公害弁連第37回総会議案書
2008.3.23  諫早
【3】 特別報告
「尼崎 ひと まち 赤とんぼ」センター報告
尼崎公害患者・家族の会
会長 松 光子

「生きがいつくり、街づくりの活動」

 1999年2月17日、被告企業9社と判決前に和解し、残る国・阪神高速道路公団(現阪神高速道路会社)との闘いの最中、和解金の一部を拠出して患者さん達の健康回復事業、地域の環境改善を目指し、患者さん達の拠点となる「センター赤とんぼ」を立ち上げました。
1999年9月から設置したセンター講座も活発になり、患者さん達自身による日々の運営も支部体制による当番制で、毎日賑やかな笑い声が絶えることはありません。
最初の目的でありました患者さん達の健康回復事業、地域の環境改善についても基盤がほぼ出来上がりつつあります。
 患者さん達が一番望んでいた「健康回復事業」の充実、西日本各地の観光地へ述べ19回実施しました。
 40年余の病気との闘い、「補償法」を守る闘い、そして裁判闘争と常に気の休まる間もなく活動を続けて、「ホット」するのは仲間同士で誰に気兼ねすることもなく、病状を気にすることもなく、打ち解けられるのは健康回復事業とセンター内での井戸端会議です。
特に一泊二日の転地療養は、医療班も参加してもらっていますので、酸素吸入している人も、足腰の弱い人も安心して参加でき、感謝されています。
 転地療養では役員が責任者となって班体制を組んでいますがその役員自身が患者さんですので、患者さんの立場をよく分かっておりスムーズに旅行を楽しんでおります。
 また「宿泊はどうも苦手」という人には「日帰り旅行」を実施楽しんで頂いております。
医療による身体の痛みは分かってもらえるし治療も受けられますが、心に隠している精神的な苦痛は理解してもらえない。私達は「センター赤とんぼ」を通じて患者さん同士地域の人々を巻き込んで、日々を出来るだけ楽しく暮らせるよういろいろな講座をもうけて、心のふれあいを確かめています。
 センターで行っている各講座も出来るだけ皆さんの意見を取り入れていますし、作品も折に触れて展示しています。

「尼崎南部再生研究室設立」

 2001年3月に同じく和解金の一部を拠出して「尼崎南部再生研究室(略称尼研)」を立ち上げました。
 1969年6月に発表した「後世に残そう美しい運河のまち」のイラストマップ、当時は夢物語としか受け止めてもらえなかった「再生プラン」。企業との和解前であり、財政的にも困難で、また被告企業や国・公団との間では熾烈な裁判闘争の最中でもありました。
 しかし地域住民の中で昔の古きよき時代の尼崎を懐かしむ声が日々高くなっていました。
 会員も全体的に高齢化、重症化が進むなか阪神大震災で壊滅的な打撃を受けた尼崎南部の町並み、今私達が声を上げなければ二度と昔の思い出すら語れなくなる、そんな危惧のなかでこの「再生プラン」を発表しました。
 患者さん達の若かりし頃の思いで話に花が咲く「尼イモ」、楽しかったお祭り、路地裏での賑やかだった下町の生活等、活き活きと語られる言葉の重みを受け止めてもらい「尼研」での活動が発展していきました。
 「尼イモ」の栽培育成、そして復活した「尼イモ」の料理教室、「イモコレクション」の開催を続けています。「尼イモ」の復活は新聞・テレビでも大きく取り上げられ今では尼崎市もその育成に取組み始めています。
 さらに運河を埋め立てるのではなく(前市長のとき運河埋め立て計画があり、一部埋め立てられたのです)水運を観光に活用して後世に残してゆこうとの活動も実を結び、国交省の「運河の魅力再発見プロジェクト」に認可され、県行政による「21世紀の尼崎運河再生協議会」も結成され尼研からも委員として参加しています。このなかで、「再生プラン」の個別プロジェクトに盛り込まれた「工場の垣根ネットワーク化事業」「南部散歩道ネットワーク事業」も進んで、夢物語といわれていた「後世に残そう美しい運河のまち」のイラストが着々と実を結びつつありますし、患者が望んだ「親しみやすい尼崎」が私達の運動で一歩ずつ前進しています。
 しかし自動車公害は改善されていません。差止め判決をとり「あっせん」を成立させて、なお26回もの連絡会を重ねているのです。自動車公害がなくならない限り安心してわが町で暮らすことが出来ないと患者会挙げて頑張っています。
 さらにこの運動のなかで、公害患者の戦いの歴史「尼崎大気汚染公害事件史」(1,050頁)を完成させるとともに、映像で記録を残そうと、ビデオで「尼崎公害その歴史と闘い」の一部二部を作ってきましたが、今回新しく道路公害の闘いとして第三部を作成、三部を含めた「闘い続けて40年」とし、さらに2006年12月に開催した「差止め勝利判決記念集会」の記録をDVDに完成させました。このDVDは新聞にも報道され多くの方々からの共感を得ることが出来ました。
 こうして私達の願いである「子や孫に青い空を」の実現と、二度と再び公害被害者を生み出させない為の「後世に残す」記録作りに励んだのです。
 尼崎南部再生研究室の活動もだんだんと進展、機関誌「南部再生」は年4回発行部数1万部、公共機関はもちろん阪神電車各駅構内、尼崎信用金庫全支店、郵便局さらには多くの会員の店舗等に置かれ、面白いと評判も上々、すっかり市民権を得た存在となっています。
こうして今では商店街活性化の為の「メイドインアマガサキ」運動の担い手にまでなり、頼れる存在となり活動を続けています。
 公害の負の遺産は残っていますが、環境再生を掲げた白井市長とともに尼崎南部の再生を願って歩んでいます。

「おわりに」

 こうした活動を通じ、「戦争こそ最大の環境破壊」のスローガンのもと、戦争のない平和な世界を目指し今日も活動を続けています。
 最後に私の好きな言葉を紹介して「まとめ」と致します。

「ケニアのことわざより」
地球を大切にしなさい
それはあなた方の親から
授かったものではありません
それはあなた方の子供から
預っているものです。


(このページの先頭に戻る)