 川崎公害裁判の現状と課題
弁護士 篠原義仁

1  1996年12月25日,川崎公害裁判は1次訴訟から4次訴訟までの全原告について,固定発生源である加害企業との間で原告勝利の和解が成立し,2006年12月25日をもって10年が経過した。この間,1999年5月20日には,移動発生源である自動車の大量走行を認容したとして,道路の設置,管理責任を追及していた国(道路公団)との間でも,将来的な公害対策を約束させた和解が成立し,同和解から数えても8年弱の期日が経過した。
 企業和解から10年。川崎公害裁判の関係者(原告団,弁護団,支援団体)は2月3日に恒例の新春のつどいを企画し,あわせて,企業和解10年(国和解8年)を記念して,和解後の取り組みを中心にその中間的総括を行って,これを「よみがえれ 青い空−川崎公害裁判からまちづくりへ−」として出版した。
 そこで本年の川崎公害裁判の報告は,この本の紹介をかねつつ行うこととする。
2  本書は,前記関係三団体の実務を担った7人が共同執筆したが,その内容は序章に「環境・まちづくりを考える子どもたち」という章をおき,第1回から第3回まで取り組みが進んでいる(なお,本年2月をメドに第4回企画が進行中),市内の小学生・中学生を対象とする「『環境・まちづくり』作文・絵画コンクール」の企画を紹介している。
 これは,企業和解の解決金から拠出された「まちづくり基金」を基礎に運営され,川崎公害裁判の内容を子どもたちに伝承するとともに,大気汚染問題に止まらない各種環境問題への関心を広くもってもらうために企画されたもので,川崎市・川崎市教育委員会の後援はもとよりマスコミ各社の協賛もえて,着実にその影響を広げて実践が追求されている。絵画,作文を含めての応募点数(約2対1の比率で絵画の方が多い)は1,000点超であるが,4回目の本年は2,000点をめざしての奮闘がつづいている。
 第1章では,川崎公害裁判が握って離さない3本柱の要求−(1)被害の救済(2)公害の根絶(3)環境再生とまちづくり−が,どのように位置づけられ,それが裁判闘争を通じてどう具体化され,次いで2つの和解との関連でどう政策化されて具体的実践に移されているかが紹介されている。
 すなわち,3本柱の要求は,裁判闘争の究極の要求であるが,それは裁判制度の仕組みからして司法の場で全て完結することなく,企業和解,国和解で約束された和解条項の具体的追求なくして目的達成には至らない。
 従って,この要求を掲げた以上,原告団(患者会),弁護団,支援団体は,「解散しない(できない)原告団,弁護団,支援団体」として, ひきつづき「三者の団結」を維持しつつ,その要求実現に向けて奮闘することとなる。
3  第2章から第4章は,その3本柱の要求に対応して,この10年間の取り組みが中間的に総括されている。
 すなわち,第2章「被害者救済制度の実現のために」は,公害闘争の基本的スローガン「たたかいは,被害にはじまり被害に終わる」との対応のなかで,川崎公害裁判2次〜4次訴訟で示された,12時間当りの自動車走行台数1万台以上の公害道路(幹線道路)の定義を前提にして,川崎市内全7区の大気汚染実態を正確に捉え,他方,この間の市内全域にわたるぜん息患者の増加状況を医師会調査等を基礎に把握し,全市全地域を対象に全てのぜん息患者の医療費救済を求めて取り組まれた,約3年にわたる医療費救済条例制定の闘いが紹介されている(既報のとおり,同条例は昨年6月市議会で成立し,本年1月1日から施行)。
 この条例は,1割の自己負担の導入その他若干の弱点を有しつつも,被害者救済の点からいえば,全国初の条例で大きな前進を示すものとなっており,その制定が,東京大気裁判における全面解決要求のひとつとなっている同種の東京都条例の成立に大きなインパクトを与えるところとなった(東京都案は,自動車メーカーをも費用負担者として取り込み,自己負担なしの制度ということで川崎市条例を更に一歩進めたものとなっている)。
 同時に第2章は,医療費救済条例の各地展開を基礎に国レベルに医療費救済の特別措置法を作らせる課題,それに続いて指定地域解除後の被害者救済制度の再確立の課題についてもその展望を明示し,全国患者会をはじめとする「全国の力」を結集して実現させる方向性をもあわせ提示する内容となっている。
 第3章「公害の根絶をめざして」,第4章「環境再生とまちづくり」の章では,国和解において和解内容として,国との間で道路連絡会が設置されたが,その連絡会を軸として川崎における道路公害根絶への取り組みがどのように実践されているかが紹介されている。この分野での取り組みは,尼崎の闘いが先進的で,川崎では尼崎の取り組みに学びつつ,半歩遅れて同内容の追求が模索されている。
 すなわち,和解内容の実践として,道路公害の救済のための自動車排ガスの負荷を総量規制という枠内で,どう実行させるかということで,(1)ロードプライシングの実施,(2)ナンバープレート規制,(3)大型車の走行車線規制が具体的に検討され,その実現に向けて事業者,ドライバーの意向調査(アンケート調査)を行うということで,紆余曲折を経て,昨年尼崎が先行的にそのアンケート調査を実施し,次いで川崎では,昨年末にその予算枠をかちとらせ,本年4月以降実施の見通し,となるに至った。
 この外川崎では,国との連絡会とともにその出先機関である川崎国道事務所との関係では国道15号線(あの箱根駅伝の京浜第一国道)の道路構造の改善と緑化事業の推進が,不十分さを残しつつも進行している。また,横浜国道事務所との関係では国道1号線(いわゆる京浜第二国道)の拡幅問題に端を発して,拡幅反対運動の住民団体が組織され,現状にあっては「まず拡幅ありき」の政策を改めさせ,「拡幅問題」を棚上げした上での,現状の道路幅での道路構造の改善,緑化対策が追及されるところとなっている。これら取り組みに共通していることは,徹底した現地主義の実践にあるといってよい。地元要求のくみあげのための宣伝行動,アンケート調査,ワークショップ,小集会の企画にはじまり,行政(国・川崎市)との関係でも共同の現地調査,交通量調査,改善要求箇所の具体的検証等々を通じ,「机上の論戦」に止まらない実践がつづけられている。
 また,川崎での特徴は,国との交渉は当然のこととして「検討会」と銘うった川崎市交渉が頻繁に開催されていることにある。その交渉をうけて産業道路の車線削減や自動車排ガス軽減対策が行われ,弱者(被害患者)の視点を貫いたまちづくり対策の要求の結果,「使い勝手の悪い」川崎駅前広場,周辺交差点の改良,歩行者の平面移動を保証した道路構造の改善が追及され,駅前地下街「アゼリア」の改良問題も追求されるに至っている。
 他方,歩行の妨げとなる歩道上の駐輪場の撤去問題,違法駐輪対策の課題も,前記関係諸団体の事前調査とそれを確認するための川崎市との共同調査がくり返し行われ,それをうけて駐輪場の増設が進み,また,駐輪場についての付置義務条例をも制定させるに至った。
 第3章,第4章では,こうした「公害の根絶」と「環境再生とまちづくり」の取り組みが詳細に紹介されている。
4  第5章「環境再生への前進のために」では,こうした一連の取り組みの母体となる原告団(患者会),支援団体の拡大,強化の取り組みが紹介されている。
 川崎では小中学生を対象とする「絵画・作文コンクール」の外に,この企画よりも長期にわたって若手研究者の協力をえて「環境再生講座」が取り組まれている。これは,高校生以上を対象に(但し,若手研究者との関係で,大学生,院生の参加はえているが,地元の青年層からの参加はまだまだ少ない)環境問題にかかる底辺の拡大をも意図してその取り組みが堅実に進められている。
 一方,市内全域を対象に予算も相当程度かけて,大衆的なイベントとして川崎駅前地下街アゼリアやJRと田園都市線の交差駅である溝口駅の駅前を利用して,大規模企画「公害・環境,健康,まちづくりフェスタ」が,当初は年2回,現在は年1回のテンポで実施されている。この企画は,縦長の川崎市の地形的特徴から,なかなか「南北交流」がはかれなかった川崎における運動の特殊性をようやく克服して,「南の公害」「北の緑」と俗称された南北の闘いを一つに結びつけて,川崎市全域の共通の取り組みとして発展的に継続的に展開されている(なお,NO2測定運動についても医療費救済条例の成立と関連して,NO2測定運動のための川崎連絡会も再確立されるに至っている)。
 また,たたかいの基礎は,被害者団体にあることは当然であるが,川崎では川崎区,幸区中心の「川崎公害病患者と家族の会」(事務所所在地,川崎市川崎区砂子)に加え,医療費救済条例制定の取り組みのなかで,条例制定を見込んで「川崎北部のぜん息患者と家族の会」(事務所所在地,川崎市高津区溝口)を発足させ,2つの患者会組織が共同してその拡大,強化に取り組んでいる。
 第5章は,「三者の団結」をふまえたたたかう組織の現状の紹介となっている。
5  以上,本の紹介を中心に川崎での取り組みを概観してきたが,まだまだ川崎での取り組みは,本来の要求からみて中間的なもので,その総括も中間的総括の域を出ていない。
 従って,現在の到達点を確認しつつも,残された課題はまだまだ多い。しかし,企業和解10年を経た現在の到達点は,現在の課題と将来の展望をも合せ示すものとなっていて,関係諸団体は,最終的な要求実現に向けて,その奮闘を確認しあっている。